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【題未定】不自由の中の幸福とは何か──少子化への新たな視点【エッセイ】

 近年、多くの先進国で少子化が社会的な課題として浮き彫りになっている。その背景には、都市部に住む若者たちが結婚や子育てを選択しなくなった現実がある。この現象は、富裕と自由を庶民に提供する先進国特有の問題であり、結婚や子育てという「貧困」と「不自由」への扉を進んで叩く理由が薄れたことに起因している。

 自由が拡大した国々では、個人の自由が種の保存や血族強化よりも優先される社会構造が形成されている。これは、経済的な安定と自由な選択肢を得た若者が、自ら進んで「不自由さ」を伴う結婚や子育てを選ぶ必要性を感じなくなるためだ。実際、結婚や子育ては経済的負担や時間的拘束を伴い、それが現代の若者たちにとって魅力的な選択肢とは映らない現状がある。

 特に都市部、例えば東京のような大都市は、この現象を加速させている。東京は、「自由で気楽な独身」というライフスタイルの象徴であり、その虚像が結婚率の低下に影響を与えている。市場経済の名の下、刹那的な快楽や自己充足を重視する仕組みが拡がり、人々は結婚や子育てといった責任や不自由さを遠ざける方向に誘導されている。都市の利便性や娯楽に囲まれた生活は、一時的な満足感を提供するが、その一方で家族や子育てを通じた長期的な生き甲斐を見出す機会を失わせているのだ。

 結婚や子育てには、「不自由の中の生き甲斐」という側面がある。親となることで得られる責任感や充実感は、物質的な自由では得られないものであるにも関わらず、都市部の生活はその価値を見えにくくしている。大都市が広める「気楽な独身生活」の価値観は、若者が結婚や子育てに必要な意識や動機を削ぎ落としている。その結果、若者たちは個人の自由を優先し、結婚や子育てを後回しにする選択をしがちだ。晩婚化、非婚化の原因はここに集約されると言っても過言ではないだろう。

 さらに、少子化を解決するための手段にも現実的な困難がある。一部の論者は、貧困と不自由を強制する以外に少子化問題を根本的に解決する方法がないと指摘している。これは極端な意見のように思えるが、現代の若者が自由と豊かさを享受している限り、結婚や子育てという選択肢を自発的に取ることは難しいという事実を示唆している。実際、社会全体が少子化による経済停滞や国力低下を経験し、それが貧困層の増大を招くまで、問題が根本的に解決される兆しは見えない可能性は決して低くはないだろう。

 では、現実的な緩和策としてどのようなアプローチが可能だろうか。一つの方向性として、結婚や子育ての価値を再評価し、その価値観を都市部に住む若者たちに共有する努力が挙げられる。結婚や子育てが個人の自由を奪うものではなく、「自由と不自由のバランスを通じて生き甲斐を得る選択肢」であるという認識を広めることが重要だ。また、都市生活の中でも結婚や子育てが可能であり、かつ充実感を得られる社会環境の整備が必要だ。

 例えば、育児支援や住宅補助といった具体的な政策だけでなく、子育てを支援するコミュニティの構築や、子どもを持つことの社会的意義を再定義することが挙げられる。また、大都市における「刹那的な快楽」よりも「長期的な充実感」を重視する価値観を醸成することが求められる。これは、教育やメディアを通じた啓発活動によって実現できる可能性がある。

 少子化は、一朝一夕で解決できる問題ではないが、若者が結婚や子育てを選びたくなる社会の仕組みを再構築することでその緩和にいくらかの影響を与える効果があるのは間違いない。そのためには、都市部が提供する「自由」の魅力を再定義し、不自由の中にある生き甲斐や責任感を若者が自然と受け入れられる社会を目指す必要がある。この方向性に向けた努力こそが、少子化という問題への長期的な解決策となるのではないだろうか。


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