大半の人の人生は「とるにたらない」という事実
「自己肯定感」を重視する風潮
「自己肯定感」を重要視する風潮が流れて久しくなります。
その風潮自体を否定するつもりは毛頭ありませんし、「自己肯定感」の重要性に関しては私自身も感じています。
しかし、一方で「自己肯定感」が世間であまりにも声高に叫ばれるがゆえに「万能感」と混同した人たちを見かけることがあります。
前回の記事で不登校問題に関して触れたことにもつながりますが、不登校を肯定するがゆえに、無限の可能性のような無責任な言葉が跋扈しているということです。
学校に行かないこと=スペシャル=特別な才能がある、といったミスリードを誘発させる人たちが存在するということです。
あるいは、そうしたケースでなくとも、若者に対して無限の可能性を信じさせることを肯定的にとらえる人は決して少なくないようです。
それらの人たちの中にはビジネスを目的とする「確信犯」的な人たちだけでなく、心から信じて疑わない善意の人も存在します。
「自己肯定感」≠「全能感」
しかし、残念ながら大半の、99%の人間は特別な才能などなく、可能性は限定的なものでしかありません。
ところが「自己肯定感」を高めようとする声掛けのせいで「全能感」を持ってしまう若者もいるようです。
職業柄、最近は「全能感」が抜けきらない高校生を見かけることが増えました。これはその手の事例の最たるものかもしれません。
「全能感」は幼児期には誰しもが持っています。しかし成長過程の中で挫折し、苦渋や辛酸を舐めることで自身の限界に気づく(時に大きな絶望を抱える)というプロセスを経ることになります。
特に最近は親や祖父母の声掛け傾向だけでなく、若者を食い物にする意識高いインフルエンサーの存在が「全能感」を助長させているケースもようです。
不都合な真実
高校生になればほとんどの場合、その人の人生の大きな流れは見えてきます。
もちろん大化けをする生徒もゼロではありません。
何年も浪人して医者になる卒業生や、青年海外協力隊に参加し世界中を飛び回ったり、芸術関係に身を置いたりというケースもあります。
しかし、私が知る限りそうした例はごく少数ですし、それさえも世界の第一人者やトップランナーというわけではありません。あくまでも珍しい業界である程度成功した、というものです。
そして、大半は勤め人として給与所得者になるか、家業を継いでいるという事実があります。
残念ながらほとんどの人間は小市民として「とるにたらない」人生を送ることになるのが現実であり、抱いていた「全能感」を満足させるような職業に就くことも無ければ、成果を上げることもないのです。
こうした事実は青少年に夢を見せて金を巻き上げたい人や、夢想家から見れば不都合な真実なのでしょう。
「とるにたらない」≠不幸
「とるにたらない」人生や小市民としての生活を私は否定も非難もするつもりはありません。
私自身もまた、名もなき小市民として日銭を稼ぐ身です。しかし決して不幸ではありません。
毎日仕事をして、家族と過ごしたり趣味に費やす時間を持てることは幸福ですし充実しています。
そして多くの「とるにたらない」人生を送る人たちもまた同様でしょう。
特別な一人になるための教育ではない
昨今叫ばれる教育的なスローガン、個性を伸ばす、生き延びる力、変革力と呼ばれる能力を伸ばす教育は決して特別な一人になるための教育ではありません。
それぞれの「とるにたらない」人生の中で、新しい知識や考え方を取り入れ、少しだけ社会の変化に対応できる市民を作るために行っているに過ぎないのです。
国家や世界をけん引するスペシャルな人材は野にあっても自然に発生するものであって、公教育ごときが作り上げるようなものではないでしょう。
ところが、昨今のスローガン、子供の数の減少と一人っ子の増加などによって、一人の子供を特別扱いする環境が広がりつつあります。
そんな今だからこそ、一人一人の生徒に対ししっかりと伝える必要があるのかもしれません。
君の人生は「とるにたらない」ものだよ、と。