哲学ファンタジー 大いなる夜の物語 謎その4
謎その4 光る尾を引く鞠とは何?
バスに乗ると、乗客はほかに誰もいなかった。
石戸さんと僕は、バスの前のほうに二人ならんで座った。
石戸さんが窓際に座ったので、バスが出発すると、石戸さんの横顔の向こうの景色が流れはじめた。石戸さんの耳で、丸い真珠がゆれている。
「石戸さん、やけに荷物が重そうだね」
「うん、『アルゴナウティカ』が入ってるの」
「アルゴ・・・なんだって?」
「ナウティカ」と言いながら、石戸さんは鞄を開けて、古そうな本を取り出した。赤茶色の革の表紙に、金色のアルファベットがならんでいる。
石戸さんは表紙を白い手でなでながら、教えてくれた。
「これは『アルゴナウティカ』といって、書いたのは、古代ギリシャのアポロニオスという詩人。ギリシャ神話の英雄たちが、アルゴ船という大きな船に乗って、冒険の旅をするお話」
「へえ、古代ギリシャの冒険物語か」
「この本は、もとのギリシャ語を、英語に翻訳した本だよ。私のおばあちゃん、英語が得意で、おばあちゃんがプレゼントしてくれたの。このイヤリングも、おばあちゃんがプレゼントしてくれたんだ」
石戸さんは人さし指で、耳の真珠をつついた。
「石戸さんのおばあちゃん、すごい人なんだね」
「私、小さな頃から、おばあちゃんに英語を習ってたんだよ」
「どうりで、石戸さんは英語ができるんだね」
「へへ、英語だけならね」
「でもどうして、その本を科学博物館に持っていくの?」
そう聞くと、石戸さんは本を開いて、ページをめくりはじめた。
「これ、ここ」と言って、石戸さんは、開いたページに人差し指を押しつけるようにした。僕は車酔いが怖くて、のぞき込むことができない。
「どういうことが書いてあるの?」
「ここは、キュプリスという女神が、自分の子どもに話しかけてるところ。言うとおりにしてくれれば、おもちゃをあげるって」
「子どもをおもちゃで釣ろうとする女神様か」
「そのおもちゃっていうのは、天空神のゼウスがまだ幼かったときに、乳母に作ってもらった鞠のことみたい」
「鞠って、手鞠とかの、丸い鞠のこと?」
「そう。〈ゼウスの鞠〉は、金の輪っかが重なってできているって書いてある。上に放り投げると、流星のように光る尾を引くんだって」
「流星のように光る尾を引く。あ、隕石!」
「うん。なぜか、本のここの箇所だけ、ペンで書き込みがしてあるの」
「どういう書き込み?」
「〈ゼウスの鞠〉が出てくるところに、アンダーラインが引いてあって、日付が書いてある」
「日付?」
「そう、このあいだ長野に隕石が落ちた日の」
思わず本をのぞき込むと、本当だ、アンダーラインと日付が書いてある。長野に隕石が落ちたときの日付までは憶えていないけど、石戸さんは確かめたのだろう。
「へえ、おばあちゃんが書き込んだの?」
「聞いてみたけど、そうじゃないみたい」
「まさか。じゃあ、おばあちゃんよりも前の持ち主が、長野の隕石のことを予言してたってこと?」
「わからない。隕石を見にいけば、何かヒントが見つかるかもって思ったの」
「そういうことだったんだ」
「そんなことに付き合ってもらって、大丈夫だった?」
「大丈夫どころか、むしろ面白くなってきたよ」