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秀吉の朝鮮出兵とは何だったのか?

 NHK大河ドラマ『どうする家康』の中で描かれた豊臣秀吉像がなかなか面白かった。ムロツヨシ演じる秀吉の若いころは、ムロツヨシの髪の毛が天然パーマのままだったのに、関白になるころにはきちんとした髷になっていた。 
(※ 写真は、朝鮮の兵士から切り取って日本に持ち帰った耳や鼻を供養した耳塚。大坂の陣のきっかけとなった鐘のある方広寺の近くにある)

 天正19年(1591)8月、豊臣秀吉は、翌春に唐入り(明国征服)を行うことを諸大名に告げたが、秀吉の侵攻対象は明国だけではなかったという説がある。天下を統一し、明国を攻めることにした秀吉は、まず朝鮮を支配下に置くべく、朝鮮へ出兵した。文禄・慶長の役と呼ばれるこの出兵の目的はわかっておらず、「秀吉の誇大妄想」とか「家臣に恩賞として与える土地の不足」などが理由とされてきた。
 『どうする家康』では、淀殿との間に生まれた鶴松が早世し、徐々におかしくなっていく秀吉が描かれたが、果たして真実だったのかどうかはわからない。

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