ユメヒロバ②どんなものにも価値がある
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ユメヒロバvol.2のお相手は、地元の友人「あいたりょーすけ」。高校卒業後、浪人生活を経て、国際教養大学へ進学し、フランスの第四都市トゥールーズへ留学。大学卒業後は、コンサル会社に勤務し多方面にて活躍中。
しかし、その恥ずかしがり屋な性格から、まだ深く知られていない彼のもう一つの顔を尋ねにゆく。
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「どの分野でも価値あるもの」へと一般化する
奥田:會田とは中学、高校が一緒で、特に高校の時はクラスも一緒でずっと一緒にいた仲だったけど、社会人になってからかな。久しぶりに会った時に、「すごく教養のある大人になったな」と感じて。おそらく、今の會田の人格を形成したのは、国際教養大学というハイレベルな大学で、外国人と寮生活をするという特殊な環境の4年間だったんじゃないかと想像しているんだけど。
會田:間違いなく大学の4年間は自分の人格に大きく影響を及ぼしたと思うんだけれど、もう一つあるのは、浪人した1年間が人生の中で大きい変化があったと思う。
奥田:浪人の1年間はどういう1年間だったの?
會田:現役高校生の時は、将来のことをあまりよく考えていなくて、適当に金沢大学を受験して失敗して。でも、なんとなく国際系の大学に行きたいと思っていたんだけど。
教室の後ろによくある進路の本、ベネッセとか厚い本あるじゃん?その本に、大学の学部を決めるには、どういう職業になりたいか?を考えて、逆算して決めようって書いてあって。世の中にどういう仕事があるのかも知らないのに、そんなの決められないじゃん?俺は物理も化学も日本史も、全部の科目が好きだったし、海の向こうにはどういう人たちがいて、どんな考えがあるのかを知りたくて、国際系を目指したんだけど、高校までは人と関わっていくのが大嫌いだったんだよね。でも、浪人した時にもう一度本気で将来のことを考えて。海外の人たちと学ぶなら英語でコミュニケーションを取らないといけないし、「できないことを、できるようになる」ということを考えて生きていかないとダメなんじゃないかと思ったのが、自分の人生の中では大きかった。あのまま金沢大学に行っていたら、そういう考えに至らなかった。
奥田:浪人時代に、もう一度本気で将来のことを考え直すことが必要だったんだね。
一つ思ったのが、国際学って全部じゃん?例えば法学部だったら法律について勉強する学部でしょ。学部にはそれぞれ独自の専門性がある。でも国際学って全部勉強しないといけないよね。それプラス、国際教養大学は「教養」、リベラルアーツというのを学んでいく大学でしょ?一つの分野だけでなく学際的に学ばなければならない。それが會田の持つ幅広い知識や教養に繋がっていると思うんだけど、大学はどうだった?
會田:「国際教養」はInternational Liberal Arts だから、基本的には「教養学部」、それに「国際的」がくっついてる。だから専門性はなくて、授業も「科学史」とかもあれば「華道」とかもあって、本当に何でもある。リベラルアーツの思想自体が、色々な分野を学んで、それを一般化するということなんだよね。一般化するとは「どの分野でも価値のあるもの」にするということ。例えば科学で勉強したことを国際関係法と結びつけて新しい意見を出すとか。だから自分の意見を出すことが大事。
奥田:リベラルアーツの思想はとても大切だと思っていて、学問というのは突き詰めていくと全部繋がっていると思うんだよね。どの分野の学問も、ずっと掘り下げていくと、結局は「人間はどこからやってきて、どこへ行くのか」ということを研究する営みだと思う。自然科学、物理学、量子学も、人文学や宗教学もぜんぶ、宇宙を、この世界のことを研究することになっているから「人間はどこからやってきて、どこへ行くのか」を研究している。人間の根本的な疑問をそれぞれの分野で研究しているけれど、重なっていくんだよね。
會田:そう。さっき自分の意見を出すことが大事と言ったけど、例えば地域発展学では、「なぜこの地域は過疎なのか?」「なぜそういう課題があるのか?」をまず考えて、「どういう解決法があるか」と意見を出す。解決のために「なぜ?なぜ?」と突き詰めていくと、学問は全て繋がっていると思う。この考え方って、みんな社会に出てからもするじゃん?学校でやったことを、社会に出ても同じことをしたいなと思って、コンサルティング業界に進んだんだけど、リベラルアーツは学問に限らず、日常生活、生きていく上で応用できる力がある。
日常を続けることが一番の反撃
奥田:一度會田とは苦い経験があって。大学生の時かな。勉強したての自分が仏教の話をしていたの。すると「そんなことはありえない」とか散々言われたんだよね。確か會田からもそんなことを言われて。でも、大人になってから會田と会って、遊んでいる中で仏教の話もするけど、否定的なことを言われたことがない。それはもしかすると、国際教養大学という特殊な環境で、アメリカ人と寮で暮らしたり、アフリカの人と昼休みに鬼ごっこしたり。あとは、フランスに留学したり、そうやって色々な人と出会って、過ごしていく中で、世界中の人たちは生活と宗教が密接に関係している、ということを肌で感じたからなんじゃないかと思っているんだけど。
會田:イスラム教徒の留学人もいたし、宗教というか、人を想う気持ちというのは沢山学んだかもしれない。2015年にパリで同時多発テロが起きた時、ちょうどフランスに留学していたんだけど、パリで沢山の人が死んで、世界中の人が「pray for France」と祈っていて、自分も同じような気持ちだったんだけど、実は直前にレバノンでも自爆テロが起きていて。そのニュースは全然報道されず、世界中の多くの人はフランスにしか祈らなかったんだよね。
奥田:当時は日本の人たちもFacebookにフランスの国旗を掲げていたね。
會田:そう。それで「フランスにしか祈らないのはどうなんだ?」という批判があったんだよね。大学の友達にもそれを言われて、その批判に違和感があった。その時に、「人の死に差をつけていいのか」ということを考えて......。自分は当時フランスにいたから、フランス人の死を悼む気持ちが当然あったんだけど、その気持ちに、なぜイチャモンをつけられなければいけないのか。批判する気持ちは分からなくないんだけど。
奥田:他の国の状況を知ったり、想いを馳せることは大切だけど、人が死を悼む気持ちに対してイチャモンをつけるのは違うのではないか、ということだね。
會田:人と命は平等だと思う。でも個人レベルで考えるとどうしても平等になれない。やっぱり知らない人より家族に対しての方が敏感だし。パリに関係を持つ人が多くいたから、多くの人がパリに祈っていたんだと思う。そんな経験があって、他人を想う気持ちというのは、身近に感じていたかもな。
奥田:ロンドンでも爆破テロがあった時、ニュースで見たんだけど、多くの人が現地で祈っていたり、あるいは公園かな、大きな広場で大勢の人がoasisの「Don't Look Back In Anger」を合唱していたことが印象的だったんだけど、パリのテロが起きた時、フランスの現地はどんな雰囲気だった?
會田:フランスは「日常を続けることが一番の反撃」という考え方だったから、学校も仕事も止まらなかった。パリはもしかしたら休みになったりしたかもしれないけれど、自分が住んでいた場所では、日常を続けること、テロリストに日常を邪魔されないことが一番大事だという考え方だった。
奥田:なんかフランスらしいというか。日常を破壊されることが何より怖いし、日常こそが大切だと考えるのがいいね。
故郷への想い
奥田:僕たちは高校を卒業してから10年地元の伊達市を離れてしまったわけなんだけど、10年経ってみて、會田は「伊達」という町に対してどう思っているのか聞いてみたい。僕は最初伊達に帰ってくるつもりだったから、京都にいる時もずっと地元のことを想いながら過ごしてきたんだけど、今は伊達には帰らないつもりで生きているから、物理的にも気持ち的にも離れてしまっているなぁと感じていて。
會田:伊達という町はとても好きで、離れてしまって気づく良さがやっぱりあるね。浪人するために札幌行った時も、大学で秋田に行った時も、この東京でも。どの町にも負けない基礎としての強さがあると思う。この前も帰ったけど、町の景色自体は変わっていて、メムハウス(小さな雑貨屋)が無くなってたり、商業施設が新しく建っていたりしてるけど、基礎は変わっていない。
奥田:僕は伊達から離れた身で偉そうに言ってしまうんだけど、便利な商業施設が建って、風情のある小さなお店が無くなっていって、人口も減少しているのを見ると、町の力が衰えていっているんじゃないかと感じてしまうところがあるんだけど、そこはどう感じてる?
會田:就職する時に一番最初に考えたのが「地方創生」だったんだよね。なぜかというと、伊達を知っているから。その周辺の町、壮瞥とか、洞爺とか、虻田とか、衰退していく町も見てきたからね、どうにかしたいという気持ちがあった。最初は旅行業界も考えていて、営業に自分は向かないから辞めたんだけど。地方創生のソリューションで一番大きいのは観光。でも、それだけじゃないんじゃないかと思って、汎用的に思考できるコンサル業界を選んだ。結果的に現在は地方に関われていないんだけど.....。課題が何で、どうすべきか、というのを今は身につけて、育てていっているので......
奥田:いつかは?
會田:いつかは地方創生にも取り組みたいと思っている。でも、どの自治体も苦労しているんだけど、伊達はすごく上手くいっている事例だと思っている。
奥田:確かにカルチャーセンター前の道の駅とか、すごいよね。農家の人の顔が分かる野菜が産地直送型で売られていて。新しくできた場所だけど、温かさがあるというか。
會田:すごい混んでるよね。伊達の持っている価値を感じるし、そういうところに基礎としての強さがあるなぁと思う。
北海道を出た人だけが持つ北海道愛を持って地方創生へ
奥田:今まで色々なことを聞かせてもらったけど、最後に、會田のこれからの夢について、聞かせてもらえたらなと。
會田:夢かぁ。結局、自分の生き方の方針としては、「1つに絞らない」ということ。1つの分野にとらわれすぎず色んなことにチャレンジしていきたい。と言いつつも、やっぱり地方創生のことは大学4年生の時からずっと考えてきたことだから、関わっていきたいなと。
奥田:5年間コンサルとして働いてきて得たものがあって、今度はコンサルとして地方創生に携わっていきたいということだね。色々チャレンジしてみたいというのは、自分の性格的にそう思うの?それともリベラルアーツの思想として?
會田:両方だと思う。何事にも興味を持つ性格だったし、実際に色々勉強してみて、新しい分野を勉強している時が一番楽しい。
奥田:その感覚わかるな。新しい学問領域に踏み入れる瞬間が好きで。
會田:逆にそれをしていかないと、狭まった世界でしか生きていけない。それがすごく怖い。
奥田:専門性は高まる一方で、盲目的になるというか、独善的になるというか。
地方創生ということで一つ思ったのが、「他力本願.net」というウェブサイトを運営する仕事をしていた時に、自分も街づくりに携わることがあって学んだのが、街づくりでとても重要なのはソーシャルキャピタル(社会関係資本)。このソーシャルキャピタルを基礎としたソリューションを、會田は実際に仕事で実践していると思うんだけど。
會田:地域を盛り上げるために必要な資本はいくつかあると。ファイナンシャルキャピタルとか、ヒューマンキャピタル(人的資本)、建物とかのフィジカルキャピタル(物理的資本)。でも一番大事なのはソーシャルキャピタル。人との繋がり、やる気、想いだよね。
奥田:信頼が醸成されたり、互恵性が生まれるのがソーシャルキャピタルの特徴だね。
會田:秋田の自治体では諦めている人が多くて。「もうこの町はみんな死んでなくなるから」って。
奥田:地方では諦めている人も多いよね。會田がそういう人たちの力になっていくことを期待したい。會田なら地方創生も新たな領域ということで楽しんでいけそうだし。
會田:結局、北海道が好きだし、伊達が好きだし。1つに絞らない生き方をしながらも、地方創生に関わっていく仕事をしていきたいかな。北海道を出た人だけの「北海道愛」というのを持っているし。
奥田:実は、僕もコンサドーレを応援し始めたのは、北海道を出てからなんだよね。
會田:俺も日ハムを応援したのは北海道を出てから。
奥田:やっぱり?コンサドーレを応援している時だけは道産子に戻れるっていう感覚があって。
會田:それめっちゃわかる。
奥田:道産子に戻れるのが嬉しいんだよね。僕らがそういう感覚を持っているのは、やっぱり北海道に対する愛があるからなんだろうな。
あいたりょーすけ┃PROFILE
北海道出身。28歳。
高校卒業後、浪人生活を経て国際教養大学に進学。大学で学んだリベラルアーツやパリでの同時多発テロ時にフランスで留学していた経験を踏まえ、コンサルティング業界へ就職。テキーラマエストロ。
高校3年生の文化祭にて、クラス対抗の演劇に出演し、まさかまさかの渋い演技を披露し、誰も予想だにしていなかった最優秀助演賞を受賞したことがある。
対談を終えて
僕が東京に来てからは、よくプライベートでも彼と遊んでいるんだけれど、彼は僕が面白いと思ったものを、面白がってくれる人。そして「へぇ〜そうなんだ」で終わらずに「それって実は...」と何でも話を広げてくれるので、いつも引き出しの多さに驚かされます。彼の家のトイレには10冊くらい本があるんですよ。踏ん張りながら本を読むんだと思うと笑えてくるんですが、彼の教養の深さは好奇心にあるんだなと、今回の対談で思いました。
どんな分野でも価値のあるものへ一般化するリベラルアーツの思想を聞いて、仏教と似ているなと感じました。自分の趣味とか、ちょっと変わった癖とかでも、すごくちっぽけに思えてきて「価値なんかないな」って感じることがありますよね。でもリベラルアーツにはそこに価値を見つける力がある。生きているとどうしても浮き沈みがあって、誰からも認めてもらえない、生きていく価値なんかない、と深く重く沈んでしまう時が人にはありますが、それでも「そのままのあなたでいい」と包み込んでくれる仏さまの”はたらき”のことを仏教の言葉で「慈悲」と呼びます。