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映画感想『水は海に向かって流れる』

過去

この映画を観て一番感じるのは、そういえば過去って、人によって違うんだよな、という当たり前のことでした。ですが、忘れがちなことです。

もちろん、単純に広瀬すずの可愛さや、恋愛模様を楽しんでいた部分もありますよ。冒頭の傘が開くシーンの色彩で、これは好きな映画だとの確信を得ました。

過去はどんな人間も平等に持っています。ただ、それは時間と表面的な意味だけでの過去です。

例え同じ経験をしても、人によって覚えている部分が違ったり、抱いた感情が違ったりしますよね。あるいは、今思い出した時に、あの時は辛かったけどそのおかげで成長できたと言う人もいれば、あの時の辛さがまだ傷となって胸のなかにある、という人もいるでしょう。

ただ、人間というのは自分が大好きな生物なので、自分が過去を乗り越えたと思ったら、同じ経験をした別の人間もきっと乗り越えただろうと判断してしまいます。というか、その人のことなんて気にならなくなります。

今作は、ダブル不倫をした親の子どもたちの傷が全く癒えない話です。親が不倫をしたという事実に怒り傷つくのは当然として、親がその後返ってこなかったこと怒り傷つく千紗と、親が帰ってきて平然と暮らしていることに怒り傷つく直達。二人の物語です。
実際に被害を被った千紗と、ダブル不倫の時には子どもだったため何も覚えていない直達の、同じ経験はしたけれども、それを完全に共有はできないと言う関係性がいいですよね。それぞれが、全く異なるプロセスで、親の不倫という傷に触れていきます。

一方、ダブル不倫をした親たちは、かたや過去のことだと忘れて普通の暮らしをし、かたや別の家族を持って新しい人生を謳歌しています。

ムカつきます。当事者ではない子どもたちが長く苦しんでいるというのに、大人たちは、不倫は自分たちの問題だと思っていて、自分が乗り越えたのだから、もう関係ないみたいな顔をしているのです。千紗の母に関しては、自分の人生を邪魔して欲しくないといった態度まで見せます。ムカつきます!

ですが、人間とはそういうものなのかもしれません。自分が失敗をした時には、失敗する時もある、と自分を慰め、正当化し、新しい人生を歩んでいきます。その過程では、自分の失敗で誰かが苦しんでいるという事実を忘れてしまいます。もしくは、皆そうやって過去を乗り越えているんだからと、無理矢理過去に蓋をして生きていく選択をしてしまいます。

嫌な過去は忘れる。皆忘れるから自分も忘れようとする。でも本当は、傷ついている人もいれば、怒っている人もいる。

千紗と直達のコンビが、恋愛という関係以上に、稀有で愛おしいものだと僕が感じたのは、彼らは過去に対する感情に向き合うからです。親が何事もなかったように過ごす中で、疑問に思うからです。過去に対する反発は、それつまり親に対する反発でもあります。二人が自分だけの過去と向き合ったことで、親と離れ、自分の人生を切り開いていくからです。一人ではできなかった親離れを、二人でするというのが、素晴らしい。

過去は人によって違うのは当たり前です。
不倫をしたことをすぐに忘れる人もいれば、忘れない人もいます。忘れたつもりになっている人もいれば、忘れていないフリをする人もいます。
重要なのは、不倫をしたことで、傷つく人がいるということです。傷ついた事実を、表現していいということです。皆が忘れようとしている、皆が忘れているから自分もそうしなければ、なんてことはないのです。

過去は過去なので、皆何かしら自分の中で結論をつけて、過去にけじめをつける日がいつかくるでしょう。それが、海ではないでしょうか。

水はいつか海に辿り着くのでしょうけども、そこまでの道のりは一様ではありません。一直線に流れてもいいですし、ぶつかり合って、合流して海に向かってもいいのです。過去に目を向けて、迎え撃てる人になりたいものです。

ちなみに、不倫がいいと思っているわけではないです。

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