木村匠吾

(プールや海を)泳いで、(バイクを)漕いで、(皇居の周りを)走って、(本を)読んで、(…

木村匠吾

(プールや海を)泳いで、(バイクを)漕いで、(皇居の周りを)走って、(本を)読んで、(人生や社会のことを)考えて、(色んな人と)繋がって、(ちょびっと)働きながら生きています。 マルクスを勉強中。

最近の記事

これまで、人生において後悔というものをしたことがなかった。 つもりだった。 最近は、この言葉の意味がよくわかるようになった。 何故かは分からない。 とりあえず、そういう生のフェーズにいるような気がする。 そして今は、この後悔と死ぬまで付き合い続けなければならなそうだ、という感覚がある。 ここ数か月は、ずっとこんな感じ。

    • 永久保存版。

      柄谷思想をまとめた良記事。 備忘録としてここに引用。

      • 言語は”思考の可能性”を規定する

        言語は”思考”を規定はしない。 言語は”思考の可能性”を規定する。 使う言葉、想起する言葉、そういったものを通して、私たちは世界を見ているけれど、 だからと言って、自分が使える言葉や知っている言葉だけで”思考の全て”が支配されているわけではない。 ただ、当然、多くの言葉を知っている方が、”思考の可能性”は広がる。 西欧の近代化の影響を完全に受けてしまっている現代社会を生きる私たちの言語体系には、この点において、一つ大きな問題がある。 それは、「意志」と私たちの使う「言語

        • 生きづらさって何だろう

          生きづらさ ってつまるところ、なんなんだろうね。 ムラ社会の濃さが生きづらいからと都会に出てきたはずなのに、 都会の無関心さもまた生きづらい、とか言っちゃって。 虫が嫌だとか、田舎は不便だとか言いながら、 都会には自然がないとか、自由な場がないとか言っちゃって。 お前の為の社会じゃねえし、人間の為の地球でもねえから。 期待される側からしたら、ご勘弁願いますよお兄さん。 そんなところじゃないんかね。 "まぁそんなもん"で苦悶するからオモロいんじゃねえか、と思いつ

          人生の主役は自分なのか

          今日、一回り上の先輩にご飯をご馳走になった。 「お前はアツい!お前は何をやりたいんだ?どういう生き方をしたいんだ?」と聞かれた。 「僕は全力で、仲間の全力のパフォーマンスを、近くで、仲間と、応援したいんです。それを、やり続けたいんです。」と答えた。 「お前は”自分が"パフォーマンスをする側じゃないのか?!」 ハッとした。 確かに、あんまり自分がやる、ということには関心がないのかもしれない。 仲間が、クソ無駄なことに没入して、それを全力で隣で応援していたい。 もしそれが

          人生の主役は自分なのか

          山學ノオト

          今日は、ルチャリブロのキュレーター青木真兵さんと、隣町カフェの店主平川克美さんの対談@隣町カフェにお邪魔した。 とても楽しい祝日の夜だった。ありがとうございました。 ここ一年ちょっと、ずっと身体性を伴っている文章を書く人たちに憧れを抱いてきたが、人文社会学、特に経済思想の領域でまさにそれを体現されていらっしゃるのが青木さんだと思う。 青木さんの文章は「手づくりのアジール」で最初に拝見し、その後「撤退論」でも拝見した。 美しいし、優しいし、肌にしっとりと染み込んでくるような文

          山學ノオト

          人生が始まらない

          日々忙しいはずなのに 何故か退屈で仕方がない 大した苦しみはないけれど 大した喜びもない 人間の心臓が動いている年数は増えているらしいが 私の感情が動く瞬間は極端に減っているように思う 明日は恐らく来るけれど 明後日には忘れているだろう 今日もまだ、人生が始まらない

          人生が始まらない

          死んだ言葉と奇跡と

          いくら言葉を探しても、 いくら科学を見渡しても、 いくら行動しても、 言葉は死んでいき、 奇跡は見当たらず、 世界は微動だにしない。 知らなければ良かった、 誰かがやってくれると思えれば良かった、 科学が万能なら良かった、 生まれたのがこの時代じゃなければ良かった、 死を語り合える世界なら良かった。 それでも、 言葉を探し、 科学を学び、 行動をし続けることで、 新しい世界の見方が身につき、 新しい期待に胸が躍り、 新しい友に出会える。 見える世界は変わり続ける。 言

          死んだ言葉と奇跡と

          人新世の気候マーチ

          どんな波を起こせば良いのか、 どんな社会を夢想するのが良いのか、 どんな人生を目指すのが良いのか、 どんな人間であるのが良いのか、 全て、手探り。 でも、そうこうしている間に、 自然豊かな地球は人間の経済活動によって壊れていき、いよいよ人工物で覆われ尽くそうとしている。 『人新世』はそれを表す言葉だ。 人間は、自分で自分の生きる土台を、意図しない内に壊している。 コロナや干魃、洪水がその顕著な例。 何が出来る? どこを目指せば良い? そんなことは分からなくても、おかしい

          人新世の気候マーチ

          言葉と個性。

          2022年も7月が終わろうとしている、そんなコロナ禍の夏。 気付けば、斎藤幸平さんの著書に出会って、もう1年半も駆け続けている。 木村の精神のテンションで分けると、最初の9カ月は「猪突猛進」、昨年末3か月は「抑鬱」、年明け3か月は「辛抱」、この4月から6月は「ウェルビーイング」、そして今月は「哲学」、こんなワードたちが当てはまるような1年半だった。 今日はこれらの時期ごとに、何があって、何が変わったか、また何が変わらなかったか、を振り返りたい。 では、早速。 2021年

          言葉と個性。

          地球史から考える人類と人生

          人間は地球上の生命体の中で唯一、物語を紡ぐことが出来る。 その特殊能力によって人間は社会を形成し、文明を築き、ここ数十年で一気に、地球上に存在するすべてのモノと繋がることが出来るようになった。 結果、人間は地球を支配してしまった。 ・・・かのように思われたが、とあるウイルスによって、そうじゃねえぞ、と一気に目を覚まされた。 我々は地球人である自覚を取り戻した。 自覚を取り戻した一方で、「冷静になると、今までの人生って、どこか空虚だったな、今もなんか人生つまらないよね」そんな空

          地球史から考える人類と人生

          To have or To be

          『持つこと』と『あること』。 6月に会社の同期が亡くなった翌日に、会社を休んでふと寄った本屋で出会った哲学者エーリッヒ・フロムの本。 最初は意味が分からなかった、『持つこと』と『あること』。 カール・マルクスは『君が”ある”ことが少なければ少ないほど、それだけ多く君は”持ち”、それだけ多く君の生命は疎外される』と言っているけど、これもあまり意味が分からなかった。 ただ先日ふとしたとき(パラアスリートの写真を見たとき)に、『パラリンピックがオリンピックより面白く感じたのは、ア

          To have or To be

          慣習を壊す、未来が見える

          今日あったこと。 社員数数千人規模の会社が10年以上慣習としてやってきた”無駄”を1つ、ぶっ壊してみた。 『それって意味あります?こっちの方がよくないですか?残業時間も減るし分かりやすいし地球のエネルギーも消費しませんよ?サステナブルじゃないこと、やめません?時代錯誤、やめません?今、令和っすよ。DXって、知ってます?』と畳みかけるように爆笑しながら詰めていったら、 最初はすごい困惑され、難色を示されたので、『責任者は?誰に許可貰えばいいですか?』と更に詰め寄り、秒速でグロ

          慣習を壊す、未来が見える

          世界は色鮮やかだからこそ美しい

          東京2020、パラリンピックの閉会に伴い、遂に全ての工程が終了しました。 言いたいことは山ほどありますが、感情が入り乱れていてしばらく収拾がつかなそうなので少しだけ。 まず、全てのアスリート、コーチ、監督、審判、家族、仲間、ボランティア、医療従事者、応援団、土木作業員、メディア、警察、自衛隊、東京都、国、世界の皆さん、全てに感謝します。 本当にありがとうございました。 特にパラリンピックからは本当に多くのことを学ばせてもらいました。 世界にはまだまだまだまだ、知らないこと

          世界は色鮮やかだからこそ美しい

          United by Emotion

          木村匠吾です。 東京オリンピックが閉幕しました。 皆さまはどんな感動と出会い、何を感じ、どんな思い出が残りましたでしょうか。 私は毎日のように涙しながらも、社会の複雑さを感じ、その上で、改めて、スポーツの持つ素晴らしい力を全身で感じることが出来ました。 本大会の多くの場面を見て、一つだけ皆さまと共有出来るだろうと思ったことがあります。 それは、選手やコーチ、ボランティア、大会を支え、盛り上げた世界中のすべての人々が『目の前のことに本気だった』ということです。 重圧や葛藤、色

          United by Emotion

          座右の銘

          今日は時間も遅いし眠いので、ちょびっとだけ。 座右の銘について。つぶやきです。 僕は高校生の頃から「人は鏡」という座右の銘とともに生きてます。 これは水泳部のキャプテンをやっていたころに後輩が練習を頑張れなかったりしているのを見て、どうすれば「出来る」という自信をつけさせてあげられるんだろう、という問いを考えに考え続けていた結果、辿り着いたものでした。 今でも、何か良いことがあったとき、悪いことがあったときは自分を「鏡」で見つめなおすことで、自分の行動がどういう結果を