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これからはエコシステムの時代?
これからはエコシステムの時代?
個人的な感覚ですが、エコシステムという言葉にピンと来ません。
そもそもエコシステムとは生態系という意味で、生物が様々に関わり合って生きたり死んだり代謝されたりする話です。全ての生物は何らかのエコシステムに所属していますから、生物学をかじった者にとって、エコシステムとは過去・現在・未来に亘って常に存在する当たり前の概念です。
それを、ビジネスの文脈で「これからはバリューチェーンでなくエコシステムの時代だ」と言われたとき、何というか、当惑してしまいます。
もしも生物におけるエコシステムをそのままビジネスに適用するなら、企業というものは他の企業や消費者、政府や自然環境など様々な要素の中で活動していて、それをひっくるめてエコシステムと呼ぶべきです。つまり、これからも何も、太古の昔より商売は全てエコシステムの中で行われてきたのであって、エコシステムに属さない限り生産も消費もできないのです。
もちろん生物学にももっと単純な概念があります。例えば “食物連鎖” は、一直線に食う・食われるを考える単純な構図にしたもので、捕食者と被食者が数珠つなぎに並べられ、その頂点にライオンやオオワシが君臨します。実際には非常に複雑な食性の生物も存在しますし、細菌などを考慮に入れると直線関係からほど遠くなりますから、エコシステムの一部を分かりやすく取り出した説明と解釈すべきでしょう。
同じように、ビジネスにおける直線的な関係性は、もともと存在するビジネスエコシステムのうち、バリューチェーンやサプライチェーン、エンジニアリングチェーンなど単純な構図を取り出して説明したもので、元からエコシステムに内包された関係だったのです。
という訳で、企業が複雑な関係性の中でビジネスをしているのは昔からですから、エコシステムという概念に新味はありません。
では何が「これから」なのでしょうか。
インターネットによって取引コストが激減している
ひとつは単純に、取引に掛かる手間やコストが激減していることです。
インターネットが登場する前、書籍を買おうと思ったらどうしていたか思い出せるでしょうか。そもそもどんな本が勉強になるのか、先生に聞いたり講演を聞きに行ったりしていました。その後実際に書店に赴き、狙いの在庫がなければ取り寄せます。一週間経って入荷の電話をもらい、再度書店に行ってようやく入手という流れだったような気がします。しかし今は、オンデマンド講義や書評の口コミでどれにするか決め、e-コマースで注文すれば翌日には届きます。それどころか電子書籍なら、購入ボタンを押した1分後には読み始めることができるのです。
こういう環境が実現した結果、細々とした製品やサービスを試したり購入したりするハードルがぐんと下がりました。これまでは比較や取引が面倒なので、まるっとパッケージになった製品やサービスを有名な大手から購入していましたが、どんどん試しすぐ変えられる体制になるにつれて、細分化した製品やサービスを組み合わせて使うことが可能になりました。もはやチェーンという直線的な関係ではとても整理しきれない複雑な組み合わせを、複雑系の代名詞としてエコシステムと呼びたくなる気持ちは分からないでもありません。
ビジネスが身軽になってきた
そしてもうひとつは、そういった外部サービスを使ってオペレーションを行うことで、企業の社内に持つべき必須の機能が小さくなっていることです。人事、経理、販売、製造、様々な機能は世界中の企業が提供しています。その中で自社が持つべきリソースはコアな活動部分に絞り、一般的な機能は持たなくてもビジネスができます。
そうなっていると、実はビジネスを変えるのも簡単です。自社の製品に新たなサービスを付加する、これまで視野の外だった市場にアクセスするといった施策は、新たな外部サービスを契約するという形で実現できるようになりました。
それだけではありません。取引コストが下がり新規事業が容易になるということは、自社もインターネットでサービスを提供する側に回れることを意味します。
こうして、顧客だった企業は気が付くと競合になったり、顧客は気が付くと自社をスキップした全く別のサプライチェーンを構築していたりといった状況が現れます。
上述の状況を端的に表そうとするとき、「これからは各企業の役割が明確で固定的な見方をしていてはダメですよ、取引コストが下がって小さなプレイヤーの存在感が増しますよ、自社も新たなビジネスへの進出が容易になりますよ」と言うよりも、「これからはエコシステムの時代ですよ」という方が分かりやすいのは確かでしょう。
外来生物の例えとも合致する
そういえば生態系といえば、頭に浮かぶトピックは外来生物です。
これまでその地域にいなかった生物が外部から持ち込まれるとき、天敵がいなくて爆発的に繁殖し、在来種を駆逐してしまう。そんな例は枚挙にいとまがありません。
おそらくビジネスでも同じことが起こっています。
これまで存在しなかったビジネスモデル (本当に新しいのか海外の真似なのかはさておき) を備えた企業が出現し、在来の企業はなすすべもないまま破綻に追い込まれる。動物ならワシントン条約が守ってくれるかもしれませんが、企業はそうはいきません。そのまま新興企業が定着し、エコシステムは変化した状態で固定してしまいます。以前は経営環境が安定していて、競合対策に集中していればよかったところ、いまは社会の様々な動きに鋭敏でないといけません。これも「これからはエコシステムの時代ですよ」という台詞が当てはまるのでしょう。
他の分野から拝借した概念をビジネスに活用する
さて、最初にエコシステムという言葉にピンと来ないと申し上げましたが、内容的には思ったより共感しているような気もしてきました。では何が気に入らないのかといえば、自分の背景であるライフサイエンスから借りてきた言葉を、さも新しい概念のように押し売りするキャッチコピーが癇に障るのかもしれません。しかし、むしろこの言葉を逆輸入し、より深い理解をもって自らの活動に活かすというのが謙虚で知的な姿勢なのではと、この稿を起こして気付きました。
ビジネスには異分野からの借り物の言葉が多くあります。戦略といえば戦争からの輸入ですし、エコシステムやニッチは生物学。モーメントやダイナミクスは物理学から来ているでしょう。もしかすると、こういった言葉の元の意味や背景をよく理解している人は、ビジネスだけを学んだ人よりも有利なのかもしれません。その言葉の真意や広がりはもちろん、概念が登場するまでの世界観の推移、パラダイム (これは科学哲学用語) が移るまでの議論などは、単に結論のみを聞くより遥かに深い示唆を与えてくれます。そういった、表面的な知識を超えた理解のレベルに達している分野こそが、ビジネスにおいても個性や強みになるのかもしれません。
ちょっとした愚痴から始まった本稿ですが、案外といい話にまとまったので今日はこの辺りにしておきたいと思います。