自分の中にヴィランを飼う
我が家のメンズは「敵キャラ」「悪役」「ヴィラン」が大好きです。
アンパンマンよりバイキンマン。
ドラえもんよりジャイアン(敵ではない?)。
カービィよりデデデ大王。
そういう私も二人の影響で悪役(ヴィラン)好きになってきました。
最近は明確な「正義VS悪」の作品は少ないですが、悪役が魅力的な作品ほど引き込まれるのは私だけでしょうか。
・スターウォーズ(ダースベイダー)
・呪術廻戦(両面宿儺)
・アラジン(ジャファー)
・バッドマン(ジョーカー)
最近では悪役にフォーカスを当てた作品も人気で、ディズニーから配信された『ツイステッドワンダーランド』は、ディズニープリンセス作品の悪役(ヴィラン)をキャラクター化した女性向けゲームで、2020年3月のサービスリリースから7ヶ月で売り上げ100億を超えたそうです。
ビジュアルと世界観の作り込みがすごくて、ブースがあると引き寄せられてしまいます…
映画『ジョーカー』は社会現象にもなっていましたが、夫がどハマりして何度も見ていました(連続して見るには刺激強すぎん?)。
魅力的に描かれるヴィランたち
私にとってもジョーカーは2度と見たくないけど、最高の映画でした。
ヴィランが暴力的や犯罪、サイコパスとして描かれることは多いです。ただ実は、ヴィランの本質は主人公や視聴者が「こうあるべき」とか「これが正しい」と思っている固定概念を揺さぶることにある気がしてなりません。
犯罪や狂気というわかりやすいアクションを演じることで注目を集め、活動を通して見た人の思い込みの部分に焦点を当てて「それは本当にそうなのか?」と問いているような気がします。
あなたにとっての正義は本当に私にとっても正義なのか?
あなたにとっての正義があなたを、また周りを苦しめていないか?
あなたにとってのヒーローは、誰かにとってのヴィランなのでは?
そんな気づきや衝撃をくれるヴィランたちは、(もちろん表現方法は誉められるものでなくても)私を目覚めさせてくれたヒーローになりえる、なんて思います。
ヒーロー(主役)とヴィラン(悪役)の関係
ヒーロー役と悪役をテーマにしている作品に『僕のヒーローアカデミア』がありますが、我が家でもまんまとどハマりして週末はNetflixでひたすらヒロアカを見ていた時期もありました。(書いてるとまた見たくなりますね…)
実は『僕のヒーローアカデミア』では、作中主人公とほぼ同じ比重でヴィラン(敵)の「死柄木弔(しがらきとむら)」の生い立ちから成長の様子を描いているんですよね。
個人的には弔くんのストーリーは切なくて、清々しくて、人らしくて、自由で大好きです(語彙力)。
ヒロアカを見ていると、オールマイト(圧倒的ヒーロー像)に対し
と様々な思いを寄せる人が登場します。
が、私がオールマイトを見ていた時の感想は「ヒーローにはなりたくないな」でした。なぜなら、
・何でも背負って大変そう
・ヒーローはこうあるべきだ、みたいな押し付けが辛い
・持続可能性が少なくて短期的視点でしか救えていない
ように見えたからです。
逆にヴィランはベンチャーのような自由さと、メンバーを引っ張ることも鼓舞することもないけど、常に先の未来を見るために動き、どんなものも受け入れるリーダー弔くん(向かっている方向はやばいけど)。
まだ連載中の作品ですが、これからヒーローとヴィランがどのような形で決着するのか楽しみです。(決着しないのもあり)
ヴィランの魅力
ここまで読んでいただいた方は薄々感じているかもしれませんが、私もヴィランが大好き。生い立ちに共感するとかそういうことではなく、ヴィランというポジションが魅力的だと感じています。
私の思うヴィランの魅力をちょっと紹介させてください。(突然)
ヴィランは嫌われることに耐性がある
多くの方が「人から嫌われたくない」と感じています。これは生存本能から考えても当たり前の感情だと思います。
ただ、人から嫌われたくないために自分の行動が制限されたり生きづらくなることってありませんか?本当は思っていないのに「私もそう思う」とその場限りの嘘をついたり、恋人に尽くしすぎたり。
ヴィランは嫌われることがデフォルトなので、「嫌われるから」と自分の意に反する言動をすることはありません。
ただ、ヴィランも「嫌われたい」と思っている訳ではないと思うんですよね。「嫌われたくない人」と「嫌われてもいい人」の線引きが明確なのかも。
そういう意味で、爆豪くんはヴィランらしいヒーローと言われているのかもしれません。
ヴィランはよく笑う
じゅじゅとーくオーディオコメンタリー(副音声)で、両面宿儺 役の諏訪部順一さんが悪役の魅力について
と語っていたのが印象に残っています。(きっと素敵なイケオジなんでしょう)
確かに、ワンピースの敵キャラは全員印象的な笑い方で描かれていたり、ヒーロー(主人公)の攻撃に対してフッと笑って「やるな」発言するキャラは一度は見たことがあるのではないでしょうか。
ヴィランにはピンチでも笑える強さがあります。
私は笑うことの多い人生がいい。
ヴィランの強さには多様性がある
ヒーローとヴィランが描かれる時、どうしてもヒーロー側に制約が多く不利な描かれることが多いです。
説明不要の有名作品、『鬼滅の刃』でもヒーローの鬼殺隊は鬼の有利な夜に戦っているんですよね。なのに鬼は不死身だし、パワーも強いしなんか特殊技も使ってくる。
そんなパワー型の強さもありますが、ジョーカーのようにもう何も守るものがないからこその強さもあります。
もしくは『DETH NOTE』の夜神月のような知能性や権力、経済力の強さもありますよね。きっと他にもたくさんある。
みんなに応援されるヒーローがヴィランを権力で虐げたり被人道的な行いで勝つことは許され難いですし、必然的にヒーローが勝つ方法には
・自分の限界を突破する
・チームや組織で勝つ
・知能やとんちで陥れる
などの方法が使われがちです。
人使って壁をつくる、なんて許されません。
もちろん法的、人道的、環境的にダメなことはありますが柔軟なことそのものが強さになります。そんな気づきをくれるヴィラン。
家の中にヴィランがいる生活
さて、ヴィランの魅力がわかったところで、自分は家庭で「ヒーロー」と「ヴィラン」どっちになりたいか?
を考えたいと思います。
我が家の場合、おそらくヴィランのポジションは私です。
・家事まともにしない
・個人行動が多い
・消費も多い
・不定期でウツとなり布団から出なくなる
・なのに気が強く攻撃的
家族は大変ですね。笑
と、ここまではやべー嫁ですが挽回する機会をください。
・在宅で働くという新しいライフスタイルを持ち込む
・私が暴走しても私の両親や親戚は夫の味方になってくれる
・旅行や移住などのイベントを持ち込む
・言いたいことを溜め込まないから察しなくて良い
など…。外からライフイベントを持ち込むのも私が多いです。
夫や息子の人生のちょっとしたスパイスにはなっているのではと思いたい。
ヴィランは「好かれたくて」がない
家庭内ヴィランの私にとっても、家族はもちろん大切にしているし家族が毎日健康で言いたいことを言い合え、やりたいことができるように最善を尽くしたいと思っています。
ただ、それが「もっと好かれたくて」「嫌われないように(見捨てられないように)」「相手のためを思って」なんて微塵も必要ないんですよね。
私がしたいからしている。相手が思い通りに動かなくても、私が思い通りに動いていないんだから、気にする必要はない。
見返りが欲しい時は交渉する。
そう思えるくらいには自由にやらせてもらっています。
ヴィランとヒーローは常に敵対しているわけではない
いくらヴィランが生きやすいからと言って、家庭内で敵VS味方の構図が完成してしまうと家の中に居場所がなくなってしまいます。これは避けたい。
多くの作品も生まれた時からヒーローとヴィランで分かれているのではなく、きっかけがあって、対立してはじめて関係性ができます。
ヒロアカの話に戻りますが、ヒーロー科の爆豪くんは作品の中「え、こいつこのままヴィランになりそう」と思った読者の方は多いのではと思います。
そもそも、ヒーロー側の中にもヴィランになりえる要素はあるし、誰にだってダークサイドはあるものです。
だから普段からヴィランのように振る舞うというよりは、「自分の中にヴィランを飼い、違和感を感じたときに出し入れ」したい。
自分の中の「これっておかしくない?」と感じた疑問や疑惑を放置することなくヴィランな自分が問題定義する。
無視しがちな「自分の声」や当たり前になって見えない「本当に形」に気づかせてくれるヴィランを操り、少しでも生きやすさを手に入れたい今日この頃です。