生死ー命についてー
涅槃会
2月15日はお釈迦さまがお亡くなりになった日です。
仏教のお寺ではお釈迦さまの遺徳を偲んで「涅槃会」が行われます。
お寺の本堂に涅槃軸という掛け軸をかけて、お参りします。
涅槃軸にはお釈迦さまの周りで嘆き悲しむ弟子や動物たちなど、お釈迦さまが亡くなった時の様子が描かれています。
今回のバーチャル坐禅会では涅槃会にちなんで、
生死、生きることや死ぬことや命についてお話させていただきました。
六道輪廻
仏教では私たちは何度も生死を繰り返しす、新しい生命に生まれ変わっていくとされています。
六道という6つの世界があります。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の6つの世界のことです。
六道輪廻ともいいますが、6つの世界を輪のようにめぐりまわっていきます。
次の生れ変わり先は「業」という現世の行いで決まります。
業のことを「カルマ」ともいいますが、ポイントのようなものです。
現世の行いによって「ポイント」がたまり、そのポイントに応じて来世の行先がきまります。
そして、仏教ではこの六道輪廻のサイクル自体を苦しみであると説きます。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道は苦しみにあふれている世界ですが、私たちのいる人間道も苦しみにあふれています。
天上道だって、いい世界ですが、終わりがあります。いい世界だからこそ次の世界への恐怖は大きいと思います。
生きていくこと自体が苦しみであるというのが仏教の教えです。
ソウルフルワールドで22番の魂が生まれることを嫌がってたように、こちらの生まれると苦しみがいっぱい生じてしまいます。
そして、この六道輪廻のサイクルから抜け出すことを「解脱」と言います。悟りを開くと六道輪廻の苦のサイクルから抜け出すことができます。
解脱をするとこれ以上生まれ変わらない、つまりこれ以上六道輪廻の苦しみを体験することがなくなります。
仏教の目的は「解脱」によって六道輪廻のサイクルから抜け出すことになります。
2500年前の初期の仏教では命についてこのようにとらえていました。
現代は仏教にさまざまな 宗派がうまれ 、いろいろな考え方があります。
しかし、どの宗派もこの六道輪廻の考え方が基本になっています。
禅では?
禅では生死や命についてどうとらえているのか説明させていただきます。
禅も仏教ですので、根本的な考え方は似ています。
鈴木俊隆というお坊さんが書いた『Zen mind, beginnners mind』という本があります。
このお坊さんはアメリカで仏教を布教した人で、この本はアップル社のスティーブ・ジョブズ氏が愛読していました。
この本では人間の命、つまり生まれてから死ぬまでのが、滝を落ちる水に例えています。
一本の川が滝になりますが、滝を落ちる水は一筋の流れではなく、いくつもの小さな水滴に分かれて降りていきます。滝の下まで落ちた水は再び一つの川になります。
もともとは一つの全体としての川でしたが、滝を落ちる時にそれぞれ別の経験をして、再び一つの川になります。
私たちの命も同じです。生まれた時が滝の始まりで、死ぬ時が滝の終わりです。
滝が落ちる時に水が切り離されるように、私たちは誕生によって全体から切り離され、それぞれ別の感情を持ち、困難など様々なことを経験します。そして、水が下まで落ちた時に、再び大きな川になるように、私たちは死ぬ時にまた全体と一体になります。
このように禅では全ての命は一体であると考えます。
私たちは曹洞宗のお坊さんは『修証義』というお経をよみます。
『修証義』の冒頭に「生死の中に仏あれば生死なし」とあります。
この「仏」とは悟りのことです。全てが一体であるということを認得することです。
つまり、生死の中に悟りがあれば生死の迷いがなくなるという意味です。
生死を苦しみとして避けるのではなく、また悟りによって苦しみを超越しようとしてはいけないというのが『修証義』の教えです。
生死そのものをあるがままに受け入れ、自然のままに生きていこうということです。
命ってよくわからない。
このように仏教では命や生死についてどう考えるか、お話しさせていただきました。
皆さんもそうだと思いますが、私は今まで自分の「死」というものを経験したことがありません。あたりまえですが、この世に死を経験したことがある人は生きていません。
人間にとって一番の恐怖は「死」です。
わからないから、恐怖なのです。
そして、どうしてもわからない、恐怖を克服するために宗教ができました。
仏教だけではなく、ほとんどの宗教にも「命」や「死後」の世界について説かれています。
全ての宗教に共通していることがそういう教えを証明することはできないということです。
どの教えにだって科学的な根拠はないということです。
どうしてもわからないことですが、
どうしてもわからないからこそ、命は素晴らしく、大事なものだと思います。
私たちは誰だって「死」を避けることができません。みんな「死」に向かっていきます。
今皆さんは私のnoteを読んでいただいていますが、この時間もちょっとずつ「死」に向かっていっています。
だからこそ、1日1日、さらには一瞬一瞬の自分の時間を大切にしていただきたいと思います。
ご参加していただきありがとうございました。