映画「シャーリィ」を観た話
こちらは2024年7月18日のメールマガジンの記事です。
映画「シャーリィ」を観てきました。
アメリカの女性作家シャーリー・ジャクスンが長編『Hangsaman』を書くあいだの物語。
シャーリー・ジャクスン役をエリザベス・モスが演じています。
すでに「くじ」などで作家として地位を得ているシャーリー。
けれど町の人々からは「食人を描く作家」などと奇異の目で見られており、また本人もそのことを気にして2か月も外に出られないくらいになっている。
大学教授の夫スタンリーのもとに助手としてやってきたフレッドとその妻ローズ。
シャーリーが鬱々としてベッドからも出られない状態であることから、スタンリーは若夫婦に住み込みでの家事手伝いを依頼する。
フレッドがスタンリーとともに大学にいくため、実質的にひとりで家事とシャーリーのお目付役をしなければならないローズ。
シャーリーの非常識なふるまい、スタンリーのセクハラまがいの親しみ、フレッドの優しく理解があるようでいて煮え切らない態度にふりまわされつつも…。
というような。
あらすじをまとめたなら、繰り返しになりますがシャーリー・ジャクスンが長編「Hangsaman」(「絞首人」および「処刑人」という邦訳が出ています)を書きあげるまでの物語。
スランプに陥りながら、登山口で失踪した女子学生の新聞記事をもとに、なぜ彼女はいなくならねばならなかったのかを物語としていくシャーリー。
自分は妊娠によって断たれてしまった学問への道をゆき続ける夫への愛情と葛藤を抱き、また慣れない環境で混乱し反発しながらも次第にシャーリーの保護者のようになっていくローズ。
インタビューなど監督の発言を読むと、この物語はシスターフッドを描くとされていますが、わたしにはローズとシャーリーはじめ、この作品に出てくるひとびとだれも「連帯」をしているようには見えませんでした。
だれもいいひとではなく、だれもわるいひとではない。
俳優陣の表情の皺ひとつ、指の動きひとつでたがいの感情の機微が積み重なっていくさまをただながめていました。
ある種のフェミニズムを指向した作品なのだろうなとおもいつつ、男性優位社会への抵抗としてのシスターフッド、という近年よく観るものよりさらに先のなにかがちらりと見えた気がしました。
個人的にはスタンリーのセクハラモラハラにうんざりしつつ、スタンリーがシャーリーという妻の才能に依存し、「僕たちはずっと異端だった」と妻との連帯をはかって自我を守ろうとするところになんとなく心をつかまれました。
共感はしないけれど、この「体が大きくコミュニケーションも上手でセクハラやモラハラも粗野にはなりきらない知的階級に属する男の弱さ」をこんなに端的に描くのはすごいな、とおもいました。
よろしければどうぞぜひ。