「赤毛のアン」と司馬遼太郎
こんばんは。今朝京王線に乗っていたら、新国立劇場バレエ団の「くるみ割り人形」の広告を見かけました。そりゃあクリスマスのド定番ですからね☆
しかーし、バレエ公演というのは、チケット代を見るとちょっと(どころではなく)腰が引けてしまいます。子どもも同じかもしれませんが、大人のお稽古ごととして始めるのも多少の勇気がいります。まして発表会なんてものに参加するとなると(経験者は語るw)。
それでも、一度は生のバレエ公演を見たいというのが、本音としてあります。
毎年、府中の森芸術劇場で松山バレエ団が「くるみ割り人形」を上演してますが、「いいなー」と指をくわえて広告を見るだけでした(涙、今年は劇場が工事中)。
さて表題。片道2時間の病院が終わり、地元の駅に戻ってきました。バスの時間にも余裕があったので、駅ビルの本屋さんに寄って「赤毛のアン論 八つの扉」(松本侑子著・文春新書)を買いました。何かと話題なんで(出た、ミーハー!)。
それにしても、どこの新書も「1000円ではお釣りがこない」。
松本侑子訳の「赤毛のアン」シリーズは全部で8冊あり、最初の「赤毛のアン」の途中で挫折してしまってます。細かく注があって、理解の助けになるはずなのに。その後7冊はまだ本屋さんで私を待ってくれています(たぶんねw)。
解説を先に読むべきか、まず手元にある「赤毛のアン」から先に読むべきかってところです。1冊目がまだ文庫本棚にあるという時点で終わってます。
前にも書いたように、母は村岡花子訳に親しんだそうです。あと時々「プリンス・エドワード島に行ってみたい」と言うので、本気でのめり込んでたのでしょう。松本侑子さんも村岡花子訳をリスペクトしていることは、あちこちで見られます。
「赤毛のアン」全8冊のシリーズすべてを読むことで思いついたのが、「これって司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を全巻読破するくらい大偉業なのでは?」ってことです。「坂の上の雲」でもなく、司馬遼太郎の長編といえば「竜馬がゆく」。一応異論は認めます。
これは山に登るなら、高尾山ではなくて、富士山に挑戦するようなものです。重装備が必要になってきます。まず本を全巻揃えるというのは、山に必要な服や持ち物、靴などから始めることに似ています。そこから第一歩を踏み出します。
※高尾山に登り始めた頃、「最初に買うであろう山アイテムは、肌着だろう」と思ってましたが、未だに買ってません
長編小説といえば、岩波文庫で見るロシア文学の数々とか。某書店で岩波文庫の棚を見て、ビビってます。町中の本屋さんでも、駅ビルの本屋さんより全然充実してるのです。そういうの読破できるかなーと思います。
海外文学で苦心するのは、みな名前がカタカナで覚えられないまま、ページだけ進む点です。
司馬遼太郎の小説も、文庫本で○冊って量のが多くて、日本史に登場する人物とわかっていても、関係性を整理しないと読めないと思います。
そういえば「赤毛のアン」も、登場人物たちの名前がみなカタカナなので(当たり前だ)、読み進めるうちにどうにかしてしまうのだろうか?
母に、来年の春NHKで放送する「アン・シャーリー」の話をしたら、「……『アンと呼ばれた少女』みたいなものじゃないよね?」と言われました。あれは生々しくて抵抗があったらしい。確かに(現在イメージする)アニメとは全然違う「アン」だった。