食わず嫌いと宗教、リアルとリアリティ
こんばんは、木村です。
今日は最近毎日物凄く勉強していて、ふと思ったことを呟きます。
結論、何にしても、食わず嫌いは本当に勿体ないな、と。
例えば、宗教。
日本人に宗教と言うと、ちょっと近づきがたい、ちょっと危なそう、みたいな雰囲気が世の中にはあると思うんですけど、歴史を勉強したうえで現代社会のカオスな状況を眺めていると、特に日本人はしっかりと自分の核となる思考(倫理)の柱はあった方が良いと思うんですよね。
というのも、今の日本人はある意味ではほとんどの人が近代欧州中心主義的な思想が義務教育課程の段階で植え付けられて、それになんの疑問も持たないまま大人になっているケースが大半だと思うんですけど(というか自分がそうだったわけですけど)、
それってつまり、発展途上国だったり新興国の人たちから見れば、”日本や他の先進国の豊かさは様々な搾取をもとに成り立っている”ということに気付いているのに気づいていないふりをしているように見える、という点で、「成長教」だったり「新自由主義教」だったりするわけで。
でも本人たちはそれに気付いていないし、日本人は教育課程もしっかりしているから、世の中の為に仕事頑張っているから、と色々な言い訳をして知ろうともしない。
勿体ないな、と。
例えば、スポーツをやっている人ならスポーツが人に与える力はよく知っているし、芸術家ならその作品のパワーも全身で感じられることを知っている。だから価値を感じて、それに没頭する。
宗教って、それと同じなんですよね。ある一つの「信仰」をベースに人生を歩む。何故ならそれはその人の人生を豊かにしてくれる。
哲学も同じ。ある一つの「概念」をベースに世の中を見る。何故ならそれは「概念」という眼鏡を通して、自分の好きなように世界をみることが出来る。
何が言いたいかというと、宗教にせよ、哲学にせよ、スポーツにせよ、芸術にせよ、当然食べ物にせよ、
一度口にして、味わってみて初めて、その人が見ている世界を知ることが出来るわけで、その経験って、一度しかない人生にとって、本当に大事なことなんじゃないかと。
食わず嫌いの人って(今までの自分も含め)、リアル(確かに存在している現実世界)とリアリティ(自分の眼鏡を通して見ている世界)がどんどん乖離していってしまう。
今の人生に100%心から満足していて、これ以上ない毎日だ!!!と言えるなら、それでいいと思うんですけど、例えば今なら、資本主義が牙を剥き、これだけ貧富の差が広がり、世界をちょっと見渡せば、「飢饉」が起きている国もある。ミャンマーのように民主主義が崩壊してしまった国だってある。
普通の日本人なら「自分に出来ることってないのかな、自分の人生、これでいいのかな」って思うと思うんですよね。
世界は、知れば知るほど、こんなにも広くて、日々色んなことが起きています。
自分の世界にいれば当然安全だけれど、世界はもっとカラフルで刺激的で、当然ネガティブなことも多いけど、魂を燃やせる何かに出会うチャンスもだってたくさん眠っている。
そして、もしかしたらそれは、あなたに出会うことを楽しみに待っているかもしれない。
今日はそんな「食わず嫌い」が”勿体ないことなんだ”って気付いてほしくて、そして一緒に勉強して色々人生についてみんなと語り合いたくて、こんな記事を書いてみました。
大きなお世話かもしれないけど、僕はこの5か月で毎日めちゃくちゃ本を読んで、本当にいろんな世界を知ったし、今、毎日が本当に充実しているので、心から、みんなと一緒に語りたいと思っています。
では、明日も頑張りましょう。
おやすみなさい。
『今日の言葉』
リアルがリアリティの一部になったとき、人は初めてその問題に向き合える
(仏・哲学者 ブルーノ・ラトゥール)
木村匠吾