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虫眼とアニ眼 〜見えない時代をふたりで読み解く〜【ジブリ】【読書感想】

『心に沁みた言葉〜言葉の燈〜』


「子どもが子どもでいられない。そんな時代は、そろそろやめにすべきであろう」

P189▼ 本書最後の言葉
 虫採って、
 アニメ見て、
 将来の夢を見ていれば、
 それでいいのである。
 それをわざわざ、
 ああでもない、
 こうでもないと、
 ていねいに殺しているのが、
 大人なのである。

「専門の世界に籠ることによってこの世界を冷静に見ることができるようになるものです」

文庫版P190▼ 宮崎監督文庫版あとがきより
いまは、好きにやっていくのがとても難しい時代です。

思ったこと▼
 おふたりの対談を象徴する言葉。
 ふたりの「眼」が見ているのは、
 きっと子どもの今の現実。
 好きな専門の眼を通して世界を見ているから、
 僕らには気づけないことも、
 捉えることができる。
 勉強になった。
 この時代だからこそ、好きなことをやっていきたい。

「人のせいにするというのは、都会の人間の典型的な特徴です」


P57▼
 それで改めて気づかされたのは、
 唯一絶対の人格神というのは
 どこから出たかということ。
 解決できなきゃ人のせいにする。
 人のせいにするというのは、
 都会の人間の典型的な特徴です。

 なぜかと言えば、都会というのは
 人が作ったものしかない
んだから、
 何が起こったって人のせいにできる
 これが「自然」の中なら
 「仕方がない」で済むんです。
 差別がなくなるはずがない】

思ったこと▼
 ぼくの姉が新築で草1本ない家に住みたい
 と語っていた。
 本当にそうなのかもしれないと思った。
 草がないということは、人工物しか存在しない。
 最近の家って庭がさみしい。
 木々や植物が旺盛な庭って少ない。
 物価高で広い宅地も庭も確保できなのだけど、
 植木鉢の植物すら置かない。
 手入れは楽なんだろうけど、なぜが寂しい。
 「自然と少しでも一緒に生きたい」
 この一文から、ぼくはそう思った。
 なるべく人のせいにはしたくない。

「都市という場所は寸分の狂いもなく、垂直線と水平線しかないでしょう」

P61▼
【荒川修作さんじゃないけど、
 教室の床だって斜めにしたっていい。
 そういうところで子どもを放し飼いにする】

思ったこと▼
 ジブリ美術館がわかる言葉。
 あそこは曲線が優しい空間を生み出し、
 傾斜があって、入り組んでいて迷路みたい。
 本書の冒頭に宮崎駿監督の
 書き下ろし漫画イラストがある。
 イーハトーブ街の構想。
 保育園や子育て世代の賃貸住宅、
 ホスピス、広場、老人のため街。
 子どものための施設は
 ジブリ美術館で表現されている。
 ジブリ美術館ってどんな場所か。
 「子どもの野生と呼び覚ます場所」
ぼくはそう思っている。
 人間は自然の中で生きていた。
 その遠い記憶を呼び覚ます場所。
 ジブリ作品も美術館も同じ匂いがする。

「ミソもクソも一緒に生きようという考えかしか、これからの世界には対応しようがないと思うんです」

P118▼
 生態系というピュアなものがあって、
 それを壊し奪うのが人間と決めると、
 どうにも許せなくなるんです。
 その気持ちはとてもよくわかるんですが、
 その気持ちに身をゆだねるのも、
 別な形の残忍な攻撃性
になっちゃう。

思ったこと▼
 ジブリ作品の根底にある考え方かと。
 自然を生きる宮崎さんらしい言葉。
 自然にとって人類は害かもしれない。
 人間を悪者にするのは簡単。
 だけど、それだけでは自然は守れない。
 「共に生きる」
 その姿勢しかないのかもしれない。

「ぼくは『千と千尋』のなかで、千が電車に乗っていけたことが一番嬉しかったんです」

P158▼
 雨が降ったら海くらいできるわ、
 という世界を作っておいて
 本当に良かったと思うんです。
 そのときはまだよく分かってなかったんだけど、
 後で考えてみると脳みその奥のほうで、
 電車に乗るために海を作っているんですね。
P160▼
 初めて電車に乗ってどこかに行くという体験は、
 大抵の人がしているんですね。
 ぼくの知り合いの子が初めて田舎のおばさん
 のところへ新幹線で行くと言ったんだそうです。
 それで父親が駅までついていくと言ったら、
 ついてこなくていいと言った。
 親の心配をよそに、意気揚々と帰ってきたそうです。
 それはきっと本人にとって大変な経験です。

思ったこと▼
 電車のシーン。
 あの映画の象徴的なシーンですよね。
 あるインタビューで鈴木プロデューサー
 があのシーンは宮沢賢治の
 「銀河鉄道の夜」のオマージュだと
 おっしゃっていた。
 あの電車のシーンと一緒に観客の心も
 運ばれていった。
 一緒にハクを助けにいく。
 千尋の覚悟や不安を共感できたシーン
 だったように思う。
 ちなみにぼくは、
 このシーンの写真立てがお気に入りです。

千と千尋の写真立て。
いつかここに家族と
ジブリパークで撮った写真を飾るのが夢です。

『どんな本?』


宮崎駿監督と
解剖学者、著書「バカの壁」
で有名な養老孟司さんとの
3回に渡る対談が掲載されています。
養老さんは大の虫好き。
そんなお二人が、
人・自然・こどもー
についてたくさん話しています。
「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」
公開後のタイミングで作品についても
触れられています。

『見どころ』

なんといっても宮崎監督の書き下ろし
「養老さんと話して、ぼくが思ったこと」
がおもしろくて、憧れる。
イラスト漫画が22ページも掲載されています。
ジブリ美術館に通じる子どものための施設
への考え方や理想の建築物、
老人のための憧れの街づくりが、
宮崎さんの絵と言葉で語られています。
「こんな場所にいきたい、こんな場所で暮らしたい」
そう心から思いました。
こんな風に歳をとって暮らせた
幸せだろうなと思わされます。
ぜひ、ご一読を。
おすすめはジブリ美術館に行く前に
本書を読んでおくことです。
ジブリ美術館へ行ったとき、
見える景色が変わります。

『ハード版と文庫版』


ハード版が2002年7月31日発行、
文庫版が2008年2月1日発行。
文庫版には宮崎監督の書き下ろし
「見えない時代を生き抜く」
が追加されています。
ハード版は読みやすいです。
文庫本は書き下ろしがあるし、
結局2冊購入してしまいました。
だってどちらも表紙が
それぞれ素敵ですし。

『読書感想』

「脳化社会」を僕らは生きている。
脳が喜ぶ消費を煽るコンテンツが増えている。
ここで語られることは、
「人間の野生を呼び覚まそう」
ってことなんだと思う。
人間も自然の一部である。
それを忘れてしまったから、
おかしなことになっている。

テクノロジーも都市も人間も、
自然と共に生きていく。
そうすることで、
子どもが子どもでいられる。
好きなことやって、世界を冷静に見る。
そんな「眼」が持てる。
おふたりのような大人で在りたい、
ぼくはそう感じました。

『言葉の燈たち』

ぼくはその根本に、
人間と自然の関係が変わった、
つまり自然を敬わなくなったからじゃないかと、
勝手に妄想を膨らましたわけです。
もちろん地域によって格差はあるだろうし、
この森を残さなきゃとか、
この木を切ったらタタリがあるという
伝承も残りましたけど、全体として、
やはりこの世界の主人公は人間であると、
関心は人間同士のほうに
移ってしまったんじゃないかと

ぼくは自分を回復するため、
山小屋にこもるわけです。
最初の10日くらいは、散歩に行っても、
目に幕がかかっていてよく見えないんだけど、
ある瞬間を境に、突然、
自然や風景じかに頭の中に
飛び込んでくるようになるんですね。

都市というのは寸分の狂いもなく、
垂直線と水平線しかないでしょう。

火を原子炉の中に閉じこめたり、
見えないところで使うようになった結果、
火も抽象的なものになりかかっているんですね。
蛇口をひねればお湯が出てくるものだとか。

少なくともぼくらの現場に関しては、
かなり深刻な問題です。
本人たちはみんな真面目で気がよくて、
実に優しいしいい子たちなんだけれど、
一方で信じられないくらいに、
生きていくための武装に欠けている

ー。
そのまま30歳になって、
大人になるのを拒否している。
だから、ぼくが子どものために
映画を作ろうといっても、
若いスタッフの士気が上がらないんです。
だって、みんな自分の子どもがいないんだもん。
子どもがいなくって、いつまで経っても
自分のために映画を作りたいんですね。

映画をみて人間が変わるくらいだったら、
ヒトラーだって世界を征服していますよ。
これで世の中が変わるだろうなんて
自分たちの仕事を考えるのは、
傲慢の極みだと思っています。

文部科学省の新任教師の研修によばれて。
なんとその話題が、いじめをなくすとか、
落ちこぼれを作らないとか、
全部人間関係に終始している。
ぼくが期待していたのは全然違う話で。
ー。
だって400人が自由に討論したんですよ。
その結果が全部人間関係についてなんだから。
別の言い方をすれば、
子どもは置いてけぼりなんだけど、
そのことにも一切気づいていない。
それはそうでしょう。
だって船に乗ってても海も見てないんですから。
波なんて見たってしょうがないと思っている。
でもその波こそが世の中そのもので、
無意味に動いているものでしょう

からだを使いたいというか、
肉体を取り戻したいというような気配が、
ぼくらのような職場にも現れているわけだから、
今や日本中で求められているんだろうと思いました。

だいたい松が多いところというのは乾いている。

今の日本人が自然を大事にしなくなったんじゃなくて、
ずーっと大事にしてこなかったんじゃないかって。
そうです。
ただそれだけ削っても自然が丈夫だったにすぎない。
ところが、現在のブルドーザー式はダメです。
あれでは自然が追いつけない。

その自然をある節度や基準を持って受け入れる
ことこそが「手入れ」の感覚で、
日本人の基本的な習性の一つとして
備わっていると思うんです。

この島の環境が日本人に与えた影響というのは、
予想以上に大きいものです。

思いつき半分の極論になりますが、
ぼくは地球の地殻変動や自然災害というのは、
人間の営みとは全く無関係じゃないと
どこかで思っているんですね。

人間社会の行きづまりなんかと
ちゃんと繋がっているんじゃないかって
気がしてしかたがない。

ぼくは山小屋に行くと飯の量が減るんです。
それでも山小屋にいる方が調子がいい。
人間の健康なんて食事の問題じゃないんです。

アメリカの経営者に会うと、
みんな揃いも揃って絵に書いたようですよ。
毎日ジョギングを欠かさなくて、
歯並びが良くて笑顔が絶えなくて、
初対面で相手にガーって握手して、
こいつらは何やっているんだろう
って思いますよ(笑)。
ところが二人きりで雑談していたら
突然子どもの教育の打ち明ける。
われわれの悩みと全く一緒。
けれど仕事の仲間とはこういう話ができない。
弱みを見せられないという。

脳化社会」
あ、これはすごい言葉だ、
本当にそうだなと。

「となりのトトロ」
なぜ、あんなに受けるのか。
大げさに言うと、
一種の普遍を提示しているからです。
そうしないと、変化ってわからない。

言葉にしたくない、
っていうのはありますね。
そうなんです。
だから作品を作っているんでしょう、
おそらく。

宮崎さんの作品が時代に動きというものを、
むしろ提示してしまっているのは、
止まって考えようとする日本的なものの本質とか、
そういうものを出しているからだ
という言い方になるんだけど、
そう言いたくないんでね(笑)

アニメーションは基本的に
目くらましの技なんですが、
人間の感覚とか、
脳みその性質を利用するわけです。

テーマとかメッセージでものをみるというふうに、
いつからか思い込むようになったみたいだけれど、
うそですよ、そんなの。

やっぱり、次にどこへ行くかという
問題なんだろうと思います。

哲学では本来、頭の中にある観念的なものが実在する
という考え方がリアリズムなのです。
一緒のプラトン主義ですけど、
観念が実在していて、
ここの具体的な事物からどうやって
実在感を起こしてくれるか、
というのがアートです。

最後に正義が勝つ。
それでは、どこかのテロリストと
正義の味方しか知らない世界に生きる
人たちと同じことになる。
そういう世界で映画を作る気は
さらさらないんです。

結局、消費は充分堪能しているんですよ。

覚えていない世界を作るには
どうしたらいいかって考えた。
要するにその世界では人間は影なんです。

子どもが子どもでいられない。
そんな時代は、
そろそろやめにすべきであろう。
虫採って、
アニメ見て、
将来の夢を見ていれば、
それでいいのである。
それをわざわざ、
ああでもない、
こうでもないと、
ていねいに殺しているのが、
大人なのである。

いまは、
好きにやっていくのがとても難しい時代です。

世の中とは、
いつもどこかおかしいものなのでしょう。
「おかしいねぇ」ち言いつつ、
好きなことをやっていこうと決めている、
それが養老さんだと思います。
(文庫版あとがきより)

背表紙


最後まで読んで下さりありがとうございました。

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