見出し画像

忘れられない大学時代の授業

こんばんは。本来なら、応援している野球チーム以外のファンの人と接点をもつことは少ないと思われます(私だったら西武以外)。今年どういうわけか、某球団ファンの人からの年賀状のメッセージは、やたらと景気がよかった。どこかバラすと、「そうだよね~」ってなりますので内緒♡

まあ西武ライオンズも今どん底なので、上がるしかありません。某主力選手が○○をやらかしたあたり、暗黒の匂いもします。それは重々承知の上です。そもそも「今年はせめてAクラス」なんて、ポジティブ発想の西武ファンはどれくらいいるのだろうか?

午前中は手帳に、新聞の天気図を貼り付けてました。たまりにたまって3週間分くらいありました。あとは今年こそ日記を書いてます。
5年日記はまだ書けません。万年筆にカートリッジ式のインクをつけても、出てこないうちは書けない。変色が怖いので今年は黒にします。

先日某SNSに「今日は野間宏の命日」とあったので、思い出みたいなのを長々書いてしまった。大学時代なので、もう20年以上の話なのに、今も忘れられない。300字じゃ足りないのと、今日はネタがないので(ごめんなさい!)、どんな授業だったかを書いてみることにします。

あれは大学3年生の春か夏だったと思う。近現代文学の演習の授業で、3人一組で発表することになった。名簿順に組が決まり、私たち(あと誰だったかは覚えてない)は野間宏の「暗い絵」という小説について発表するよう、先生から指示された。

今でこそ、講談社文芸文庫あたりから、野間宏の小説は出てるけど、そんなに簡単に読めるものではなかったと記憶している。
私は野間宏の年表を担当することになった。どうやって資料を集めたかもよく覚えていない。ただ、「暗い絵」は戦後間もない時期の小説なのに対し、その後の人生のほうが長かったことは覚えている。B4版の紙2枚に収め、いよいよ発表の日を迎えた。

同じグループの人が作品の考察などを発表し、年表担当の私の番がまわってきた。人前に出るのが苦手でも、何とか前半生を発表した。

があああ!!!

先生「そこまででいいです」

キーンコーンカーンコーン♪

私「(心の中で)はっ!?」

一生懸命書いた「青年の環」や「狭山裁判」についてはどうなるの?

入学時に決められたクラスも同じで、その先生のゼミを履修していた同級生からは、しばらくの間「野間宏」とか「のまっち」と呼ばれる羽目になった(実話)。同じグループの他のふたりはどうだったかは覚えていない。

とにかく、大学を卒業して20年は経過しているのに、神保町で岩波文庫の「青年の環」の実物を見て腰を抜かし(1冊約4センチほどの厚みがある。京極夏彦かよw)、「『青年の環』について調べたのは何だったのか」と虚しさもおぼえてしまうのである。

野間宏をWikipediaで検索するとやばい人に見えちゃうけど、インターネットがそんなに一般的じゃない時代だったから、見ないで済んだ。セーフ。
今だったら「インターネットにはさまざまな情報があるけど、鵜呑みにしないで、きちんと自分で調べてください」と言われるところである。パソコンがないと授業できないもんね(国文学科でもそうだよね?)。