「大人の寺子屋-生きるとは何か、死と生について」に出ました〜宗教の変容と文化への着目〜
本日の夜は、河村えいしょうさんに声をかけていただき、「大人の寺子屋-生きるとは何か、死と生について」に参加しました。
一般の方の相談に応える時間でお話を聴いたり、全体での話で時々、コメントしたりしました。
良き時間でした。河村えいしょうさん、そして種田さん、ご参加されていた全ての皆さん、お時間を重ねていただき、ありがとうございました。
文化への着目
面白かったことでいうと、「文化への着目」がこれからより重要になるということを話したことが予想以上に響いていたことでした。
まだまだ「文化」について話した時に、きょとんとされることが多いです。ただ、直感的にここ3年〜4年ほどで、「文化」への世間の見方が変わっていくと核心しています。(あまりにも直感的ですみません。笑)
オウム真理教の事件から、もうすでに25年ほど経ちました。多くの人たちが、宗教に対して恐れの感情を持つようになったり、嫌悪の感情を持つようになったのではないかと思います。
その流れと共に、”お寺”も、公的機関や教育期間、経済活動などと切り離されることが加速していったのではないかなぁ。
ただ、同時に、これからの時代に仏教思想がとんでもなく活きてくる時代に差し掛かっています。今後、多くの宗教としてのお寺は潰れていくことが避けられませんが、同時にお寺や仏教の世界が変容していきながら、仏教文化として再生していけるかどうか。大変ですが、面白い時代ですね ^^
文化という言葉に込めているのは、二つの意味合いです。
・ウェルビーイングやサステナビリティ(ひいてはリジェネレーション)の観点での創造や生産のアイデアの源として、お寺が機能していける可能性について(※ リジェネレーションはサステナビリティの先を行く、欧州で注目されてきている概念です。)
→これはつまり、お寺に行くと、なんか閃く、というインスピレーションの場になっていくということ。しかもそれが、地球環境に配慮し、人の健康に配慮するという視点でのアイデアの宝庫になるのではないでしょうか。
・人が生活を営むことを助け、心ゆたかに生きていくことをサポートできる可能性について
→お寺が強いのは、心身を健康にする生活習慣や思想を伝えることができることにあります
つまり、ざっくりと書くと、創造と生活をゆたかにするハブを担うことができます。
先日も共有しましたが、こちらの記事では、文化セクターが社会のウェルビーイングを高めることにいかに寄与できるかが問題だ、ということが書いてあります。
今こそ、文化です。
どこの宗派ですか?という派閥の意識もまだまだお寺の世界は強いし、それは歴史があってこそですが、派閥の垣根をゆるやかに声ながら、心がゆたかになる精神文化と実践を伝えていけたらいいのでは?と思います。
お寺、仏教、可能性あると思います。
それぞれの立場で、伝えるの、頑張ろうね✨
さいごに
神社仏閣オンラインの取組みのおかげで、このように考えるきっかけをいただきました。神社仏閣オンラインさんの取組みも、まさに「文化」という切り口からの素敵なものだと思います。
ご縁をいただきありがとうございました😀
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では!
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