「時差登校」に見る、現場丸投げと消耗戦体質の大本営
難しいコロナ感染が拡大し、第7波が猛威を振るっています。
私の身内も感染し、隔離生活を余儀なくされました。また、知人や親せき縁者の感染例を聞く機会が格段に増えました。
勤務校の生徒や家族の感染例も増加しています。幸いなことに、今のところは家庭内感染が多く、学校内の集団感染事例は防げていますが今後はどうなるかわからない状況です。
病床使用率の増加から、今後は学校の短縮授業やリモート授業への切り替えも視野に入れる時期かもしれません。
そんな中であるニュースを目にしました。
青森市の「時差登校」
青森市の小中学校は時差登校を行うというニュースです。
期間は8月24日から1週間ということですが、感染状況を見て延長もあるのでしょう。
この施策は「児童の登校時間を学年ごとにずらす「時差登校」を実施する」というものです。
正直これにどれほどの意味や効果があるのでしょうか。
「時差登校」の効果
学校現場で最も感染が拡大する可能性が高い状況は「昼食時」です。
教室内の子供を黙らせて食事をさせること自体が難しいですし、仮に黙食を徹底できていたとしても、マスクを外している状況では格段に感染するリスクが高まります。
そもそも、学校内での接触の大半は教室の中で発生しているため、時差登校で学年ごとに登校時間をずらしても、他の生徒との接触機会が減るわけではありません。
むしろ、午前中授業の昼食無しで放課、のような施策の方が感染予防には効果が高いのではないでしょうか。
(その場合、午後の子供の面倒を見るのは誰かという問題が生じてしまうため実行が難しいでしょう)
現場任せの丸投げ体質
結局のところ、教育現場において横行しているのは現場任せの丸投げなのです。
時差登校を行う場合、時間割の調整、授業準備などにも影響します。消毒対応やそれ以外の付随業務がすべて時間差で発生することになります。
もちろん、リモート授業の実施や午前中登校などでも現場への負担は大きいものがあります。
しかし、それと同時に市民の理解と協力を呼びかけなければ成立しません。特に小学校の場合は学童対応や民間企業など保護者の勤務先の協力が不可欠です。
それと比べて公立学校の教員の場合、いくら負担を増やしても予算を気にする必要はありません。なぜならば、行政からすれば教員は「定額使い放題」だからです。
そのため、現場に負担を押し付ける時差登校は「やった感」を出すのにうってつけの施策と言えます。
変わらない体質
戦後77年を経ても、政治家や官僚組織の現場丸投げや消耗戦を好む体質は全く変わらないようです。
これは医療現場に際限無い消耗戦を強いていることからも明らかです。
ある種の国民性とも言えるこうした悪癖を現代の政治家や官僚組織のせいにして糾弾することを否定はしません。
しかし、それは一次的に溜飲を下げる意味はあっても真の解決策ではありません。
加えて、自分自身が責任逃れのためにそうした片棒を担いで、あたかも被害者であるという顔をすることも、そうした傾向を助長しているように思います。
まずは自分にできることを始めるしかないと私は考えています。
組織人として決定に反することはできずとも、ICTスキルを磨き知識を増やしてリモート授業の対応がいつでも可能な現場を作る、意見をまとめ発信し世論へ喚起する、などできることはいくらでもあります。
そうした個人の力の蓄積がこうした「やった感」重視の施策を減らす第一歩なのではないでしょうか。