本は強制されて読むものじゃない!
こんばんは。今日は通院の日でした。診察よりも本に触れてる時間のほうが長いような……気が……するんだけど、合ってるよね?(苦笑)
狙ってた「院政 増補版」(美川圭著、中公新書)はなかったので、図書館のオンラインで借りるか、地元の駅ビルの本屋さん受け取りのお取り寄せかで考えています。
ほぼ日のTOBICHIにも行きました。手帳が出たばかりの時期に行くのはあまりよくないですね。落ち着かない。そんなにたくさん買い物するわけではないので、今度は国分寺のLOFTで欲しいカバーの手帳を探すことにします。ほぼ日にとっては、私はあまりいいお客さんではないらしい。ボールペンも不要だって言ってるし(涙)。
さて本題(最近こればっか)。昔人に勧められたある作家(今は故人)の小説を読んだら、何がいいたいのかよくわからなかった。これはいいすぎか。恋愛というよりも、もっと人の奥底を描いた小説だったんだろうけど……。てか恋愛的要素は皆無に等しかったw
とにかく「○○さんの本を読め」と言われたのがトラウマになってて、実際手に取ったのはだいぶ後のことです。でも読んでも意味がわからない。そんなにいい本なのかな? 私の頭がおかしいのか?
それでも何冊か本屋さんや○ックオフで探して、部屋の文庫本棚を賑わせた時期がありました。そう、文庫本棚で自分のコレクションを見せびらかす趣味があったんです(誰も見ないし、東日本大震災でもびくともしなかった)。文庫本棚は、今では積ん読コースを意味します。そうじゃない作家もいますが(内田百閒や俵万智)。
でもその作家の文庫本は棚から動くこともなく、何年か経って自宅から自転車で15分の○ックオフでお別れすることにしました。だって読まないんだもん。意味わからないし。
あれは完璧強制でしたね。スマホで「狂信的」って言葉を調べたら、まさに勧めたというか強制した本人が心酔している様子がぴったりでした。本当は「狂信的」なんて辞書で調べろよ! そう、強制した本人はその作家の狂信的な信者だったのです。ああ恐ろしい。今では距離をおいています。まあもう会うこともないでしょう。
夕方、「○○(その作家) 苦手」って言葉でググったら、もっと辛辣なことを書いている人がいた。なんだ私と同じ考えの人いるんじゃん。ドラマ作品のあの役者がひどいとか、んもうボロクソに書いてました。嫌なものは嫌だと、書いてもいいのか!と驚きました。私は嫌われるのが怖くて、好きなものは好きと書いても、嫌いなものについてはほとんど書きません。
某SNSの読書グループでも、その作家の作品は持ち上げられてて、最近もやもやしていたところです。そこから思い出した話。
いくら私が江國香織を好きでも、リアル友達に「『神様のボート』や『東京タワー』はいいよ」(あくまで一例)と強制したくありません。小説原作のドラマに好きな俳優さんが出演してたら、「○○さんが出てるから、ドラマ見てる?」という流れにもっていきます。どうせなら。
何事でも、周りが見えなくなるくらい、狂信的にのめり込むのはよくないですね。本に限った話ではありません。