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五線譜から抜け出せない私たち

「君、本当に軍隊みたいな職場にいるよね」
そうやって医師に言われた経験は1度や2度じゃない。
看護師の仕事は、確かに軍隊のようだ。もちろん、実際の軍隊と比べるのは違うかもしれないけれどあの緊張感や規律の中での役割分担は、どこか似ていると感じる。

それとは対照的に、私のクローゼットを開けるとそこには鮮やかな楽園が広がっている。
軍隊のような職場だからこそ、私は日常に彩りを求めた。
真っ赤なニット、繊細な刺繍の入った黄色いワンピース、エスニックな柄のボトムス。
彩り豊かな洋服たちが並ぶクローゼットは、まるでたくさんの絵の具が詰まったパレットのようで、見るだけで心が踊る。
よくそんな服着れるね
そう言ってきた人もいる。
でも、その言葉の裏に「本当は私も着たい」という気持ちが隠れていることを、私は知っている。
20代の時に着ていたピンク色のトレンチコートを着ていた時は待ち合わせに便利だったし(すぐ見つけてもらえる)
目が覚めるような青いシャツは気持ちを弾ませる。
親からも友達からも他の人からも大抵
ああ、その洋服はしょうこによく似合うね
と言われるのはカラフルな洋服だ。

いつからだっけ。こんなふうに好きな色の洋服を何の躊躇いもなく着るようになったの。
ああ、小学校の時の先生の顔が浮かぶ。

学校の先生の話は正しくて、親の言うことを聞いて。目上の人の言うことが有無を言わさず絶対的な支配力を持つ。
学校で習ったことは全て点数でラベリングできるように採点が行われる。
通知表はその代表だろう。
綺麗にラベリングされた世界線で生きてきた人が多いのはどこまでの世代だろうか。
私が子供の頃はそれが美徳で当たり前とされていた。ような気がする。
今でこそ多様性の時代が謳われて認められるようになりつつあるけれど、本当にここ最近の話だ。
そして多様性の声が強くなれば強くなるほどルッキズムに対して厳しい声が増えているのはなんの矛盾なんだとも思うけど。

小学校の時の男の子のランドセルの色は黒、女の子は赤。
今みたいにいろんなカラーバリエーションもなかった。
私立から転校してきた1学年上の女の子が使っていた茶色のランドセルにこっそり憧れた話はきっと誰にもしていない。
だって欲しいと言ったところでそれは売っていなかった。

心より先に身体が成長していくのは小学4年生を過ぎた頃だろうか。
生理の話は女子だけが違う部屋に集められ、先生から説明を受ける。
ナプキンの付け方、下着の話に性行為、避妊の方法。
小学校高学年で受けるその説明は当時からしたら早い方だったのかもしれない。
説明が終わって教室に戻ると男子達の不思議な顔。
何を話されてたの?
そんな当たり前に出てきそうな質問に私たち女子はなんて答えたんだっけな。

小学校の時、私はきっと「良い子」、「扱いやすい子」としてのポジションにいた。通知表にも困ったことは書かれず親が呼び出されることもない。いわゆる当時でいう優等生だ。
宿題はいつもきちんと提出したし、忘れ物なんて小学校6年間のうちで1回しかしたことがない。
だから先生は珍しがって、一切私を怒らなかった。それより体調が悪いのではないかと1日中心配された。
先生が連絡ノートに忘れ物をするなんてめずらいいから体調が悪いのかもしれないから心配していると書かれていた。
大体のテストは90点以上をとれていて、体育も別に苦手じゃなかった。
音楽や絵も飛び抜けていることはないけど平均よりは上。
でも例えば、誰よりも早く走れるとかピアノが弾けるとか特別にこれだけはすごいみたいなものもなかった。

自分の個性が周りから浮いていると思う時はあった。
そんな私の個性を尊重してくれたのは、とある先生だ。
その先生は担任の先生が産休に入る間、代理でやってきた。
情に熱くて、曲がったことが大嫌いで、生徒全員を本気で可愛いと思っているような人。くるくる長い髪の毛は天然パーマなんだよと教えてくれた。
その先生がやってきてから、少し乱暴なものの言い方をする子も、先生に逆らうことを生き甲斐のようにしていた子もちょっと変わった。
どう変わったか聞かれると難しいけれど。
おはようと言ったらいつも目だけで返事だった子が顔を見ておはよ!って返してくれるようなそんな感じ。

俳句を作る授業のとき、ちょうど学校全体で俳句を集めて校長先生が優れた俳句を選ぶということが行われた。
大体いつも選ばれる子っていうのは想像がついて、そしてそれは当たることが多かった。
いつも通り私は選ばれなかった。クラスメイトと〇〇ちゃん選ばれてたねー、すごいねーと話していた。

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