マインドフルネスとは何か① Lotus Radio#2
仏教やマインドフルネスを深く掘り下げつつ、その面白さをわかりやすくお伝えするラジオ 「Lotus Radio」第2回を配信しました!
今回は本編第一回目ということで、「そもそもマインドフルネスってどういう意味なんだろう」というところをおさえるべく、「マインドフルネスという言葉の定義や歴史」についてお話ししました!
よろしければご視聴くださいませ。(下記のリンクよりご視聴できます)
レジュメも以下よりダウンロード可能です。よろしければご利用ください
1「マインドフルネス」という言葉の定義とその歴史
:マインドフルネスという言葉の定義は本当に色々あり、指導者の立場や職業、考え方、またマインドフルネスが教えられる場所、文脈などで、その意味を大きく変えます。それをはっきりさせないと、混乱したままマインドフルネスを語ることになってします。ここではまず、英語の単語としての「マインドフルネス」がどのように扱われてきたのか、という言葉の歴史を紐解いていこうと思います。(以下、日本語版Wikipediaの「マインドフルネス」の記事より抜粋。ただし内容は参考文献で検証済み。また筆者が一部赤字にして強調)
mindfulness の意味を一般的に捉えると非常にあいまいであり、これがマインドフルネスという言葉の分かりにくさにつながっている。英語として日常的には「注意で満ちた」「注意でいっぱいの状態」という意味で使われており、心理学でも注意と結びつき、「十分な注意」を表すと考えられる。mindful という形容詞は「よく覚えていること」という意味で14世紀中盤から使われ、次第に「心をとどめておく」「心を配る」「気づかう」といった意味も持つようになり、16世紀には現在とつづりは違うが、名詞として使われるようになった。しかし、本記事における意味のマインドフルネスは、もともと英語にあった mindful から生まれた言葉ではなく、19世紀に仏教用語を英語に翻訳する際にあてたものであり、徐々に専門的な意味が加えられて一般に広まった。そのため本記事の意味での mindfulness は、英語圏でも2000年頃の段階では、専門家以外にはあまり知られていなかったようである。
1845年、Daniel John Gogerlyがsammā-satiをCorrect meditation(正しい瞑想)と初めて英訳した。
1881年に原始仏教の経典に使われているパーリ語の学者であるトーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズが、八正道におけるsammā-satiをRight Mindfulness(the active, watchful mind)と訳したのが、sati が mindfulness と英訳された最初である。サティとは「心をとどめておくこと、あるいは心にとどめおかれた状態としての記憶、心にとどめおいたことを呼び覚ます想起のはたらき、心にとどめおかせるはたらきとしての注意力」であり、この「心をとどめておく」「注意」などの意味が英語の mindfulness の含意と近かったため、英訳として選ばれ、mindfulness が仏教的な意味を帯びるようになった。デイヴィッズは1881年に次のように説明している。
satiの文字通りの意味は「記憶」だが、satiはmindful and thoughtful(巴: sato sampajâno)というたびたび繰り返されるフレーズと共に用いられ、良い仏教徒に最も頻繁に教え込まれる務めの1つである心の活動、および心の不断の態度を意味する。
・その他マインドフルネスの様々な翻訳(英語版Wikipediaの「Mindfulness」の記事より抜粋)
John D. Dunne asserts that the translation of sati and smṛti as mindfulness is confusing. A number of Buddhist scholars have started trying to establish "retention"(心を留めること) as the preferred alternative. Bhikkhu Bodhi also points to the meaning of sati as "memory".
The terms sati/smṛti have been translated as:
• Attention (Jack Kornfield)
• Awareness
• Concentrated attention (Mahasi Sayadaw)
• Inspection (Herbert V. Günther)
• Mindful attention
• Mindfulness
• Recollecting mindfulness (Alexander Berzin)
• Recollection (Erik Pema Kunsang, Buddhadasa)
• Reflective awareness (Buddhadasa)
• Remindfulness (James H. Austin)[89]
• Retention
• Self-recollection (Jack Kornfield)
2マインドフルネスの実践の歴史
:マインドフルネスという言葉が色々な意味を持つように、その実践形態にも様々なものがあります。
いまやマインドフルネスは仏教の修行としてだけではなく、医療現場でストレスやうつ病対策として活用され、あるいはヒーリングや快眠アプリなどにまで用いられています。ここでは実践としてのマインドフルネスの歴史を概観したいと思います。(以下の参考文献から抜粋し、筆者が表題を加えて編集。〔〕は筆者の挿入。赤線も筆者):伊藤雅之(2016)「世俗化時代のスピリチュアリティ マインドフルネス・ムーブメントを手がかりとして」
①「マインドフルネス」という言葉の誕生(研究者たちのマインドフルネス):1881年~
・ 現在、さまざまな社会領域で用いられる「マインドフルネス」という語は、原始仏典のなかにあるパーリ語の「サティ(sati)」、サンスクリット語の「スムルティ(smrti)」を英訳する際に用いられたものである。一八八一年刊行の『Buddhist Sutra』を翻訳するときに、ウィリアム・リース・デービッズが使用したのが最初であったという。その後、多くの研究者が「サティ」に関して、仏教のテキストを読み、それぞれの文脈において多様な解釈を示した。というのも、「マインドフルネス(サティ)」には、「特定の事実を記憶すること」「想起すること」「心にとめること」「意識すること」など多くの意味が含まれるからである(Gethin 2011:263)。
②実践としてのマインドフルネスの登場(実践者たちのマインドフルネス):1950年~
・一九五〇年代以降になると、マインドフルネスをめぐる定義の一部は、瞑想実践から得られた知見を含むようになっていく。現代のマインドフルネスの定義にもっとも大きく、そして決定的な影響を与えたのが、ドイツ人の仏教僧、ニャーナポニカ・テラ(Nyanaponika Thera)である。彼は一九五〇年代初頭に一定期間ビルマに滞在し、二〇世紀を代表する仏教者の一人、マハーシ・サヤドゥー(一九〇四—一九八二)から瞑想指導を受けている。その体験が、ニャーナポニカのマインドフルネスへの理解に大きな影響を与えたことの一つになっているとゲティンは指摘する(Gethin 2011:266)。
ニャーナポニカが一九五四年に著したThe Heart of Buddhist Meditation: Satipatthana: A Handbook of Mental Training Based on the Buddha’s Way of Mindfulnessにおいては、マインドフルネスは仏教瞑想の中核に位置づけられ、「ありのままの〔裸の・むきだしの〕注意(bare attention)」と規定されている。彼の見解では、このありのままの注意としてのマインドフルネスは、瞑想の初心者に対しては適切であり、実践的な理解だとしている。同時に、原始仏教において修行の基礎となる八つの徳目をまとめた八正道のなかで七番目の「正念」(正しいマインドフルネス)、すなわち「邪心を離れ、真理を求める心を常に忘れないこと」とは明確に区別し、その語がもつ多様な意味をふまえてもいた。
※マインドフルネス=「ありのままの注意」=実践初心者の理解(メソッド・テクニックとしてのみの理解)
≠八正道の「正念」:仏教的理念(四諦・縁起・無常・苦・無我等)を踏まえ、それを体得するための実践
:つまりメソッド(マインドフルネス)がしっかりと縁起を代表とする正しいヴィジョンや枠組み(正見)によってリードされてはじめて、正しいマインドフルネス=「正念」となる(藤田 2016:71)
③マインドフルネスの仏教的意味が薄れ、世俗的なニュアンスを獲得していく(マインドフルネスの大衆化、スキルとしてのマインドフルネス):1970年~
・一九七〇年代以降、アメリカをはじめ世界の多くの国々にヴィパッサナー(洞察)瞑想は広まったが、洞察瞑想(Insight Meditation)を主催するジャック・コーンフィールドやジョセフ・ゴールドシュタイン、その影響を受けて瞑想実践をはじめた後述するジョン・カバットジン(医療的マインドフルネスの創始者:MBSR)は、マインドフルネスをありのままの注意と同一視していた(Gethin 2011:267)。
参考文献:
・貝谷久宣、熊野宏昭、越川房 編著、(2016)、『マインドフルネス 基礎と実践』日本評論社
藤田一照 執筆「仏教から見たマインドフルネス 世俗的マインドフルネスへの一提言」。
菅村玄二 執筆「マインドフルネスの意味を超えて 言葉、概念、そして体験」。
・伊藤雅之、(2016)、「世俗化時代のスピリチュアリティ マインドフルネス・ムーブメントを手がかりとして」
鎌田東二編『講座 スピリチュアル学 7巻 スピリチュアリティと宗教』2016年 ビイング・ネット・プレス
・片山一良、(2002)、『中部(マッジマニカーヤ) 後分五十経篇II』 大蔵出版
・アルボムッレ・スマナサーラ、(2016)、『「日々是好日」経―悩みと縁のない生き方― (初期仏教経典解説)』 サンガ
・増谷 文雄、(2012)、『阿含経典〈3〉中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集』 ちくま学芸文庫:pp.212-221.
・ティク・ナット・ハン著、島田 啓介訳、(2016)、『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』 野草社
・中村 元訳、(1978)、『ブッダの真理のことば・感興のことば』 岩波文庫)
・正田 大観訳、(2015)、『小部経典 第一巻 ~正田大観 翻訳集 ブッダの福音~ Kindle Edition』 Evolving
・Thich Nhat Hanh (1999), The Heart of the Buddha's Teaching: Transforming Suffering into Peace, Joy, and Liberation , Random House, Inc.
・Rupert Gethin (2011) “On Some Definitions of Mindfulness,” Contemporary Buddhism, 12:263-279
・『Monier-Williams Sanskrit-English Dictionary』 1899
・『PTS Pali-English dictionary The Pali Text Society's Pali-English dictionary』 1921-1925
・水野弘元著、(2015)、『パーリ語辞典』 春秋社
参照ウェブサイト
・日本語版Wikipediaの「マインドフルネス」の記事
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9
・英語版ウィキペディの「サティ」と「マインドフルネス」の記事
https://en.wikipedia.org/wiki/Sati_(Buddhism)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mindfulness#alternative_translation
・ジョンカバットジンのインタヴュー
https://www.mindful.org/jon-kabat-zinn-defining-mindfulness/
・Bhikkhu Ñanananda (2005), Ideal Solitude An Exposition on the Bhaddekaratta Sutta,
https://www.accesstoinsight.org/lib/authors/nanananda/wheel188.html
・Thanissaro Bhikkhu (1997), Bhaddekaratta Sutta: An Auspicious Day, Alternate translation: Ñanananda
https://www.accesstoinsight.org/lib/authors/nanananda/wheel188.html
・ティク・ナット・ハンによるバッデーカラッタ経の英訳
https://plumvillage.org/sutra/discourse-on-knowing-the-better-way-to-live-alone/
・The Pāḷi Tipiṭaka:ビルマ版大蔵経を収録するサイト(https://www.tipitaka.org/)
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