読書の楽しさとメモの魔力
今日はランニング9㎞で死にそうになり、午後は後輩と今持てる知識がどう役立っているかについて話していました。
ランニングについては本当に10月までにフルマラソンが走れるようになるのかと物凄く心配になりましたね。笑
これからは可能な限り毎週10㎞は走ろうと思います。東京マラソンで完走できなくては当選した意味がないので、、
午後のアウトプットも、とても良かったですね。相手の関心や知識レベルに合わせて言語化する際のワーディングにも気を使いますし、それに気づくともっとブラッシュアップ出来そうだな、ということに気付く。
知識を共有している(与えている)はずなのに、自分も与えられる、という。人間ってすごいですね。笑
さて、今日は①読書の楽しさと②メモの魔力です。
①読書の楽しさ
これは前々回も書いた通り、「食わず嫌いはもったいない」ということとほぼ同義ですが、読書をすると世界中の賢人の「世の中の見方」を知ることができ、それを自分の眼鏡にすることができる。
ここ最近で一番感動したのはマルクス・ガブリエルの「新実在論」ですが、日々多くの「うわお!!そんな見方出来る?!やば!!」に出会っています。笑
(新実在論、めちゃ面白いんだけど、言語化するのがマジでむずいんで解説まではもう少しお時間ください。笑)
ちょっとズレますが、よく「本を読むのが苦手」という人がいますが、最近読書にハマっている人間からのTipsとしては、「演じる&ストップする&諦める」ということが大事かなと思います。
要は、著者と対話している感覚を持ちながら(演じながら)、読む。わからなかったら、いやいや、よくわかんねえよ。とツッコミを入れて、一旦席を立つ(調べる&何を言いたいのか頑張って言語化してみる=ストップする)。落ち着いてもう一回目を通して、もう一度対話する。それでも分からなければ、もう今日はそこを読むのをあきらめて、別の本を読む(諦める)。
難しいことを言っているときは大事じゃないところだったりすることもありますが、大抵の場合、そこが理解できずに飛ばすと後ろでまた難しい表現に出会ったときに飛ばしてしまう癖がついて、結局多くの大事なところを漏らしてしまう可能性があるので勿体ない場合が多いです。(少なくとも今読んでいる経済×哲学×人文学みたいな領域は比較的世界観が難しいですし、書き手もすぐに結論を言うようなタイプの人は少ないです)
諦めてほかの本を読み進めて、似たような話を別の視点からしていると、もしかしたらあの著者はこう言いたかったのでは?という点を自分の中で増やすことが出来るので、思考が線や面として繋がりやすくなります。
なので、理解する(点を確実に増やす)というのは大事な作業なので、難しかったらその日は諦めてみてください。
②メモの魔力
これは言わずと知れたSHOWROOMの前田さんの伝説的な著書ですね。
僕も読みました。ただ、正直読んだだけ、で終わってたので、ありとあらゆることを徹底的にメモ(抽象化して、言語化)する、ということの重要性があまり理解できていませんでした。
ところが最近、こういったところでのアウトプットや音声でのアウトプット、ノートのメモによるアウトプットを始めると、ふと「言語化」に繋がる瞬間がある。
あ、これか。
と。笑
僕の場合、前田さんがアドバイスをしていたような構成にはしていなくて、辞書を作る感覚なのですが、これでも十分、有用です。
さっきから言語化、言語化、言ってますが、言語化、というのは、「言葉って鏡みたいだよね(自分の発した言葉って、大体自分にも返ってくるよね)」と言ったように、何かを何かに置き換えてみる、ということですが、
言語化することが何故いいのか、というと、世の中がシンプルに見えてくるので、何か困ったときや判断したい時に「このケースはこれに近いな」と物事を相対化出来る、というのが利点だと思います。
例えば僕は環境問題や資本主義問題にめちゃくちゃ関心があって、証券会社なんてまさにこれに加担している最も悪な組織じゃないか、と思っているのにここで働いているのは、「ガンジーもそうだったし、必ずしも非倫理的な組織にいることがすぐにそこから去る決断にはならないよね」と解釈しているからなんですよね。(大組織から去らない理由は他にも幾つもありますが長くなるので触れません)
要は「非暴力非服従」というガンジーの哲学は、戦争の現場に出て行ったりというあらゆる現場での経験があったからこそ完成したもので、僕も資本主義はやめた方が良いとは思っていても、その現場から逃げては何が起きているのかはよくわからないので解決策も思いつきにくくなるかもしれない、と思っている、ということです。
もしかしたら歴史や「利他」のあらゆる概念を知らなかったら、自分の立場が相対化出来ずに辞めているかもしれない。
これって勿体ないですよね。だって視野が狭い状態だから取りえる選択肢が少なく見えるだけで、学びを言語化し、相対化することで、もっと多くの選択肢が出てくる可能性がある。
以上の観点から、「メモ(抽象化と言語化)」は重要なのかな、と。
これは必ずしも読書をしなきゃいけない、とか勉強をしなきゃいけない、ということではないです。
一回立ち止まって、考えてみる、それを抽象化&言語化してみる(点を作ってみる)というのが大事だと思います。
ただ、読書や勉強は、モードが「対話」や「学び」の状態ですから、心が素直になっていて、あらゆる概念を受け入れやすくなっているので、「抽象化」と「言語化」をするための手段としてはとても有効だと思います。
気付いたら書き始めて45分が経っていたので、ここまでにします。
是非皆さんも、「これってこういうことだよね」という言語化ゲームを楽しみながら日常を過ごしてみてはいかがでしょうか?
世界がカラフルにする一つの手段になると思いますよ。
「今日の言葉」
人間性を否定したいという願いほど、人間的なものはない(米哲学者 スタンリー・カヴェル)
木村匠吾