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改革前年共通テストに「むしろチャンス」と挑戦を煽るのは明らかなポジショントーク


共通テスト改革前年

2025年度の大学入学共通テストより、情報Ⅰが受験教科に追加されます。またそれと並行するように国語や数学の試験が一部変更になります。

こうした科目の増加は2006年度のリスニング科目増加以来、約20年ぶりになる大改変でしょう。

今回のような科目の増加が行われると、既卒者は受験が難しくなります。

多くの場合は新しい科目を予備校で浪人中に一から学習し直すことになるため、その負担が倍増するからです。

特に現役時代に履修していない教科の場合、あるいは今回のように履修はしているが受験科目であるという前提で学習していないものの負担はかなり大きなものになります。

そのため、一般的には改革前年の受験生は極めて現役志向、安全志向で出願をする場合がほとんどです。

予備校にとっては死活問題

一方でそうした安全志向によって経済的損害を受けるのは予備校業界です。

バブル期や団塊ジュニア世代の時期の受験と異なり、現在の受験生で浪人をするケースは上位大学への進学希望者が大半を占めます。

そのため、安全志向での出願が増えると予備校業界としても入学者の確保が難しいことになります。

したがって予備校業界は基本的に一つ上のレベルの大学へのチャレンジを促すことになります。

「第一志望は、ゆずれない」というキャッチコピーはその本音が表れていると言えます。

河合塾教育研究開発本部 近藤治・主席研究員

そうした現役志向、安全志向に対して河合塾教育研究開発本部 近藤治・主席研究員は以下のように語っています。

 受験生は高校などで、「浪人したら新課程入試を受けることになる」などと何度も注意喚起をされていると思われます。絶対に浪人を避けたいと思うのも仕方がないでしょう。
(中略)
 本当に入りたい大学をあきらめ、より入りやすい大学に志望を変えるといった意味での挑戦の回避は安易にすべきではないでしょう。
(中略)
 翌年の入試改革に過度にとらわれず、自分の一番行きたい大学かどうかで決めてほしいと思います。少し実力が足りないと感じても、挑戦する余地はあると思います。

記事にあるように、社会や理科は試験の名称が変わるだけで変更はない、情報Ⅰのみの増加であれば負担増は限定的である、確かに尤もな言ではあります。

しかし一方で共通テストは翌年に得点を持ち越すことができない試験です。
(実際には可能ですが、大学側が認めていません)

したがって、今年取れた得点を来年も同じだけ取れる保証はありませんし、場合によっては病気で受験すらできない可能性も考慮する必要があります。

ポジショントーク

河合塾の近藤氏は以下のようにも語っています。

くれぐれも親から「その大学では危険だからこっちを受けた方がいい」などと可能性を摘むようなことを言わないでもらいたい。チャンスが広がっていることを理解し、子の挑戦を見守ってほしいですね。

もちろん、その大学は絶対に受けるな、無理だ、諦めろという言い方は「可能性を摘む」ことになるでしょう。

しかし、「危険だから」というアドバイスはどうでしょうか。その程度で不安になるようならば志望校を変えた方が良いでしょう。

また、偏差値の高低は必ずしも大学の良悪を決める要素ではありません。本人の学びたいことや希望とマッチするか同課の方がよほど重要です。

加えて、この方は最近の入試は受験生が減少し簡単になっている、と誤解を生む表現を使用しています。

しかし、実際には推薦入試の枠が広がった分、一般入試が厳しくなっている現状も存在します。

しかも偏差値上位大学に受験者が集中する動きや出題内容の高度化を考慮すれば、「簡単になっている」とはあまりにもいい加減な言説でしょう。

結局のところ、ここに書かれた内容からは、偏差値至上主義的な進路指導の方針が読み取れてしまい、チャンスや挑戦という言葉もポジショントークにしか聞こえないのです。

挑戦にはリスクが伴う

塾や予備校関係者がこうしたポジショントークをすること自体は否定しません。教育産業もまたビジネスに外ならず、経済的利益を追求する必要があるでしょう。

しかし、それがあたかも中立、かつ冷静な分析であるかのように扱われてしまうのはやや危険でしょう。

実際、こうした教育産業関係者の甘言に惑わされて何年も浪人をしたケースを見てきました。

挑戦したいという生徒に対してはもちろん全力でサポートします。

一方で、絶対に忘れてはならないのがリスクについてしっかりと説明をすることです。

現代のようなスピード感の時代において、10代最後の1年は、決して小さくはない代償のはずです。

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