それのどこがDXなの? 変革の話をしたいのにITの話になってしまう理由
なぜこれほどまでに繰り返し主張されているにも関わらず、未だにDXは変革の一種であると認知されないでしょうか。
なぜ変革の話をしていると
「それのどこがDXなの?」
「いつデジタルが出て来るのか分からなくて、何の話なのか理解できなかった」
と言われるのでしょうか。
ITだけで成し遂げられる変革なんてない
例えば従業員の高齢化で若返りが経営課題になっているとして、対策としてジョブ型雇用にしたり年金制度を変更したりします。それと共に知識継承としてナレッジマネジメントやコミュニケーションのITツールを導入します。これはDXでしょうか。
DXの側面もありますし、アナログな変革でもあります。
そもそもデジタルのみで成し遂げられるような変革は稀で、過去の経緯を受けたビジネスプロセスや、未来志向と既得権益のバランスや、変化に臨む人の心や、そういった多面的な視点を考慮する必要がある、その一面がデジタルであるに過ぎないのです。
SXの分かりやすさ、DXの分かりにくさ
例えば対比として、昨今の社会課題であるSX (Sustainability Transformation) を考えてみましょう。
SXのスコープは様々で、地球温暖化防止やサーキュラーエコノミーを目指している取り組みもあれば、SDGsのごく限られた項目への取り組みをSXと称していることもあります。いずれにせよSXがDXより分かりやすいのは、大きなゴールが明確なことです。どの程度現在のビジネスを変革させるかは難しい問題であるにせよ、いきなり議論が始められます。
一方DXは、こうなったらゴールという一般的な定義がありません。技術分野としてのデジタルに言及されているのみですし、しかも最も重要なはずのキーワードである「デジタルとは何か」すら定義がないのです。ですからいきなりDXを議論しようにも、ゴールも手段も明示されないまま何を話すのか途方に暮れることになります。
その意味では、SXはTransformation for Sustainabilityであり、DXはTransformation by Digitalなのだと思います。SXはゴールが定義されていますので、これを経営課題の上位に位置付けるかどうかの判断が重要です。DXはゴールである経営課題の設定自体が重要であり、その課題のうちデジタルが寄与できる部分に取り組むことになるという構図です。
ここまで読んで頂いても、きっと異論は出ないでしょう。ではなぜDXというとき、過度にIT (特にAIのような先進的なIT) が意識されるのでしょうか。
ITに自信がないことが認知を狭窄化させる
ひとつには、AIなどの技術が過剰な期待と不安を煽っていることがあるでしょう。そのセンセーショナルな扱われ方のせいで、先進的なITに対して身構えてしまうのは致し方ありません。
よく分からないという不安を抱えたままDX専門家の話を聞いてしまうと、自分の知っているトピックが出て来るのを今か今かと待ち受けてしまいます。そんな心境では、ビジネスの背景や変革に関する話は、先進IT適用のためのイントロにしか聞こえません。なぜこいつは早く本題に入らないのか。どうやれば自分の組織でAIが活躍できるのか。そういう耳で聞いているとすると、冒頭のようなリアクションはいかにも自然な感想と思われます。
ではDXの専門家は何を考えているのでしょう。
ITは非常に広範な技術分野です。そのときそのときで流行りのソリューションはあるにせよ、本来は人間の知的活動や機械が関わる多種多様な状況、バーチャル世界のほぼ全ての要素、更には人の感情にも影響を与えることができる、驚くほど雑多で深淵な領域をカバーしています。だからこそ、ゴール設定をしないと技術が選べないのです。「何ができるんですか?」「何がしたいんですか?」という不毛なやり取りは世界中で行われていますが、特にITで起こりやすいのはそういう理由です。
話をややこしくするITベンダーの存在
ここに、事例をフックにしてソリューションを売り込んでくるベンダーが現れるので状況がややこしくなります。他社の華々しい成功を分かりやすく説明し、いかにこのソリューションが世界を席巻しているかを力説されると、確かに自社にも必要な気になってきます。本当は経営課題の上位でなかったとしても、乗り遅れるわけにはいかないという気持ちからソリューション導入を決めてしまうこともあるでしょう。
こんな説明をしょっちゅうされていると、いざ目の前に現れたIT屋が、落としどころのない、簡単な答えのない苦しい議論をしたがっていると思わず、つい「それでお勧めのソリューションは?」と聞きたくなる気持ちは十分に分かります。しかし本当のDX専門家はベンダーの片棒を担ぐ回し者ではないので、そういう話がしたいのではありません。広大な選択肢から真に役立つものを選ぶため、更に言うならそれを通じて会社の変革を実現するために問題を設定しようとしているのであって、契約が取れれば儲かるITベンダーとは全く異なるモチベーションで臨んでいるのです。
過度に期待と不安を煽り、あるいは過度に単純化した話で本質を覆い隠す行為がDXの理解を妨げているのだとしたら、そういった活動をする人々、すなわちコンサルやベンダーがDXの敵だということになります。2018年の経済産業省の『DXレポート』すら、この過ちに陥っていました。このレポートのなかで、基幹系システムの刷新がDXの本命だという印象を与えてしまった点であり、2020年の『DXレポート2』では反省の弁が見られます。
もちろんコンサルやベンダーにも誠実なプレイヤーが存在すること、社内のDXの機運もそういう世間の盛り上がりにプラスの影響も受けていることなど、彼らの全てが悪いとは言い切れません。しかしIT産業が昔から、ダイエットや英会話と同列の、劣等感に付け込む “コンプレックス商法” を多用してきたことを考えると、温かい目で見られないのは致し方ないのではないでしょうか。
ではITへの理解が進めば解決なのか?
さて、悪者を作って終わりという無責任な論旨を展開したかった訳ではないので、更に先に進みましょう。
仮にコンサルやベンダーの脅しや甘言に惑わされないくらい、先進的なITへの理解が深まったとしましょう。そのとき「それのどこがDXなの?」「いつデジタルの話が出て来るのか分からなくて、何の話なのか分からなかった」という台詞は撲滅されるのでしょうか。
非常に心許ないと言わざるを得ません。
それは結局、変革というものの難しさに起因しているからです。
つまり、普通に考えて、誰も変革なんてしたくないのです。
昨日までやってきたことを今日もやり、明日もやる。会社がそれなりにうまくいっているのに、なぜそれでは駄目なのか。この問いに真っ向から答えられない限り、変革は成功しません。この問いに答える前に手段を提案しても、誰にも響かないし、手段が目的化した本末転倒な人だと思われます。
そう、既にDXが本末転倒な活動だと思われているので、「いつデジタルの話が出て来るの?」と聞かれてしまうのです。
変革の意思を持つのは簡単ではない
もし話の聞き手が変革に対して強烈な切望感を持つ場合、議論の中心は変革の方向性や総合的な実現性が中心になり、デジタルは小さなトピックのひとつになります。逆に聞き手が変革に関心がない場合、話は提案されたソリューションのROIなど判断の話になり、本質的な議論は行われません。後者のマインドセットに対して前者向けの話をしたときに、趣旨がよく分からないと言われてしまいますし、実際に多くの人はこちら側なのです。
これは、DXのような新しい投資への余力がある企業はしばしば業績好調であり、だからこそ心の奥底で現状への肯定感を感じやすいことを考えれば、変革への切迫感がないことは決して安易に非難できることでもありません。サッカーの格言に「勝っているチームはいじるな」というものがありますが、将来の変革を見越して打った手が現在の好調を損ねるリスクは確かに無視できないということも、この態度を後押しするでしょう。
しかし、会社が傾いてからでは間に合いません。
既に投資余力は失われ、優秀な人々が逃げ出した後になってから、変革の意思のみで会社を立て直すのは非常に難しい。
つまり、うまくいっているときには変革への強い意志は持ちづらいし、かといっていよいよ駄目だとなってからでは遅いのです。
そこで仕方なく、心ある人々は、投資余力があるうちに何とかしようと、うまくいっているにも関わらず将来に対する不安を投げかけます。本当にいまのやり方でいいのか。未来の競争環境や市場環境は安定しているのか。他社に先んじて打てる手はないのか。他業界で起こっている激震は当社に関係ないのか。こういった働き掛けが、先に述べたコンプレックス商法とほとんど同じ主張になってしまい、コンサルやベンダーと歩調を合わせる回し者に見えてしまうのです。
センゲは著書『学習する組織』の中で、「人は変化に抵抗するのではない。変化させられることに抵抗するのだ」と言っています。それを考えれば、DX専門家が変革を提案するのは不毛であり、不要です。変革の必要性は自らの内側から湧き起ってもらうものであって、高説を垂れて納得させるものではありません。早く気付いてもらおうとホラーストーリーを力説すると煙たがられるうえに、ベンダーの一味と見做され信用を失うので、有効ではありません。こうして提案者の高い志が徐々に折られ、DX専門家は個別のITソリューションをお勧めする便利屋になっていくのです。
やはりDX推進の難しさを再認識したのではないでしょうか。少なくとも筆者は改めてそう感じます。
DX専門家が現場にいれば万事解決とはいかない
ここで、世間で言われている解決策にも順に触れておきましょう。まずは、DX担当者がビジネス知識を十分に持つケースです。
前述のDX専門家は、よくある本社の専門組織をイメージしていました。それに対し、ビジネス現場の人をDX担当者にアサインする方法もあります。ビジネスの詳細が分かれば机上の空論で遊んでいる本社のチームよりよかろうというロジックで、一見すると確かに説得力があるように思えます。
しかし実際には、DXの本質が分かっていくうちに段々と理想と現実の間のギャップを感じるようになり、本社組織と同様の構図に陥る傾向があります。なぜかと言えば、現場が現地現物、目の前の効率や働きやすさを重視するのに対し、デジタルは抽象化と横展開、あるべき姿からのバックキャストを重視するからです。現場が戦術を考案するのに対し、デジタルは戦略的な思考を要求すると言ってもいいでしょう。確かに現場の知識があればDX戦略策定にも戦略から具体策への落とし込みにも大きな力を発揮できます。ですが問題なのは、しばしば現場に戦略がないか、戦略策定の権限がないことです。それがなければ、本社より更に気の利く御用聞きが現場近くにできるだけであり、変革はむしろ遠ざかるでしょう。
戦略の本質は変革:戦略とは別に変革プランを立てるのは筋違い
もうひとつ重要な論点は、経営陣のイニシアチブです。
ここで「経営陣は〇〇をしなければならない」「経営陣は常識として当然〇〇を知っているべきだ」というのは簡単ですが、その種の言説はしばしば空虚に響きます。経営陣には上司がいる訳でもないですし、指名委員会がそういう基準で選ぶとも限らないからです。経営陣は自らを定義しないといけないですし、だからこそ経営陣として参画するChief Digital Officerに大きな役割が期待されています。
ですが考えてみてほしいのは、変革とはそもそも経営戦略の本質ということです。来年も今年と同じ活動をするなら、戦略は要りません。これまでと異なるゴール設定やリソース配分を行うために戦略が策定されるのです。したがって、経営陣が変革を考えていないとすれば、その企業に経営戦略がないということであり、つまりオペレーションしかしていないということですから、一般的には考えにくいでしょう。それよりは、経営陣以外のメンバーに戦略の意図が伝わっていないと考えるべきです。
ですから、仮に経営陣から「いつデジタルの話が出て来るのか分からなくて、何の話なのか分からなかった」と言われたとしたら、会社として変革が念頭にないか、DX専門家が経営陣の志向する変革の中身をよく理解できていないということです。あるいは、変革なり戦略なりの議論をするに足りない相手だと認識されている可能性もあります。
DXは本当のゴールが設定できたら進捗の八割で、暗中模索は想定内
ここまで考えてくると、冒頭のような反応が何に由来するか見えてきます。いずれにしても根の深い問題であり、何かシンプルなアクションで解決できるものではありません。ビジネス側はコンサルやベンダーに惑わされない高いITリテラシーと、外部環境に対する鋭敏な感性、そしてあるべき姿を描く問題意識。DX専門家はITの広く深い知識・経験と、戦略からビジネス現場までの理解。そしてお互いを議論のパートナーと見做す信頼関係。経営陣の変革への意思と方向性。これらが満たされて初めてDXは本格的に進捗し始めます。それまでは、体制整備や小規模なプロジェクトの実施も含めて準備期間と捉えた方がいいのかもしれません。
DXは、本当のゴールが設定できたら進捗の八割といいますが、その言葉の重みが改めて確認できてしまいました。しかし、仮にDXが変革の一種であると認知されていないとしても、希望を失うにはまだ早いと思います。DXが非常に難しい活動ということはこれまでのデータが十分に物語っていますが、うまくいくときだって最初から手応えがあるとは限りません。目前の頼りない現状だって、実は将来の大きな成功の礎になっているかもしれないのです。