見出し画像

『プアン』みた

『プアン』(One for the Road)を見てきた。

はぐれ者ワナビーたちの物語という感じでよかったな。
ボスとウードの出自の格差を読み込む向きもあるようなのだけど、実際はボスも望まぬ成り上がりを経たに過ぎないし、むしろウードのほうがいろんな意味で中心、というか主流にいるひとなのかなと思った。

バンコクを中心に見ると、元恋人たちの居場所もみんな「なりきれない」ところだったりするんだよな。

アリスがいるのは、都市ではあるけれどあくまで「イサーン」に過ぎないコラート、ヌーナーがいるのはバンコク「圏」のサムットソンクラーム(で、ソープオペラに出ている)、ルンが家族と暮らすのは「第二」の都市とされるチェンマイ、そしてプリムが育ったのは、凋落しつつある、バンコク近郊ビーチリゾートのパッタヤー。そういうみんながNYに行ってワナビーになる。

NYが宙吊りの空間として設定されてて、ボスも含めて、そういう「なりきれない」ひとたちがそこに集まって享楽に耽り、また元の場所に帰るっていうはかなさがよく出ていたと思う。旅のスタート直後にウォンウィアンヤイを上空から撮ってるところとか、そんな始まりと終わりの円環が見えてよかった。

Preecha.MJ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:0005425_-_Wongwainyai_004.jpg

そしてそうやって見ると、バンコクからストレートにNYに行き、またバンコクに戻るウードだけは、本人の思いとは別に実は結構満たされたひとなんじゃないか、というか、それゆえに無自覚に他人を巻き込んだり傷つけたりして、自己中ながら、自分も痛みを抱えることになるのかなとか。良き映画でした。

そういえばサムットソンクラームにあんなでかい教会があるのは知らなかったのだが、アンパワーからさらに奥に入った、かなりラーチャブリー寄りのところらしい。ラーマ4世期にターチーン川とメークローン川をつなぐ運河が沢山できて、そこに比較的後から来た中華系タイ人クリスチャンコミュニティのために、フランス人宣教師が建てたんだと。1890年。

あと、アリス役のプローイ・ホーワンって誰だっけと思ったのだけど、Project H のひとだった。時代を感じるな……


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集