掌編小説【お帰りなさい】
お帰りなさい
神宮 みかん
私はギアをパーキングブレーキに入れた。
カーナビに表示されている時間を確認すると電車が来るまで八分あった。
いつも、もう少しぎりぎりに来ようと思う。けれども、夫を待つというこの時間を噛みしめることがどうしても止められない。私の一ヶ月はこの数分の為にあるような気さえする。
車を降り見回す景色はどんな天気でさえ私を最高の世界に連れて行ってくれる。そして、その世界が私に何か大事なことを与え、運命的なことを起こしてくれる気にさせる。その感情は天候が台風であろうとも、大雪であろうとも変わることはない。私にとってのこの夫を待つという時間は生きていくために欠かすことができないものだ。
特に今日のような空が澄んでいて美しい日はなんとも言えない。こんな日は決まって駅に隣接する大島公園では人生の先輩方が井戸端会議を楽しんでいる。私も夫といつかこんなふうに歳を重ねていけたらと思う。
夫はよく娘達を笑わせる為に言った。
「大島公園は俺が寄付した。じゃ、行ってきます」
当時まだ幼かった娘達はよく、パパすごい、と本気にしたものだった。きっと、娘達の心に強い印象を植えつけたいという夫なりの努力だったのだと思う。
夫は秋田県仙北市に単身赴任をしている。
いや、正確にいうと私たちが単身赴任をしているのかもしれない。だって、今思うと、日本三大劇団のわらび座の俳優の夫が、私が群馬県前橋市の親元で子育てをすることを許してくれたのだから。
秋田を私が発つ日、カラフルなパラソルの下でしわを重ねたお婆ちゃんから買ったババヘラアイスを食べる私に夫は言った。
「美味しいだろこの味。俺とお前の青春の味だよな。元気な子を産んでくれよ。稽古とかで忙しくてなかなか前橋には行けないかもしれないけど必ず行くから」
砂浜に打ち寄せる波の音が所々で夫の台詞をかき消した。前橋ではこの潮騒はもう聞こえないのだろうと思うと胸をえぐられるような気がした。
妊娠中の私は精神的に不安定で夫の言葉を聞いて思わず泣いてしまった。
その時の私には夫の言葉がこれからもずっと一緒という意味にも、これで最後だねという意味にも取れてしまったのだろう。
夫が初めて大島駅にやってきたのは私が秋田を発った三日後だった。
私は夫を一人で迎えに行く勇気がなく父と駅に行った。
改札口で夫も父も同時に言った。
「初めまして」
私はこんなに深々と頭を下げる父も夫も初めて見た。
しばらく車の中で会話が無かった。はっきりいって緊張感が立ちこめていた。私は、父が授かり婚に関して余計なことを言わなければいいな、と思った。が、思えば思うほど私自身が何か自分から話を切り出すことができなかった。
「お腹すいていませんか?」
父が夫に言った。お店を考えていたのであろうか父は有名な寿司屋や焼き肉店の名前を列挙した。しかし、夫は遠慮したのだろう。ラーメンが食べたいです、とこたえた。
父は迷わずとりじへ連れて行った。
絶品の鶏ガラスープをすすりながらはげた頭に汗をかきかき父は何度も何度もテーブルに頭をこすりつけ、
「娘をよろしくお願いします」
と、吃音で言った。
きっと、父は私が夫を心底愛していることを知っていて、これからも時間が許す限り私の所に来て欲しいと願っていたのだろう。夫がいる間、あの横柄な父は決して夫に対して尊大な態度を取らなかった。
夫は娘達の節目の場面では必ず傍にいてくれた。そして、別れ際に決まって、行ってきます、と言ってくれた。だから、私は駅に滑り込んでくるあの電車に夫は必ず乗っていると確信できた。
夫を迎えに行くこの至福の時間の中で、決まって夫と私を支え続けてきてくれた絆について整理する。
その時決まって思い出す台詞がある。
夫がこの街を訪ねてくれた時の別れ際の言葉だ。
「とりじのラーメン美味しかったです。また食べにきます。行ってきます」
まるで近所に出かけるような感じのこの言葉が忘れられない。
コンコース階の改札口で夫が見えた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
朗らかに手を振る夫がいた。