【時間2】空間から自由になるであろう僕らは、時間から自由になれるだろうか?
https://note.com/shokei612/n/n2c281c9a28ba
時間環境問題へのアプローチという記事を20年6月18日に書きました。時間についての思考が深まってきたので、さらに書いていきます。
時間とリズムへの着目
私は時間とリズムに着目しています。
そして、私の身の回りの(おそらく世界の中でいうと偏った)方々で時間について言及する人が増えてきました。
身の回りの方々でいうと、一度お会いさせていただいた長沼敬憲さん(出版プロデューサー、エディター、サイエンス・ライター / ハンカチーフ・ブックス」編集長)のFacebookでの投稿がリズムの重要性、セルフメンテナンスの重要性について投稿されていて、その図がしっくりくるものだったので、ここに共有します。
「時間」は、尊敬する知り合いの詩人・松島宏佑さんが探求しているテーマでもあります。
松島さんは、私たちの心臓の動きである「鼓動」をセンシングして光にするというアート作品を作ってらっしゃいます。身体的なリズムを光に変換するということを通して見えてくる世界は、言葉を失うものです。暗闇の中に自分の命のリズムが明滅する体験、とっても面白いです。
松島さんとは以前から、ちょこちょこと関わりがあり、松島さんの時間の記事は、参考にさせていただいています。
これらの点在する時間や命についての投稿や社会の動きを見ていて率直に感じているのは、「人が生きている実感」を取り戻そうとしているのではないか?ということでした。
さらにいうと、資本主義の影響を多分に受けた私たちがより良く生きている実感を伴いながら生きていくということに対して、「時間」が一つのキーになるのではないかと思っている次第です。
存在を感じることの重要性
Covid-19 の影響もあって、一度、社会は余白の時を過ごしました。そこでは移動が推奨されず、なかなか進まなかったリモートワークが驚くように試行錯誤される時期でしたね。
私自身は、他の人と関わっている時の身体の重要性を痛感しました。その人がいるという存在感が、コミュニケーションにおいて重要だったということを対面のコミュニケーションが少なくなったことによって再認識しました。
存在とは、どういう言葉を発しているか、ということだけではありません。その人のあり方として外ににじみ出してしまっているもの全てです。それが伝わりきらないオンラインでのリモートワーク体験は、どこか味気ないものに感じています。
空間からの解放
社会で、これまでと比べ、加速していくのは空間からの解放です。特にそれは、仕事環境からの解放とも言えるかもしれません。(いろんなケースがありますし、一般化できないことですが、自分が仕事をする空間を選択するというニーズは高まっているように思います。)
自分自身が現実にいる場所では、自分の身体と空間のインタラクションが常に起こっています。自分の身体が調いやすい場所にいることによって、自分自身の思考もクリアになり、間接的な仕事の成果にも影響が出るかもしれません。
感染のリスクを警戒するためには、移動を控えることになりますから、短期的な移動をひたすらに繰り返すスタイルではなく、中期・長期的な滞在や自然環境が豊かな場所に引っ越すということが増えるのではないでしょうか?
空間を選びやすい状況が生まれていくのはとっても嬉しいですね!
時間の縛り
ただ、その一方で、「時間」がネックになるケースが多々発生しているのかもしれません。
自分の身体が置かれる空間が変わると、どういう存在とインタラクションをするのかという指針が変わります。たとえば、在宅でリモートワークをする人たちは経験されたと思いますが、
「リモートワークでの孤独」
「仕事の時間と(子育てを含む)家族の時間が混じることでの困惑」
「通勤・通学などの移動が減り、仕事モードと家モードが切り替わらない」
「休みなのに仕事の連絡がひっきりなしに家のPCに届いて安心できない」
私が Covid-19 の影響下でコミュニケーションを取っていた人たちの一部は、このようなことを言っていました。
私もここ三年ほどリモートワークのような形で働いているので、このような心情を何度も抱いてきました。共感します。
時間と共同性の喪失
職場環境での関わりによって得られていたものの一つ。それは「つながり」なのではないかと思います。ふとした雑談で気持ちを通わせたり、他の人の存在を感じながら仕事をすることで、「共にいる」という大前提が知らず知らずのうちに成り立っていました。
その縁がしがらみになっていた人たちもいると思います。その方々にとっては職場環境から物理的な距離を取ることができたことは良い経験になっているかもしれません。
前提というものは、失われるまでその存在に気づかないものです。今回、たくさんの社会システムが機能を一時的に停止させ、私たちは空間的にぶつ切りになりました。
そうすると、重要になってくるのは、
「物理的には遠いけれど、一体感を得られるか」
という点になってくると思いました。
一体感の鍵になるのが、「時間」と「リズム感覚」です。時間の過ごし方の質もそうですし、デジタルと物理的環境のそれぞれで流れる時間とうまく付き合っていくことができるといいですよね。
その際に、多大なインスピレーションをもたらしてくれるのが、音楽だと思っています。
特に私は Jazz の即興的な感覚(ジャムセッション等)が好きなのですが、自分なりの音を出しながら、周りの人たちとの一体感を作り上げていくようなあり方が以前にもまして重要だなぁと感じています。
ZOOMなどのオンラインの通話では、視覚を頻繁に使います。さらに、耳を使います。それで主に受け取っていくのは意味情報です。ただ、それだけでは人間の存在を受け取っていると言えるのでしょうか?
一体感は存在の共有という大前提によって支えられていると、私は思っています。それを感じるための、(もしくは感じていると錯覚できるような)精神的な技術が必要になるのかもしれません。
それはやっているうちに慣れて、いつの間にか身に付くものかもしれないですし、意識的に身につけていけるものなのかもしれません。機械的にスイッチを入れるというものではありませんが、そのようなモードに入りやすくなるための下準備はできるのだろうと思います。
音楽でいうと、本番前に楽器の練習をしておくとか、一緒にセッションする人たちの音を聞くだけでなく、他の人の音がどこへ向かって行こうとしているのかを感じとる力を養うことかもしれません。
現在、世界全体で、時間を共に過ごすことでの一体感をどのように生み出すのかという実践がボコボコ起こっているのではないかな。ぜひ皆さんの試行錯誤も教えてくださいね✨
時間と共同性の再調整
さらに共同性の話題は続きます。
「共にいない」という経験に加えて、「共にいる」という経験も起こりました。たとえば、家族や子供との時間が増えた人たちは多いのではないでしょうか?これまでの時間配分が崩れて、新しい時間の重なりが起こっていると思います。
・仕事の時間に子供がはしゃいで、気まずさを感じる
・常に家族と一緒にいて”自分の時間”がないと感じる
・仕事の時間が家族の時間やプライベートな時間に雪崩れ込んできてしまう
・通勤・通学の必要がなく、仕事の時間とプライベートな時間が切り替わらない
・パートナーや子供と過ごす時間が増えて嬉しい
・通勤しなくていいから楽
・見張られている感覚がないのでのびのび仕事できる
などと、人によって良くも悪くも経験されたのではないかと思います。
時間を扱うことは意味を扱うこと
これまで誰かが時間をコントロールするという発想で時間が扱われてくることが多かったのではないかと思っています。それはたとえば経営者であったり、声の大きい誰かだったりしてきました。
それは社会の中でお金を稼ぐという行為の重要性が上がり、社会が経済的な価値観を育ててきたからです。(もちろんそれは全てではありません)
私たちが直面しているのは、「働くことの意味が変わっていく」節目にいるのではないでしょうか?
経済的な価値は重要です。いきなりお金無しで生活してくださいと言われたら嫌ですよね。ただ、それだけではなく、地球環境への配慮や暮らすことへ意識の高まりを通して、私たちの時間の過ごし方が変わっていくのではないかと思います。
前回の時間環境問題のNote記事で「時間の消費」について触れました。
科学の基本コンセプトが「物質→エネルギー→情報」と進化してきたことを述べたが、これは同時に人々の消費が「物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費」という形で変化してきたこととパラレルである。現在そして今後は、さらにその先の「時間の消費」という姿が本質的な意味をもたてくるだろう(『ポスト資本主義』P144)
ポスト資本主義に書かれていた「物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費→時間の消費」という変遷が起こっていると仮定します。そうすることによって増えるのは、「意味のある時間」の増加です。
意味のある時間を求めること
皆さん、意味ある時間を過ごしたいですよね。人生全体に求めることも意味ある時間だと思います。社会をつくるということは意味を作るということと多分に関係しています。社会学の分野では、「社会構成主義」という言葉がここ数年で急速に広まりつつあると思います。
私はワークショップを大学の頃から何度も作ってきました。そのワークショップの理論的な流れの一つに社会構成主義があります。社会構成主義を知るのにおすすめなのは下記の本です。
社会構成主義は一言で述べるなら、「社会の様々な事象は人々の頭の中で作り上げられたものであり、それを離れて社会は存在しない」という考え方です。
これをベースに考えると、時間というものも、どのように人がそれを観るかによって、社会の事象として生じていくことになります。職場環境で流れている時間と住環境で流れている時間は異なりますよね。どのような時間を共有するのか?ということを考えていくと、逆に時間を調整し直していくことの可能性が見えてくるなぁと思います。
個人的には適切に心理的な時間感覚を早めて、行動のテンポ(速度)を早くしたり、逆に遅くしたりすることで、緩急をつけることができるようになっていくといいのではないかと思います。そういう意味では、私の時間観は流動的なもので、そもそも固定するものではないという立場です。
時を扱うことは意味から離れること
ただ、このような「意味」を作ることに駆り立てられることもある社会のあり方(および、その中で多くの人に採択されているであろう時間観)に疲れてきている人が多いのではないかと思います。
そういう中で豊かに実ってきているのは、「ヨガ」や「カウンセリング」や「マインドフルネス」や「サウナ」などのセルフメンテナンスや心の浄化、生活習慣を調える「術」や「サービス」の多角化です。いろいろあっていいですよね。
そのような実践を通して、私たちが思い出すのは、自分の身体的なリズムなのではないかと思っています。それを言い換えると、「時」を取り戻すことなのではないか?と思いました。
話を整理するために、「時」と「時間」を分けようと思います。前述の松島宏佑さんの「時」と「時間」の分け方がしっくりきているので引用します。
「時」とは、それ自身が持っている固有のリズムを意味することにします。太陽のリズムを太陽の時と呼び、地球のリズムを地球の時と呼び、僕のリズムを僕の時と呼びます。ここでのポイントは、それぞれのリズム(時)は異なるから、実は時は1つではなくて、たくさんの時が存在するということです。
『時間学、はじめました。人類はどのように時間を認識してきたのか。』
それぞれの人がそれぞれのテンポ(速度)とリズム(周期的な繰り返しによって表される秩序)を取り戻していくことになります。
リズム:時間軸の中に人間に知覚されるような2つの点を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものをリズムという。律動(りつどう)と訳される。(Wikiより)
人間は機械ではありません。全く同じテンポと同じリズムを続けることを1秒もずれずにやっていくことは不可能なことだと思います。
ただ、試行錯誤することができるとしたら、リズム感覚を養うということはできます。「働く」ということの中でのリズム感覚はもちろん大事ですが、生きる活動としての「生活」におけるリズム感覚は大事です。そのリズム感覚は、身体と精神の健全さ、健康さにつながります。生活を調えることで、仕事にもよりよい影響が出ると思います。
仕事やスポーツのパフォーマンスにまつわる話の中でもルーティンの重要性は言うまでもありません。技術を磨くという側面、それを行うと心が安定しやすいという心の側面の両面から考えても、毎日繰り返すルーティンがあるといいですよね!
「意味のある時間」と「時を取り戻す時間」を行ったり来たりしながら、それらの調和を図っていく生きる活動を編んでいくというリズムを作っていけるといいなと思います。
さいごに
時間についての探究は過去、さまざまな哲学者が腐るほど考えてきたテーマでもありますから、本当により良い時間の扱い方を学ぶことは一生かかっても深めきれないものだと思います。
時代の流れの中で、新しい時間の過ごし方やその時に必要な時間の探究が起こっていくでしょうから、時間の探究自体も楽しんでいきたいなと思いました。
私も記事を全く書ききれていないので、引き続き、「時間」について探究していきます。前回と今回の記事は、自分の中では今、社会で起こっていることは何なのだろうか?という俯瞰記事のようなものです。私自身が実験してきたことや、その過程で出会ってきた活動も随時紹介していけたらと思います。
今後書いていきたいことの例ですが、
・デジタルライフでのタイム・ウェルビーイングの重要性
・自然との関わりによる「時の自覚」
・社会の時間の再調整の技法を探る
・今なぜ時間を哲学した方がいいのか?
など、雑多に書いていこうと思います。
私たちの時間環境を、地球に配慮しながら自分たちが生きやすい形にしていきましょう😀
続きの記事(3本目)はこちらです。
それでは、素敵な時間と時をお過ごしください。
この記事が参加している募集
頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!