なぜ数学を勉強する必要があるのか?
数学教師をしていて「なぜ数学を勉強する必要があるんですか?」という質問を受けたことがない人はいないのではないでしょうか。
もちろん、この質問者の大半は自分が数学を勉強する理由を本当に知りたいわけではなく、数学から逃げるための口実を探して口にしているに過ぎないと思います。
しかし、それでは真摯な回答とは言えないので、そこの理由について私なりの根拠的なものをまとめていきたいと思います。
二つの視点で考える
この質問に対し、質問者など中高生一人ひとりの個人的な視点での回答と、もっと俯瞰して社会的な回答の二つを考えてみます。
個人的な視点
まず、質問者である「あなた」が数学を学ぶ必要性について考えます。
受験で必要とする
将来的に必要となる
数学を通して論理性を高める
上記の3つぐらいにまとめられるのではないでしょうか。1については言うまでもないです。高校生にとっては最も身近な理由です。
2は経済学など、文系に進学しても使う可能性です。EXCELなどを利用する場合も関数やマクロの利用などで数学的な用語や知識、運用が必要となる可能性は高いです。
3は必ずしも論理力を高めるのに数学が必須か、と言われると微妙ですが、数学を通した論理性はシンプルで身に着けやすいでしょう。
集合と論理などの単元でまとまって学習するのは、純粋論理を学ぶ良い入り口になります。
ただ、正直これだけだとあまりにも回答として近視眼的でエゴイスティックな気がします。
もっと視野の広い回答を考えてみます。
社会的な視点
次に「あなた達」が数学を学ぶ必要性について考えます。これは次のものに尽きるといっても良いのではないかでしょうか。
科学技術や文明の維持と発展
現代社会のように科学技術が社会の隅々に行き渡った社会では、数学を学んだ人が多く存在しないと、技術の大半がブラックボックス化してしまい技術の運用や保守整備ができなくなります。
電気、ガス、内燃機関、コンピュータ、インターネットなど様々なことの根幹において数学が使われ、数学によって記述されています。
つまり、それらを毎日人々が日常的に使えるように整備する技術を数学は支えています。
一般大衆、社会の構成員全員が最低限度の知的レベルを維持することは社会の技術レベルを維持するために不可欠です。
快適な生活のための社会インフラや高度な技術を支えているのは、社会全員で獲得した科学的な知識や思考=数学の賜物、ともいえるのではないでしょうか。
一部の数学が得意な人が技術や文明を作っているのではなく、社会全体で下支えして我々の生活は成り立っています。
数学という共通言語の普及が滞ると、場合によっては一気に文明レベルが中世レベルまで落ち込む可能性すらあるのではないでしょうか。
ブラックボックス化すると廃れる
実際にこの手の話は起こりうる可能性があります。
卑近な例を上げてみます。
最近の生徒にPCを触らせると、ほとんどキータッチができません。また、フォルダ管理ができない、というよりも概念を理解していません。
多くの生徒はスマホでフリック入力しかしたことがないし、データの管理もアプリベースで開くことしかありません。
この結果、10年前と比較するとPC作業が極端にできない生徒が大半です。
iPadやスマホを使いこなしている生徒でもそういうケースが多々あるのは時代なのでしょう。
PC作業やフォルダ管理は便利になることで特段必要というわけではないものかもしれないので、廃れても問題ないのでしょう。
しかし、数学によって築かれた科学技術や文明はそうはいきません。
と、自分を鼓舞するわけです…
私たち数学教師は、文明社会の末端で科学技術や社会インフラを下支えする縁の下の力持ちなんだ、と自分を鼓舞して…
さ、明日のオンライン授業の準備をしようかな。