これからの教員に求められるのは「年少者に教えを乞うことができる能力」
年上が年下に教えるという固定観念
イェール大学のアシスタントプロフェッサーである成田悠輔氏は「X」に以下のようなポストをしています。
これまでの教育においては、経験知のある年長者が経験知の少ない年少者に教えるという構図が当たり前のように語られてきました。
成田氏はこの構図が固定化されたものではない、という考えを表明したわけです。
教科教育と技術、ICT
実際、教科教育においては当然ながらその傾向が今後も変わらないのは間違いないでしょう。
しかし、一方で技術革新の激しい分野だったり、新しい思想や考え方に関してはどうでしょうか。
例えば若者が利用するSNSを教員はほとんど使っていません。TicTokやInstagramに関しての使い方は若者の方が長けており、実際ICTに関する知識においては教員よりもはるかに優れていたり、プログラミングの技術のある生徒は少なくありません。
さらに、教科の知識においても教員顔負けの優れた生徒を見ることはあります。
いわゆる「超進学校」の生徒などの中には教科内容をすでに大学レベルまで趣味的に学習している生徒も存在することを知っている教員もそれなりの数存在するでしょう。
私自身、東京大学理科三類に合格した生徒を担当していた時は、彼から多くの学びを得たことを記憶しています。
ともに学ぶ姿勢をいかに見せるか
正直なところ、今後の教育に関してはかつてのような教員が教え込むという形一辺倒では立ち行かなくなることは目に見えています。
現時点でもそうですし、AI技術が進歩すればさらにその傾向は進むでしょう。
では教員はもはや存在意義を失ってしまうのでしょうか。
私はそれも違うと感じています。
伴走者、アドバイザー、チューターとして学習補助者としての役割は依然として存在します。
また既存の動画授業を活用したところで、個別最適化を行うファシリテーターとしての存在意義は揺るがないでしょう。
若者は私たちが思っている以上に優秀であると同時に、精神的に不安定で弱い存在でもあります。
彼らをサポートする仕事は残り続けるでしょう。
(AIがそれすらもやってくれる、AIであることを気づかせないぐらいに巧妙になれば話は別かもしれませんが)
教えを乞うことができる能力
私はこれからの教員に求められるのは、年齢に関係なく自分の知らないことに対して頭を下げて教えを乞うことができる能力だと考えています。
現代社会は複雑化し、個人で理解し得る範囲には限界があります。また年齢という枠を超えるツールが実現しつつある今、教員には無意味なプライドを捨て教えを乞う能力が求められているのではないでしょうか。