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のんびりした企業の良し悪し? 基準の高さと心理的安全性
のんびりした社風というのはいいものです。過大なプレッシャーがないのでストレスも小さく、リラックスしているので本音も話しやすい。雑談から生まれるイノベーションもあるかもしれません。従業員の満足度も高いような気がします。
一方で、ホワイトすぎる企業では若手が成長の機会を求めて辞めてしまうことがあるというように、“成長教”と呼ばれるような人々からすると、のんびりとした社風は耐え難いものがあります。
のんびり: 心理的安全性・基準の高さ
石井 遼介『心理的安全性のつくりかた』には、縦軸に心理的安全性、横軸に仕事にどれほど高い基準を設定するかを設定した、2×2マトリックスが出てきます。ここでは「のんびり」を左上の「ヌルい職場」に置いて考えてみたいと思います。
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(出典: 石井 遼介『心理的安全性のつくりかた』)
まず縦横の軸について考えてみます。
縦軸の心理的安全性は、Googleのプロジェクト・アリストテレスで有名になりました。心理的安全性が高い方が、チームが効果的に働けることが判明しています。誤解されがちなのは聖徳太子の「和を以て貴しと為す」と同じなのですが、波風を立てないように我慢して温和な空気を作ることではありません。妥協せず納得するまで話し合って協調に至るのが聖徳太子の意図ですし、それを可能にするための、様々な意見を言っても問題ないという相互信頼が心理的安全性なのです。
一方の横軸はどうでしょう。GoogleはOKR (Objectives and Key Results) という仕組みを採用しており、容易には達成できないような高い目標を設定しています。日本企業に多いMBO (Management by Objectives) と異なるのは、OKRは業績評価のツールではないということです。MBOの場合、目標の達成度が業績評価になるため、従業員は高い目標を立てると損をするという構図になり、委縮する傾向にあります。一方でOKRは業績評価には使われないので、積極的に高い目標を決めることができます。ちなみにGoogleはNo Ratingという制度を導入しており、社員の業績を相対的に評価すること自体を止めています。
基準の高さには個性が出る
さて、のんびりを論じる本稿としてまず気になるのは、誰がどういう理由で基準を高く設定するのか、ということでしょう。
例えば株主が高成長を要求し、経営陣がそれを実現するために目標を高く設定することで、カスケードダウンされた高い目標が各職場に設定される、という構図は容易に想像できます。似たようなモチベーションで、昇進やボーナスを求めて高い目標設定をする個人や上司がいるケースも多いでしょう。
他の形はどうでしょうか。崇高なパーパスを掲げた企業に志の高いメンバーが集まった場合には、何の議論もなく高い目標が設定されると思います。
そういえばフィクションの世界では、メンバーの目標の高さの違いからドラマが生まれます。それまで楽しくやっていた野球部に甲子園を目指す新入部員が現れ、当初は迷惑に思っていたものの、次第に熱量に感化されて一人ひとり本気を出し始めるといったストーリーは定番ではないでしょうか。
一方で実際の企業では、変革に燃える社長や役員が社外から登用されたものの、笛吹けど踊らずといった態で、何も変えられないまま辞めていくケースもあります。2020年のデータではありますが、IMDが調査したChief Digital Officerの平均在任期間は、たったの31か月です。
以前の稿で、DXを駆動するのは愛社精神だと述べました。しかし、いくら愛社精神があっても理想が低ければ何も変わりません。ありのままの自社を愛し、成り行きに身を任せるのみです。ですから、愛社精神だけから高い目標が出てくるとは言えないでしょう。
逆に、会社として高い目標に向かって邁進しないケースも気になります。
よく日本企業ではイノベーションが起きない理由に、過剰なガバナンス・コンプライアンスや前例踏襲・他社事例主義が挙げられますが、それは裏を返せば、成長しようというアクセルが踏まれていないので、相対的にブレーキが強く効いてしまうともいえます。
そもそも、個人として高望みをしない人がいるように、会社として現状維持を望むのを止めることはできません。米国のようにハングリーに成長を追求するだけではなく、欧州のように豊かな精神生活を求める権利だってあるはずだからです。
こうやって見てみると、会社にも個人にも様々な性格があり、事情や環境がありそうです。その結果として目標を高く設定するかどうかが決まるとすると、一律に良し悪しで語るのは難しそうです。
のんびりからイノベーションが生まれる?
さて、高い目標を設定しない、のんびりとした雰囲気にメリットはあるのでしょうか?
「のんびり」の反対語はいろいろあると思いますが、そのひとつは「あくせく」でしょう。「ギスギス」もそうかもしれません。先ほどのマトリックスでいうなら、右下の「キツい職場」が典型です。高い目標を設定し、ガチガチに管理され、同僚は助け合うより競い合う相手。他人に隙を見せたら脱落するという世界観です。決められた目標を短期で達成するのに向いているため、よくあるのは、短距離走を何回も繰り返し、最後まで立っていた人が出世するという構図ではないでしょうか。
この仕組みは長い目でみると迷走しがちなのですが、創業者やその一族のような長期的視野を持った経営者が存在すると、バランスが取れてうまく経営できてしまいます。結果として、クリエイティブな企画は経営陣のみが行い、従業員はすり減るまで働くという構図に陥ります。
のんびりした左上の「ヌルい職場」は、そんなことはありません。確かに高い目標に駆動されることはないかもしれませんが、日々の業務を遂行する以外にも、クリエイティブな人には創意工夫をする余裕がありますし、周囲にはそれを受け容れる余裕もあります。つまり、従業員が仕事を楽しむ余裕です。
社会も技術も複雑化し、どんどん変化する社会において、全てを把握し見通せる経営者はほぼ存在しません。特に大企業になれば不可能といって良いでしょう。だからこそ、現場が起点となったイノベーションをうまく取り扱う必要があります。しかし、顧客の発言に含まれるちょっとした違和感や、業務をしていて感じるもどかしさは、余裕がなければ保留され、後回しにされ、忘れ去られてしまいます。こうして、膨らませれば大きくなったかもしれないイノベーションが、日の目を見ずに消えていってしまうのです。
のんびりは「学習する組織」への準備フェーズであり、困ったときの安全地帯でもある
マトリックス右上の「学習する組織」との関係を見てみましょう。
普通に考えれば、「学習する組織」が理想的なのは言うまでもありません。組織として高い目標を掲げ、各人はリラックスして自由闊達に議論し、お互いを信頼し高め合うことで組織の利益と個人の充実を両立することができます。
しかし、必ずしも全ての組織が一直線にここを目指せる訳ではありません。心理的安全性に関していえば、ある人にとって安全を感じる雰囲気が、別の人には攻撃的に感じたりすることがあります。高い目標を掲げるといっても、納得感がなければただの押しつけになってしまい、モチベーションはむしろ低下します。ですから、一歩一歩確認しながら近づいていく必要があります。
忘れてはいけないのは、心理的安全性は一瞬で瓦解するということです。どんなに慎重に積み上げ、メンバー全員が心理的に安全に過ごせる環境ができていたとしても、上司の異動や新規メンバーの加入などで、あっという間に安全を感じられない雰囲気になってしまうことがあります。ですから、このマトリックスで特に気を付けないといけないのは縦軸だと思っています。
それにそもそも「キツい職場」を縦に上がって「学習する組織」に移行するイメージが湧くでしょうか? 成果至上主義のもと、信頼より管理、協力より競争が根付いた職場で、心理的安全性の話をしても鼻で笑われるのがオチです。なぜなら、不信感が充満している余裕のない組織では、不可能なきれいごとに聞こえてしまうからです。
それらを考えると、「学習する組織」を目指すには、まずはのんびり安全な組織を経ることが現実的なのではないでしょうか。マトリックスのどの象限にいるにせよ、まずは縦軸で上にいることを重要視し、可能そうならおずおずと右に移動していく、そんなイメージです。
あと気になるのは、「学習する組織」を保ち続けられるのかということです。VUCAの状況においては、行動規範を高く持ちつつ目標をアジャイル的にどんどん変える必要がありますが、時には変更の多さに疲れてしまうこともあるでしょう。そのときに、いちどのんびり構え直して再スタートの準備をするのも、企業が存続するためには有効かもしれません。緊張の糸が切れたときに全てが瓦解するようでは、持続的な成長は期待できないのではないでしょうか。
職場というより個人の話ですが、緊張の糸が切れるという意味では “成長教” の人たちも心配です。
確かに人生100年、企業の寿命より就労期間の方が長い時代になっています。その中で安定に生活し、あるいはやりたいことを実現したいなら、自分の成長には自分が責任を持たないといけません。
一方で、何が成長なのか見極めるのは、実は簡単ではありません。SNSで同世代の人の成功を見れば、焦る気持ちは分かります。しかし、40歳を「不惑」と名付けた孔子の時代の平均寿命は、現代よりずっと短いものでした。それを考えれば、今の時代にアラサーで自分の方向性を確立するのは難しいに決まっています。成長の実感が得られず迷っているうちに、疲れ果て折れてしまったり、甘い言葉に騙されてしまうのは避けないといけません。ベースにどこかのんびりした気持ちを持っておくのは、リスクヘッジでもあり、レジリエンスのためでもあります。
のんびりの落とし穴: 全員が心理的に安全なのか?
「のんびり」のいい側面ばかりを強調しすぎでしょうか? しかしここで注意点があります。のんびりと見える組織は、本当に全員がリラックスして相互信頼しているのか、ということです。
よくある残念な構図は、マネジャーやシニアの社員はくつろいでいるものの、実は若手や女性など非主流派は我慢して合わせているというものです。その場合には、実は縦軸が下で横軸が左の「サムい職場」なのに、発言権のある人々が認識していないという最悪の状態もあり得ます。本当に不信感が蔓延っている場合には、エンゲージメントサーベイのような匿名調査ですら本音で回答しないため、上層部は本気で気付けないことがあります。こうして、非主流派にとっては必然の、主流派にとっては青天の霹靂の、大量離職が起こることになります。
のんびりは、ベストではないけどすごく悪くもない
いかがでしょう、のんびりした職場の重要性に一理あると思って頂けたのではないでしょうか。それなりに生産性が高く、イノベーションの機会損失を防ぎ、「学習する組織」への土台になるのであれば、ベストではないにせよ否定すべき状態ではないと感じています。その一方で、自分だけが居心地がいいのではないか、自覚を持って過ごす必要はありそうです。