これだから最近の若者は…すごい
「これだから最近の若者は…」という構文は古今東西によく使われる文章です。
ピラミッドの壁にヒエログリフで書かれていた、だのヒッタイトの粘土板に書かれていた、だのと俗説が浸透するぐらいには有名な構文と言えます。(これらの俗説は当然のことながら完全にガセネタなわけですが)
前回の記事で音楽に関する話の中で触れた、最近の若者論に関して、もう少し深堀りして書きたいと思います。
年少者は、自分たちより優れている
まず、大前提とすべきことなのですが、私は常にこれを生徒や後輩とコミュニケーションを取る時のベースにしています。
もちろん、個々人の能力差はそれぞれあるのですが、総じて世代論という観点に置いてはこれが普遍の真理であると考えています。
なぜならば、教育制度や学習する内容、社会の成熟度など全ての観点において昔よりも今が優れているからです。
このあたりの話は"FACTFULNESS"を読むと出てくる話になりますが、
基本的に世界は飢えや貧困から救われる方向に進んでいます。
日本においては、二十年以上に渡って経済成長が滞っていますが、明らかに貧困は解消されています。
少なくとも令和4年に41歳になる私が小学生だった昭和末期には、いわゆるスラム的な団地が近所に複数存在していました。
生活環境や衛生環境も今よりずっと悪かった(毎日風呂に入らない同級生もいた、毎日髪を洗わないのが普通、道路は舗装されていない道も多かった)ですし、インターネットの無い生活の教育環境は現在とは比較にならない劣悪な状況でした。
それと比べて、今は行政の福祉環境も整備され、教育サービスも最新の情報が自宅で簡単に手に入ります。
つまり、世界は総じて良い方向に更新されていて、優れた環境で育った人間はより優れた能力を持ち得るだろう、ということです。
だから、私たちの世代より今の若者の方が同年齢での能力比較をする場合、間違いなく優れていると私は考えます。
ショートカットが可能な環境
次に現代の若者が、私たちやそれより前の世代と比較して圧倒的な優位だと言える環境について考えます。
それは高速なインターネット回線の整備とスマートフォンの存在です。
私たちがまだ若者と呼ばれた時代においては、知識やノウハウ、スキルは先輩や教師から伝達をされる必要がありました。
これには大きな欠点があり、巡り合った指導者のレベルによって獲得する知識や経験に大きく差が出てきます。そしてその習得には時間がかかります。
それぞれのスキルを単一の講師から得ることができないケースもあり、そのたびに講師を探す時間的なロスも決して小さくありません。
しかし、ネットとスマホの普及によりどこでも、いつでも、すぐに先人の積み上げた経験や知識へアクセスすることが可能となりました。
それらを文字情報から得ることは以前から出来ましたが、経験に紐付かない知識を経験知とするための時間が必要でした。
ところが、動画コンテンツの普及は文字情報では伝わりにくい部分の伝達を可能としました。つまり、得た知識を自分のものとするための時間を大きく短縮することが出来るようになった、大幅なショートカットが実現した、ということになります。
実際、現役の高校生の多くは塾に通っています。そこではネット回線を利用した動画授業を利用し、場合によっては遠隔地にいる講師から直接始動を受けています。
受験情報や学習法に関しても、様々な手法や効果的なやり方を大量に参照しながら自身の学習方法を組み上げることで、非常に効率的に成績を上げることができるようになったと言えます。
この学習法を当たり前のように行っている世代がすでに社会に出て活躍する時代が来ている、ということになります。
成長速度の速い若者と取り残される「おじさん」
そう、もはや新入社員に先輩面して偉そうにする暇などなく、若者はすぐに「恐るべき競争相手」となり、「良き助力者」ともなり得る、ということです。
逆に、かつてのタイムスケジュールでしか考えられない「おじさん」はあっという間にその指導的立場という存在意義を失うでしょう。
もちろん、これまでも若者と「おじさん」という世代交代は各時代で行われてきたと思います。しかし、ネットの普及は明らかにこの流れを大幅に加速させています。
ひとまず、「おじさん」である私は若者に負けないようにスキルアップに励むことにします…
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