教員の質は下がったのか?
教員採用試験の倍率が年を追うごとに低下しています。
小学校教員の倍率は大分県では1.0倍、佐賀など九州のほとんどの県で1倍台前半となっています。
九州の場合、中学校は2~3倍、高校は5倍前後が標準的な倍率です。東北などもそれと同じ程度、関西が全国平均と比べるとやや高いようです。
校種によって差がありますが、依然の倍率と比べると大きく下がった印象があります。
採用試験の倍率
採用試験の倍率はどの程度下がっているのでしょうか。
教員採用試験の倍率が最も高いのは2000年前後になります。就職氷河期の真っただ中で民間就職が壊滅的であった時期ということもあり、公務員の人気が高まりました。
上記の東洋経済オンラインの記事によると、その当時の倍率が全国、すべての校種の平均で13.3倍、現在は3.7倍ですので約3分の1になっています。
ところが、倍率の最大値の時期の受験者数は約15万人、現在も13万人程度を維持しています。
一方で採用者数は約1万人から3.5万人と3倍以上に増加しています。
このことから、倍率の変化の原因は採用数の増加であって、志願者数の減少がクリティカルな要因ではないとわかります。
かつての教員採用者は優秀だったか
かつては非常に採用試験の倍率が高い時期がありました。
そうした時期に教員になった人たちが優秀かどうかの判定は難しいでしょう。
しかし、学力的には高得点勝負になりやすく、少なくとも現状の合格者のボーダーライン線上にいる人よりは高い学力を持つ可能性は高くなるのではと考えがちです。
ところがよく見ると別のことが見えてきます。昭和の時代において、例えば1979年は受験者が25万人を超えています。この年の採用者数は約4.5万人となっており、この倍率は今よりも高いものの、最盛期の半分程度でしかありません。
ここから読み取れることは、倍率のみで見ればやや下がっているが、教員全体としてはそれほど質の低下は起こっていないということになります。
(小学校はさすがに別です、倍率が1倍台前半と低すぎる県が複数存在します)
この議論を行うとき、かつての教員は優秀であったという前提で話が進むケースが多いように感じます。しかし、本当にそうなのでしょうか。
これは個人的な体験でしかありませんが、私の小学校時代にも手が震えていつも酒臭く、頻繁に平手打ちや拳骨をする教員などがいました。
彼らは児童生徒の様子を観察し、最適な指導をするというよりは圧力(ここには指導力も暴力も含まれる)で学級をまとめていました。
保護者も多少のことでは先生に文句を言わないという時代背景で許されていただけです。
彼らを見て、優秀であったとは言い難いように感じます。
小学校教員免許の取得可能な大学の増加
一方で免許の取得数はどうなっているのでしょうか。これは養成機関の増加に大きく影響を受けます。
中高の教員免許取得可能大学はそれほど変化がありません。多くの私立大学などの非教員養成課程であっても教員免許は取得できていました。
ところが小学校教員養成課程は長らく昭和61年の大学設置審議会の答申が参入障壁となり、国立大学の教員養成学部の独占的市場でした。
ところが、2005年にこの方針が撤廃され、私立大学が自由に小学校教員養成の過程を設置することができるようになりました。
その結果は明らかで、現在、小学校教員養成課程を抱える大学の入学定員は国立が約1.1万人、私立大学が約2万人と2倍近い状況になっています。
しかも、そうした私立大学、学部の多くは入試教科も2教科以下、学力試験も比較的簡単なところが多く、大学入学時点での教科学力や知識は20年前と比べて低下しています。
団塊大量退職、少人数学級、特別支援教育の充実
以上のことから、中高の教員採用試験に関してはかつてよりも入りやすくなったが、依然として狭き門と言えます。
一方で、小学校教員は潜在的な受験者層の学力は明らかに下がっており、小規模校の閉鎖や統合は行われているものの、大量退職や少人数学級、特別支援教育の充実から人的需要に対し、供給が間に合っていないことがうかがえます。
その結果倍率が下がり、教科学力にやや不安を抱える学生が採用試験に合格するケースは増えていると考えられます。
実際、私の勤務校でも小学校の採用試験に合格し、その報告に来てくれる卒業生が増えたように感じます。しかも、ほとんどが現役での合格です。
正直、在学中はそれほど優秀だった記憶はないので、彼らが大学でこちらの想像以上の伸びを見せたか、あるいは採用試験が合格しやすくなっているかのどちらかではあるのです。
彼らの成長の結果であらることを祈るばかりです。
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