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義務教育化する高校教育と無償化の重要性
高校授業料無償化
日本維新の会が高校受業料無償化について与党と協議を行っています。
維新としては今年の4月から所得制限を設けない形での実施に持っていきたいようですが、与党は難色を示している状況のようです。
今後どこまで与党が折れるか不明ですが、予算案に関して賛成を取り付ける必要のある与党は維新の方針を無下に突っぱねることまでは難しいのではないでしょうか。
個人的には大いに賛成
この高校授業料無償化、個人的には大いに賛成です。私自身が私学教員であるというポジショントークという前提はあるため、中立性に欠ける意見であることは否定しません。しかしそれでも無償化の意義は日本社会における教育の今後の価値づけを考えると決して小さくないはずです。その理由を以下にまとめていきます。
高校教育は実質義務教育化した
現在、高校の進学率は令和2年度に98.8%となっており、もはやほとんどの国民が高校に通うのが当たり前の状況が定着して久しい状況です。実際、1970年代半ばに9割を超えてから漸増していることを考えれば、半義務教育化していると言って過言ではないでしょう。
加えて人手不足の現在においてさえ、中卒での求人は決して多いわけではありません。特に求人票には制限が設けられていないとしても、面接その他を理由に断られるケースは決して少なくないでしょう。
さらに正社員での就職や登用という段階になると、中卒という肩書は圧倒的に不利です。そもそも高等教育への進学率が5割を超え、6割になろうという時代であり、大卒者がマジョリティになっている状況です。中等教育が義務教育化していないことの方が違和感を覚えるぐらいではないでしょうか。
決して大きくない費用
とはいえこの高校授業料無償化に対して莫大な費用負担が発生するとなれば話は別です。ところが先の記事内においては以下のようにあります。
3回目の協議となったこの日、維新側は高校の授業料無償化を今年4月から所得制限を設けずに実施する工程表を提示。約6千億円が必要と試算し、財源は行財政改革などで捻出するとして与党側に理解を求めた。
6千億円と聞くと庶民からすれば途方もない額に見えます。しかし国家予算規模で考えると1%にも満たない額です。もちろんこれが毎年、恒常的に負担となると決して小さくない割合かもしれません。
しかし逆に今後しばらくは少子化が進むとなれば、この額は縮小する可能性も高いのではないでしょうか。
教育の受益者は国家である
そして最も重要な視点は、教育の受益者は教育を受ける国家そのものである、という視点です。
多くの人は勘違いをしていますが、教育の受益者というのは教育を施された国民一人一人ではありません。確かに個人がその教育によってチャンスを広げられたということ自体は否定できませんが、それはあくまでもミクロな視点での評価です。
よりマクロな視点で考えた場合、国民に教育を施すことによる科学技術の進歩や治安の維持、文化レベルの向上などの効果こそが本当の意味での教育の成果なのです。もし仮に個人の能力伸長が先に来るのであれば、国家は教育対象を選別しているはずです。義務教育のように全国民に教育対象を広げているというのは、国家全体に対する教育による寄与を期待しているから行うのです。
そして現代において98%を超える進学率となった高校教育は、被教育対象を選別する段階から、義務教育的な国力の底上げとしての段階に入っていると言えるのです。
反対論の虚しさ
高校教育無償化に対しては反対論も決して少なくありません。「低偏差値に金を出すな」といった差別的な発言がSNSでも目につきます。
しかしそうした虚しい反対意見の大半は偏差値のような個人レベルの視点でしか教育を語ることができていません。彼らのような偏差値自慢の学力差別主義者を生み出したこと自体が、国家レベルの教育政策は個人レベルの教育成果に対してあまり意味をなさないという証明になっているというのは皮肉でしかないでしょう。
公立のみでよい、という現状を知らない愚見
また無償化は公立のみでよい、という意見も散見されます。しかしこれもまた現状の高校教育の状況を無視したあまりにも視野の狭い考えです。
地方、特に過疎化した地域ではもはや公立高校が生徒を集められない状況が発生しています。ところがその設備維持や人件費のために多額の税金が投入されているのもまた事実です。
一方でそうした過疎地域に隣接する私立学校の多くは通学バスなどを整備して過疎地から生徒を集めています。地方における中等教育の防衛線になっているケースは決して少なくないのです。
少子化対策とは分けて教育無償化を進めるべき
残念ながらこうした教育無償化政策の多くは、少子化対策としては効果が薄いということが知られています。そのため、教育無償化そのものが意味がないと主張する人もまた存在します。
しかし教育政策は少子化対策とは全く異なる次元で論ずるべきものです。次世代の担い手を育成し、また経済活動の活発化、さらにはその前提となる国家レベルの治安維持の観点から教育は語るべきものでしょう。
次世代の国家100年の大計を考える上でも、今回の日本維新の会の主張が速やかに通ることを願うばかりです。