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「世界は贈与で出来ている」

お金では買えないもの。
私達はこの正体が分かっていない。
お金で買えないものとは何であり、どのようにして発生し、どのような効果を私達にもたらすのか。

本書ではこのような、私達が必要としているにも関わらずお金で買うことができないもの、およびその移動を「贈与」と呼ぶ。

例えば家族や友人、恋人など、大切な人との関係性もまた、「お金では買えないもの」
人から貰うプレゼントもこれに当たる。

私達は自分1人だけでは食べ物を得ることも、立つことさえも出来ない「未熟」のまま誕生する。

親は愛という形で子に贈与をする。様々な世話をし、四六時中配慮して養育する。
では親は経済的な理由(交換可能な理由)から子を育てるのだろうか?
「老後の面倒を見てもらおう」、「いい企業に就職したら親の私もお金には困らないだろう」と見返りを期待して育てる親はおそらくいない。

つまり、親が子を育てるのは一方的な贈与である。


資本主義では交換が基本思想
資本主義はありとあらゆるものを「商品」へと変えようとする志向性を持つ。
リンゴや米などの食べ物、車、家、あらゆるものに値段が付き、商品として存在している。
人にしても、自分が社会に働きかけた報酬として給料を得ている。

では、会社を解雇されたり病気になって社会に何も提供出来なくなった時
その人はどうすればいいのか。死ぬしかないのか。

そうではない。
無条件で助けを求められる。
無条件でその人を助けられる。
助けられた人はその事を忘れず次の人に繋げる。
この繰り返しによって社会は成り立っている。

結論、贈与とは資本主義によって交換出来ない価値のこと。

また、本書にはこのような事も書かれている。
交換やギブアンドテイクからは仕事のやりがい、生きる意味、生まれてきた意味は出てこない。

では、仕事のやりがいと生きる意味を与えてもらいたいから贈与しよう。
これも矛盾。

自覚から始まる贈与の結果として、宛先から逆向きに仕事のやりがいや生きる意味が偶然返ってくる。

読んでみておもったこと
難しい。
正直なところ、読んでみて1割も理解出来ていない。

「贈与」にあたる仕事はあるのか?
仕事である以上、対価(お金)が必要。それは交換ではないか。

私のやりたい事の1つに地方創生に関わる事がある。地元香川で実現したい。
私もそうだったが、「田舎だから〜出来ない。」と諦める事が結構あった。

そう思う人を減らしたい。魅力があると気付いてもらいたい。魅力あるものに作り変えたい。

この気持ち、行動は贈与だ。一方的に私が力になれれば、見返りはいらない。
この土地で育った。家族から、地域から贈与を貰っている。
それを私が次の世代にパスする番である。



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