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赤飯と、死と再生と #6

 昨日は旧暦、霜月、つまり11月の1日だった。朝食に赤飯を炊いて食べた。私だけでなく、子供たち、夫も赤飯が大好きだ。

 おそらく祖母から母に受け継がれた習慣だったのだろうか、子供の頃、我が家では、毎月一日が赤飯の日だった。一日はお弁当も赤飯なので、中学生の頃「生理なのか」とからかわれたのが嫌だった。だから私にとって赤飯は大して良いものではなかった。

 大人になって、もち米の赤飯に胡麻塩をふって食べた。美味しかった。うるち米で、豆も一緒に炊いてしまう大雑把な母の赤飯とは違う食べ物だった。そうか、赤飯とは餅米で作るものなのか、とその時初めて知ったのだった。

 そう思っても、なぜ一日が赤飯なのか、あまり考えたこともなかったし、母も「そういうものだ」としか教えてくれなかったが、ある時、その昔は一日と十五日が赤飯の日だった、ということを教わった。

 これは月の満ち欠けに関係する。旧暦は太陰暦ではなく、太陽太陰暦という折衷暦になっているが、基本的に旧暦の朔日(一日)は新月、十五日(たまにずれる)は満月だ。つまり、新月と満月の時に赤飯を食べていた、ということになる。

 夜、昔は月明りで生活していた。だから光はとても尊いもので、ご先祖さまや神さまは、その光と共に降臨すると信じられていた。そのため、祭りは満月の十五日前後に行われた例が多く、今でもその風習は残る。

  満月の時に赤飯を食べる習慣は、現代にもほんのり残っている。小正月(一月十五日)の小豆粥(あずきがゆ)だ。とはいえ、七日の七草粥に比べ小豆粥は全く盛りあがらないのが寂しい。スーパーのマーケティングが、なぜ七草粥のみにフォーカスしているのかと思う。

 ここでなぜ、昔の人が一日と十五日に赤飯を食べていたか、ということに触れてみる。
 日本人は月の光の強弱に合わせて、自分の魂のエネルギーが強くなったり弱くなったりする、と感じていたものと思われる。これによって一度自分が擬似的に死に、また生まれ変わる、という、仮そめの死と蘇りを毎月繰り返していた。
 一度死ぬことで、心と体が浄化され、強くなるという信仰で、これを擬死再生という。蘇った魂を強くするため、特別なものを食べる。十五日は、最も魂が強い時に、さらに強くなることを祈って食べる。正月の餅がこれにあたり、月々は赤飯がこれにあたったのではないだろうか。

 日本人は擬死再生が大好きだ。普段は気づかないが、知識を得て注意深く世間を見渡すと、日本の風習や場所の至る所に、「擬死再生」が転がっている。

 なぜ赤飯か、というのは、「日本人と色」という動画で、正月はなぜ餅か、というのは来月の「日本人の食と祈りー米・餅・正月」で話す予定なのでこれ以上は触れないでおく。

 室礼(しつらい)を習い始めの頃、七五三のお稽古があり、虎屋の赤飯が教材として出た。それまで見たこともないくらい濃い赤に染まった赤飯が、それはそれは美味しくて、一度で虎屋のファンになってしまった。もちろん胡麻塩も、和菓子屋の作り方で作ったものが添えてある(黒胡麻一粒一粒の周りに塩の結晶がまとわりついている。鍋を使って作らないと作れない)。
 息子の七五三の時、私や夫の両親へのお土産に、虎屋の赤飯を持たせたが、とても喜んでもらえた。
 虎屋の生菓子や赤飯は、関東・関西の極一部の店舗でしか注文することができないが、美しくて美味しいので、いろんな人に勧めている。箱も立派で見栄えがする。

 昨日の我が家の赤飯、豆から煮て蒸し上げたものではなく、実は生協のアルファ米だ。鍋炊き5分程度でできてしまうので、気軽にできる。旧暦一日と十五日、これを繰り返すことで、私にはまだまだピンとこない旧暦のリズムをいつか感じられるようになったらいいな、と思う。また子供たちが大人になった時、幼少期の食卓の一コマとして、思い出してくれることがあったらうれしい。 

 娘や息子のお弁当には、赤飯は入れないことにしよう。


ル・クルーゼで適当に炊いても失敗しないアルファ米


私が使っている旧暦棚田カレンダー
デザインがおしゃれで、月の満ち欠けをイメージで捉えられる

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