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Baby Let Weaning
※この記事は#熟成下書き用に掘り出したものです。大抵はすぐ公開してしまう私が埋めたままにしていたのはどんな記事だったかなと読み返してみると、なるほど、なかなかなことを書いてました(笑)オチはないですが、供養に読んでいいただけたら幸いです。
赤ちゃん主導の離乳
最近目に入るようになってきたBaby Let Weaning、どういう意味だろうと思ったら英語ではなくデンマーク語だそうですね。
Baby Let Weaning
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(google翻訳)
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赤ちゃん主導の離乳
赤ちゃんが自分で食べる順番や量、 ペースを決めて自分で食べる離乳法だそうです。
うちの子どもは二人とも3歳まで離乳してなかったので、多数の皆さんの考え方は知りませんが、まあなんでもそんなかんじでいいんじゃないですかねえ...と思いました。
戦時中の母親の正しさ
ちょっと違う話ですが、戦時中にはね、当時のお母さんは子ども達にお国のために死んで来いって子ども達に言ってたわけですよ。本心からじゃない人もいたでしょう。でも結構本気の人もいたんですよ。いや、100歩譲って本気じゃなくても、言われて出征して戦死したらもう誤解を解くチャンスはないですよね。
今の私たちは「そんな自分の子どもに死んで来いなんて鬼みたいな母親ね...」って思うけど、多分あと50年もしたら私たちの世代の母親は、かわいい盛りに離乳させて早く早くと急き立てて、受験に駆り立て、他人の使用人になることしかできないスキルで世の中に放り出したあげく、老後の面倒を見ろ、子どもを生めとプレッシャーをかけ続けた鬼母って言われると思うんですよ。
あ、個人の感想です。
他人のファンタジーを受け流す
私も障害者の親ですから、支援を受ける際には「就学、就職のためにお願いします!」っていいますよ。でも、本心では他人の使用人を育てるのは嫌ですね。だから全然早く就職しろとか、仕事についたら子育て終わりとは思いません。その区切りは、もう大人なんだからとこき使いたい側の都合でしかないからです。私は子どもが必要とするなら、就職しても「お迎え」に行くでしょう。(それまで私が元気ならですけど…)
とは言っても、就職しなければ生活費を稼ぐことは難しい、就職のことを考えて他の子との競争に勝てるような学歴やスキルを持たせてやりたいと思うのも親心。よその子が何か目立つような成果をあげれば心穏やかでないのも親心でしょう。
そういう親心は理解はできるのですが、親の不安を紛らわせるために子どもを動かすのはどうかなあと思うのです。なにかを「やらせなければ!」と親が焦っても、成長が付いていかなければ嫌いなことがこの世に増えるだけです。ある程度成長すれば、興味を持ったことのひとつやふたつは出来る。やりたい!と思ったときに遅れて始めても、やる気のあるやつには周りが教えてくれると思います。
逆に「今はこれをやりなさい」「それは大人になってから余裕があったらやればいい」なんて親が順位つけて育てると、やる気の鎮火ばかりがうまい子になっちゃうと思うんですよ。何かをカーッと燃えてやることができなくなっちゃう。これは損か得か、いくらになるかならないのかが、やるかどうかの基準になったら、子どもの体は丸ごとお金儲けの道具ってことじゃないですか。そうして人生の終わりの頃になってお金がなんぼかプラスになってもそれが何だというのでしょう。お墓にでも入れますか。
仕事は楽しい!も幻想
「いや、自分はそうやって自分を律してきたことが誇りだ。お金はどれだけの価値かの基準であって使うかどうかは関係ない」と本人が言うならいいんです。でも聞いた話ではそうではないらしい。死ぬ前にほとんどの人は「あんなに仕事をしなくてよかった」と言うらしいです。仕事が好きでお金を貯めた人でもそうなんです。
ましてや、障害があって普通に働くために準備にすごい時間がかかる人とか、仕事が出来なくて会社勤めが合わないような人はどうなんでしょうね。人生を全部浪費したと思わなければいいけど、って思います。
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