交遊録も④まで進みました。今回は社会人2年目のお話になります。
交遊録③で書きましたテレビ制作会社を退職後、メーカーの営業職に転職することになりました。
大学時代、テレビ業界以外に興味がなかったこともあり、他業界を一度経験したいと思いから、畑の違う営業職に行くことにしました。
入社から4ヶ月ほどは順調に行っていたと感じていた頃、教育担当を務めていただいていた上司が休職することになりました。
上司からは周りに質問をして会話を増やすようにとアドバイスを頂いてましたが、質問や他愛もない会話をすることに恐さを感じていた自分は自ら孤立状態になっていきました。
上司から引き継いだ仕事を不出来ながらこなすのが精一杯で、ミスの連発に社内にいる時は、常に要らない存在だという感情になり、焦りと緊張状態が心身を支配していきました。
入社から半年後、ついに鬱症状が姿を現すことになります。
注意力散漫や不眠、朝目覚めてもベットから体を起こすことが出来ないなどの睡眠障害。その他、吐き気、胃痛、頭痛、倦怠感、目眩、手の震えや痺れなど。心療内科に行き、「中度の鬱症状」の診断を受けることになりました。
当時の症状を列挙してみて、よく今生きているなと思うくらい体調は最悪でした。
消えてしまいたいと思っていたそんな時、学生時代からネットラジオ活動をしている相方に症状のことと「今後どういう状況になるかわからないから、俺が居なくなってもラジオは続けて欲しい」ということを吐露。
その時、相方から「お前以外の人とラジオをする気はない。どんな事があっても俺はお前の味方だから」と言ってもらえたことで、なんとか踏みとどまることが出来ています。
営業職を初めてちょうど1年経った夜、家族から退職を勧められ、約1年間という短く激しい生活に幕を下ろしました。
現在は症状が出ることはあまりなく、安定した生活を送っていますが、環境が変われば再発のリスクもあるので、鬱との交遊録を綴る日もあるかもしれません。
その日が来ないように「頑張らない」ことを意識して生きてます。
終わりに
4回に渡って綴った『鬱との交遊録』ですが、当記事に「闘病」や「戦い」などの表現を使用しませんでした。
それは鬱とは戦うのではなく、上手く向き合っていくものだと気づいたからです。
そして、鬱と向き合うようになって、よかったと思うことが一つだけあります。
それは「人の苦しみや辛さなどの負の感情を共感できる人間になれた」ことです。
この記事を読んで下さった、鬱で悩んでいるあなたの負の感情が少しでも和らいでいたら、この記事を書き綴った意味があります。
どうか、自分を大切に。ゆっくり、無理なく、一歩ずつ寛解に向かうことを切に願い、この記事を締めたいと思います。
ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございました。