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俺の顔をじっと見てから「あなたには一生私の気持ちはわからなくなったわね」と言ってきた母親

俺は自分の母親が自称「ブスの東大があったら入れた」ひとだったし、弟は小さい頃は見た目はむしろ平均よりかわいいくらいだっただろうに、思春期以降ぐんぐんと女子ウケしない方向に成長して、ずっとそのままひとりでいるひとだった。

俺自身は、小さい頃から大人になってもずっと低身長だったけれど、それでも父親よりは少し大きくなったし、スポーツもやってなかったから、こんなものだろうと特にコンプレックスに思うこともなかったし、それ以外の面だと、中高一貫の男子校を出て大学生になって以降、社会人になって以降も、あきらかに見た目で下駄を履かせてもらった感じのある他人からの扱われ方をされてきた。

自分の母親が、世の中の多くのひとは、自分のことを一人の人間として見ていなくて、ただのブスとしか見ていないということを前提に生きているし、そういう世の中に一秒も途切れることなくNOと思い続けていようとしているひとだということを、俺はいつくらいになんとなくても理解していたのだろうと思う。

母親が父親にもそうしろと言っていたのだと思うけれど、俺の育った家では、俺のことにしろ、弟のことにしろ、見た目とか顔について、ポジティブなことも含めどういう話もされることがなかったし、近所のひとであれ、家族ぐるみの付き合いのあるひとたちのことであれ、見た目のことを話のネタにすることがなかった。

テレビの中にいる人間についても、父親は何も言わないようにしていたし、母親もブサイクな女のひとについて、かわいらしい素敵なひとじゃないのというようなことを言っていたりするくらいで、その教育効果なのかはわからないけれど、俺は小さい頃からずっと、テレビの中でわざとらしいことをやっている女のひとたちの誰一人に対しても、好きになったり、もっと見ていたいという気持ちになったことがなかった。

かといって、俺はブサイクなひとたちの世界への眼差しを内面化しながら育ったわけではなかったのだと思う。

実際、俺は高校の途中くらいまでぽっちゃりしていたけれど、二年生くらいでやや痩せ気味くらいまで体重が落ちて、見た目がけっこう変わったけれど、大学で東京に行く少し前くらいに、どこかに行くのに家族で電車に乗っていたときに、母親が俺の顔のまじまじと見て、「まぁこれで、あなたには一生私の気持ちはわからなくなったわね」と言ってきて、もちろん見た目のことだとすぐにわかったけれど、そんなことを言われてもなとしか思わなくて、特にどうとも言葉を返さなかった。

その頃の俺は、中学高校の六年間で、ずっと異性交遊に興味を持たないことにしているグループにしか所属していなかったし、実際に六年間一人の同世代の女のひととも知り合わなかったし、一人の女のひとの顔も覚えることがない生活をしていて、自分の顔が他人全般にとってどういう印象を与えるものなのかということにかなり無頓着な状態だったのだと思う。

それでも、母親に「あなたには一生私の気持ちはわからなくなったわね」と言われたときには、もともとわからなかったし、わかるようになりかけた時期だってなかったし、どうしたってそういう面ではまったく違う場所で生きているとしか言いようがないんじゃないかと思っていたのだと思う。

そういうことを家族で話さないし、自分も他人の顔がどういうタイプだろうとそれに特別何かを思わないからといって、俺は物心がついた頃から、親族の孫たちの中で一番おめめがぱっちりして、パーツ配置のバランスも取れていて、行儀がよすぎなくて表情が大きめな乳幼児だったり子供だったし、記憶にある最初から、自分がまわりの子供よりも見た目のかわいい子供として扱われていることに、そんなものかと甘んじてきたのだ。

女の子がかわいいことに興味がなさすぎたし、異性にも恋愛にも興味がなさすぎて、いつもよくわからないなとしか思っていなかったけれど、小学生のときも、男子で一人だけ女子のお誕生会に呼ばれたり、バレンタインデーに手作りチョコを家まで持ってこられたり、手紙を持ってこられたりとか、そういうことが中学年から年に一回程度とはいえあって、誰かからたまに特別扱いされるということは、よくわからないけれど自分にはあることなんだなと思っていたのだろう。

俺は自分のことをなんとなくそんなふうに思いながら、共稼ぎで忙しくしながらも、充分に俺や弟にかまってくれていた母親の姿を眺めていたのだ。

母親を全肯定するために自分の価値観を調整しながら育ったから、異性の見た目にああだこうだ思わない人間になったのだとは思うけれど、ブサイク扱いを受けることを通して世界を見ているひとの気持ちがわかるようになる可能性なんて、生まれた瞬間からほんの少しもなかったのだろうし、自分でもそう思っていたのだろう。

むしろ、もうじき親元を離れる息子に対してわざわざそういうことを言ってきた母親の少しわざとらしい表情を見ながら、自分が当たり前にそんなふうに思っていることを、何となく自分で気が付いた感じだったのかもしれない。


きっと、ブサイク扱いを受けてきたひとたちは、世の中の大半のひとは、ひとの気持ちがわからないのだと思っているのだろう。

自分が傷付いているのに、それを気にせずにひどいことをし続けてくるし、自分に対してだけじゃなくて、他のブスにも同じことをしているし、きれいなひとに対しても、何の想像力も働かせずにへらへらしているだけにしか見えないのだ。

世の中の過半数のひとがそうだろうし、男なら大半のひとが、目の前の現実を見ているというよりは、曇った目で自分の見たいものしか見ていない、全く話の通じない恐ろしい存在にしか思えないのだろう。

俺の母親だってそう思っていたのだろうと思う。

母親は小さい頃、家の近くで遊んでいたら、知らない男の子たちからブスだと声をかけられるということが何度もあったらしい。

そして、ある意味では残念なことに、俺の母親は、自分の母親も姉もブサイクだったから、ブサイクなんかじゃないと慰めてもらえることはなかったし、祖母も叔母もアスペルガー症候群だったのだろうけれど、変人で知能が高くて、近所だったり学校でも有名な存在だったらしい。

同じブサイクでも、俺の母親というのは、賢くなくて特に取り柄のないブサイクなだけの次女だったのだし、俺の母親には、自分のほうが賢いからと、自分をブサイクだとバカにしてくるひとたちを内心でバカにし返すこともできなかったのだ。

とはいえ、そうやってブサイクであることにひがんでいなくて、むしろバカに仕返しているような女ひとしか身近にいなかったことで、俺の母親はブスである自分に無力感を感じたり、卑屈になったりすることなく育って、短大生になってからは、人間的にまともで話の通じる面白い女のひととして、自分のことを好きになってくれるひとたちが男でも女でも増えてきて、まわりの様子ばかりうかがっているようなひとたちよりよほど自己肯定感の高い人生をその後も生きてこられたのだろう。

それでも、俺の母親は、ブスがいるなという目で自分を見られるということを、人生でのべ10万回以上やられてきたのだろう。

電車やバスに乗っていたり、街を歩いてすれ違っていくときに0.1秒そう思われるのも含めたら、もしかしたら100万回以上ブスを見る目で見られたのかもしれない。

そして、俺の母親の場合、それは物心がついた最初の時点からそうだったのだ。

ブサイク扱いを受けてきたひとたちが、世の中の大半のひとに、このひとはひとの気持ちがわからないのだと思うのは、当然のことなのかもしれない。

けれど、俺は今まで生きてきて、みんなひとの気持がわからないのだなんて、思ったことがなかったのだろう。

ひとの気持がわかっていなさそうなのは、集団になって変な雰囲気になっているときの人間とか、どうしても何か違和感のある雰囲気を発しているうっすらといつでもわざとらしかったりするひとたちとかであって、多くのひとは普通に話が通じるし、嫌そうにしていたら嫌そうにしているのを感づいてくれるひとたちだった。

そんなふうに、俺と母親とでは、自分が遭遇するのがどんな人間であるのかがまったく違うという意味で、生きてきた世界が違ったのだ。

俺だって、俺の弟のように、思春期以降ずっと女子ウケしない方向に成長し続ける可能性だってあったのだし、そうすれば、小さい頃におめめぱっちりの男の子としてちやほやされていたことも忘れて、自分をキモい男としてしか見てこない世間のほとんどの人間に、みんなまったくひとの気持がわからないんだなと、嫌な気持ちにずっと包まれながら生きることになったのだろう。

そうならなかったことで、俺は誰からもこちらの気持ちとか気分を確かめながら接してもらえる人間になったわけで、そうしたときに、たしかに母親が言っていた通り、俺は一生母親の気持ちがわからない男になっていたのだ。



(続き)

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