アイデアが顕在するまでの過程
たまにある、脳汁がドバッと溢れる瞬間。
本当に気持ち良すぎる。
長時間考えていた問題の解法が急に閃いた時
急に点と点がつながって、一つのアイデアになった時
昔の記憶が急に蘇ってきた時
全然わからなかった謎が急に解決した時
脳汁(ドーパミン)が出る瞬間にも色々あるが、そのどれもが強烈な気持ち良さを感じさせてくれる。
11月初めの三連休に、「今までに蓄積された点と点がつながって一つのアイデアになった」という脳汁が溢れる気持ち良すぎた体験をしたのでそのことについて書きたい。
僕は最近本を読むのだが、本というのは自分に強烈なアイデアをもたらしうるのだということをこの経験を通して強く認識することになった。
本の特筆すべき点は、自分とは違った世界観を持った人間(つまり他人)が自分とは異なる世界観からあるものごとについてその人なりの論述の仕方、視点で書いているということだ。
というのも、今回僕がした「今までの点と点がつながって一つのアイデアになった」経験というのも、本を読んでいて、今まで自分の中でも漠然と考えていたことが、自分とは違う世界観から綺麗な論理で表現されたことで、自分が漠然と考えていたものの正体がより解像度高く認識できるようになったことによるものなのである。
僕の場合、『暇と退屈の倫理学』を読んだことで、僕の中で普段考えていた「楽しいことってなんだろうか」ということについて漠然と考えていたことが、本当に明確になったし、それが今回のいうアイデアにつながった。(そのアイデアの内容は隠しておくことを許して欲しい。)
知らず知らずのうちに人間というのは自分の世界観を通して、普段生きる(つまり日常)世界のいろいろなものごとを考える。そして、それを通して自分でもはっきりと意識しないうちに、自分の世界観を更新していく。
この過程の中で自分の中には、漠然としたアイデアや考えというものが自分で言語化しづらい形で(つまり意識されづらい形で)蓄積されていく。なぜなら、それは内省をしない限り普段意識されないものであるし、自分の世界観はつまり自分自身であって自分自身では認識しづらいものであるからである。
ただし、そこに自分の世界観での常識を壊され、強制的に考えないといけない状況(これはつまり非日常または予測していなかったこと、他人の世界観の体験と言い換えることができる)を作られると、人は自分の世界観を見直さざるを得なくなってしまうのである。
つまり、本というのは他人の世界観で語られたものであるから、それを読む時には自分自身の世界観とそれを強制的に比較せざるを得ないのである。
自分の世界観と他人の世界観(に限りはしないが)がぶつかり合った時、今までよくわかっていなかった自分自身の世界観(つまり自分が漠然と持っていた考えやアイデア)が自分にも認識できる形で浮かび上がる。
そういう過程を踏んで、僕は今回ドーパミンドバドバの経験をするに至った。
まとめると、こういう経験をするためには、定期的に「自分の世界観を壊す体験」をする必要があるということである。
それは今回であれば本を読むことであったが、なんでも構わないし、それは人によって違うだろう。
ただし、自分の中に何もなければ、もちろん繋がる点もないので普段から自分で色々なことを考えるということはしなければならない。普段から色々な物事を自分から考えているからこそ、後につながることになる点が生まれるのである。
本がますます好きになった体験でした。