【題未定】国立大学の授業料がさらに高くなることは社会にとって有益か?【エッセイ】
最近、国立大学の授業料が値上げされるという話をよく耳にする。2000年に大学に入学した私の記憶では、その時の国立大の授業料は48万円だった。しかし、在学中も毎年少しずつ値上げが行われ、卒業時には現在とほぼ変わらない金額になっていたと記憶している。現在の授業料は535,800円であり、今後は最高で642,960円まで上昇する可能性があるという。
国立大学の優位性はその高い研究力にあるが、それに加えて学費の安さも大きな魅力であることは間違いない。昭和50年の時点では授業料は36,000円だった。物価の上昇を考慮しても、学生やその家族への負担は大幅に増大している。
このような値上げの背景には、国立大学の財政事情や教育環境の向上、研究費の確保などがあると考えられる。しかし、この値上げは学生やその家族にとって大きな負担となる。国立大学は本来、優れた教育を低価格で提供することを目的としているはずであり、それがここまでの値上げとなると、その意義が問われることになる。
一方で、私立大学の文系学部の授業料は平均で約82万円と言われている。月額に換算すると、値上げをした場合の国立大学との授業料の差はわずか15,000円に過ぎない。つまり、もはや国立大学と私立大学の授業料の差はそれほど大きくなくなってきている。この状況は、学生にとってどちらを選ぶかの判断をさらに難しくしている。
世界的にも教育に対する要求水準が高まる中、大学進学率の上昇は避けられない。このような状況において、大学は国立私立を問わず無償化が望ましいと個人的には考えている。教育の機会均等を実現し、国全体の知的資源を向上させるためには、学費の負担を軽減することが重要だ。ところが、今回のような学費の値上げは国力の低下を招く愚策とも言える。
授業料の上昇は学生の経済的負担を増やすだけでなく、教育の機会均等という点でも問題を引き起こす。経済的な理由で進学を諦める学生が増えることは避けなければならない。国や大学には、授業料の値上げに伴う経済的支援策の拡充や、奨学金制度の充実を求める声が高まっている。
また、教育の質の向上も重要だ。かつて、私の学生時代には非常に声が小さく学生の方を向いてしゃべることができずに黒板に向けての独り言のような講義や、赤旗の写しを毎回配るなど極左思想の刷り込みのような講義をする教授が少なからず存在していた。彼らの研究業績はともかくとして、少なくとも教育者、教育機関としてそうした存在はもはや許されないだろう。授業料が上がる分、学生が受ける教育の質も向上しなければならない。大学は、より一層の努力をして教育内容の充実を図り、学生が満足できる教育環境を提供することが求められるだろう。
以上のように、国立大学の授業料値上げは多くの問題を含んでいる。しかし、その一方で大学が持つ使命と役割を再確認し、学生にとってより良い教育環境を提供する機会とも捉えることができる。今後の動向に注目しながら、国立大学の役割について考えていく必要があるのではないだろうか。
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