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未来予測にはビジネス面での価値があるのか?

未来予測は当たらない。専門家でも本当に当たらない。

未来予測はなぜ必要なのでしょうか。

ノーベル平和賞受賞者のノーマン・エンジェルが「戦争のコストは高すぎるため、ヨーロッパ全般の戦争は非常に起こりにくく、起こったとしても長続きはしない」と語った、そのわずか5年後に第一次大戦が勃発しました。生物学者のポール・エーリックが「今後10年間で、少なくとも年間1億-2億人が餓死するまで死亡率は上昇する」と予言したのは1970年ですが、ついにそんな事態は訪れませんでした。IBMの社長トーマス・ワトソンは1943年に「コンピュータのマーケットは世界で5台くらいだろう」と言ったとされていますが、その予想があまりに的外れだったことは今となっては明白です。ダン・ガートナーの著した『専門家の予測はサルにも劣る』では、専門家の予測がことごとく外れる様子が描かれています。最大限ひいき目に表現したとしても、未来予測が全て当たると期待するのは難しいというのは明らかなようです。


では未来はまるで見えないのでしょうか。未来予測は完全に無意味なのでしょうか。


未来をうまく予測する手法はいくつかあります。最も有名なのはフィリップ・テトロックの『超予測力』でしょう。ネイト・シルバーの『シグナル&ノイズ』も似たような論調ですが、要するに物事を一面的・断定的に見ている限り、未来予測は外れるのです。サイコロを振るより外れます。米国の大統領だったハリー・トルーマンが「片腕の」経済学者を連れて来いと言ったのは有名ですが (経済学者がすぐに「一方で」(on the one hand)と言った後に続けて「他方では」(on the other hand)と言うのが気に入らなかった)、研究結果を見る限り、そんな都合のいい存在に頼ってはいけません。両面を見ない専門家の予測はあまり意味がないのです。では多面的・確率的に見れば十分なのかといえば、確かに精度は上がりますが、信じてそれに賭けられるほどにはなりそうにありません。

ですから、未来予測を信じてはいけません。信じずに役立てねばならないのです。


いま自分にできることを考える難しさ

さてここで思考実験をしてみましょう。

あなたはいま、日本橋で自転車に乗っています。舗装した道路を軽快に走れる、お気に入りの高級な機種です。実はいま、遠く西の方に目的地があると言われて、旅の準備を考えています。さて、あなたができることは何でしょうか。

ヘルメットとウェア。着替え。パンクをしたときの応急キット。ライト。鍵。水と食料。お金。スマホ。モバイルバッテリー。怪我をしないように準備運動もできるでしょうし、あらかじめ友人と連絡を取っておいて、旅先で食事を楽しむこともできるでしょう。

さてここで、漠然と西の方とされていた目的地が明らかになります。


ローマ。

……ローマ⁉


さて、あなたができることは何でしょうか。

少なくとも言えることは、あなたの走っている道はローマに通じてはいないので、いくら自転車を漕いでも目的地には着かないということです。

そうなるといろいろ考え直さなくてはなりません。飛行機はどの空港から出るのか。チケットはいくら掛かるのか。この自転車を売ったら足りるのか。足りなければアルバイトをするのか。

ここで気付いてほしいのは、不思議なことに、目的地が見えていないときよりもあなたにできることが増えていることです。正確には、目的地が分かって初めて、自分にできることがもっとあったことに気付くということです。


予測は正確だから役立つのではない。想像力を喚起する道具である。

ノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローは面白いことを言っています。「司令官は、予測が役に立たないことを十分承知している。しかし、計画立案のために予測が必要なことも承知している」 つまり、予測は、それを信じて従うにはあまりにも当たりませんが、視野を広げて計画を立てるのには有用なガイドなのです。


予測が当たらないのなら、複数の予測をすればいい。複数の未来予想図がどこで分岐するのか、その主要な要因は何なのか。石油会社のシェルは、起こりうる複数の未来をシナリオ・プランニングという手法でまとめ、オイルショックを切り抜けて同業他社との逆転に成功しました。これが未来予測を信じずに役立てる姿勢です。未来を考えて現在の行動を決めるという “バックキャスト” のお手本として良いでしょう。


ちょっと待ってほしい。そもそも計画は必要なのか?

なるほど、未来予測は計画立案のために必要かもしれません。ここまでは譲歩しましょう。では本当に計画は必要なのでしょうか?

戦略の文脈では、創発的戦略や戦略不要論など、計画通りに事業を進めることの困難が久しく叫ばれています。プロジェクトでいえば、事前に計画して後で遂行するという進め方がほぼ不可能であると渋々ながら世間は認めつつあり、いまやアジャイルの優位性は明らかです。新規事業では、あらかじめ顧客のほしいものを明らかにしておいて、後はそれを作るだけ、そんな幻想はもはや誰も抱いていません。むしろ行き過ぎたデザイン思考をとがめる主張が出ているくらい、緻密な計画が役に立たないのは常識になっています。このように様々な分野で、計画を杓子定規に守ることの意義は完全に薄れてしまいました。VUCAの時代に重要なのは、実行と学習であって厳密な計画ではないのです。


では計画は不要なのでしょうか。

ここで先ほどのケネス・アローのセリフをもじって言わせてください。「経営者は、計画が役に立たないことを十分承知している。しかし、資源配分のために計画が必要なことも承知している」 計画がなければ、資源配分が決められません。意思決定もできません。数人で資源配分とビジネス遂行を全て行うようなスタートアップなら、計画は要らないでしょう。しかし大企業においては、どこにヒトやカネを分配するのか、最低限は事前に決めねばなりません。予算はBeyond Budgeting Model (年間予算の立案をしない経営形態) で今より柔軟になりうるとしても、配分の意思決定自体は残るでしょう。人材の採用を考えるにも最低限の計画は必要です。


未来予測に関して、信じずに役立てるべきと言いました。それと全く同じ構図で、計画も信じずに役立てないといけないのです。別の言い方をするなら、資源配分の意思決定が可能になるための、必要十分な粒度の計画を立案すべきなのです。それ未満では有用でないですし、それ以上は無駄になります。意思決定の速度に追随できる計画立案でなくてはなりませんし、資源配分を決定するに足る内容でないといけません。


未来予測も計画も、用途が明確なら役に立ちます

今回は、しばしば有用性を疑われる未来予測を起点に、多大な工数を割いている計画立案や追跡に関しても、改めてその意義を考察してみました。盲信せず便利に使うべしというのが結論です。

こういう態度ですが、実際には簡単なようで難しいと思います。意思決定のために計画があり、計画立案のために未来予測がある。頭では分かっていても、いざ作業したり調整したりが大変になってくると、その結果が大切に思えてくるからです。経営陣にとっては手段でも、ミドルマネジャーにとっては目的になってしまうこともよくあります。だからこそ、あくまで目的と手段の関係として、主客逆転しないよう意識しないといけないと思っています。

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