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閣僚の料亭利用批判に見る、コネクションや水面下という概念の重要性と悪平等主義
政治家は高級料亭で楽しんでいる?
毎日新聞が先日、以下のような批判記事を展開しました。
この手の批判自体は今に始まったものではなく、支持率が低下した内閣の揚げ足を取る見慣れた様式美のようでさえあります。
当然ながらマスコミの批判に同調する方も存在します。
このコミュニティノートの言うこともわかるけど公的なものなら料亭での会食じゃなくて職場でやれば良くない?
— 早くやめた医 (@DrYametai) November 25, 2023
患者の治療方針を決めるために税金使って懐石料理屋でカンファしてもいいの? https://t.co/XIrvmptY3S
公的な会議ならば社内、会議室ですればよい、という意見はこの医師の方だけではないようで、いわゆる市民感覚や社会人の常識というスタンスから批判をする人は少なくありません。
しかし本当にこの人たちのイメージするように閣僚は料亭で公費を使って飲み食いをして豪遊している、無駄な税金を費やしているのでしょうか?
費用の問題
そもそもこれらの費用は政党助成金の経費として計上されており、また政治資金規正法及び政党助成法によってその用途は制限を受けていません。
したがって全くの適法行為であるということは前提とする必要があります。
仮に問題があると思うのであれば、野党なりが用途制限をかけた法案を提出すればよいのです。
あるいは選挙のテーマとして掲げればよいのです。しかしながら実際にはパフォーマンスとしての批判を本会議で行うことはあっても、そうした用途制限に積極的な政治家はほとんどいません。
なぜならば彼らはそうした会食費が「必要」であると認識しているからです。
ファミレスで閣僚が会食できるか?
現職の閣僚が庶民的な飲食店で会食ができるでしょうか。セキュリティや情報漏洩を考えればどう考えても不可能なことは自明です。海外の要人などを招待すればなおさらです。
では官邸などで会食無しの会議を行い、その後会食を別会場ですればよいだろうという主張はどうでしょうか。
これも全くの論外な意見です。
官邸への訪問者など、閣僚との面会はすべて記録が取られます。また公務上の会議ではすべての会話が議事に残ることになります。
子供の世界観で言えばそうした公明公正なやり方も通用するかもしれませんが、多くの人の思惑や利権が絡む世界において無理があるのは自明です。
また閣僚と面会したというだけで問題となる相手も存在します。国交のない海外の要人や社会的に問題のある人物であっても政治家が問題解決のために直接会うことも必要でしょう。
そうしたときに、あくまでも別団体の客として料亭の中で会談することができるのは大きなメリットであり、これは面会記録が残る官邸では不可能です。
はっきり言えば、政治家は庶民感覚では通用しない腹芸が必要な仕事であり、権力に近い閣僚ならばなおさらだということです。
ところが「庶民」の中には自分たちと同じ感覚を押し付けてしまう常識知らずが存在するのです。
では彼らの庶民感覚の押し付けの原因はどこにあるのでしょうか。
学校教育における悪平等主義
この原因として個人的に考えるのが学校教育における悪平等主義です。
貧しさが分からないように制服を作り、給食制度を整備し、貧富の差を徹底的に隠してきたのが学校教育です。
子供と大人の線引きが出来ずに、子供への禁止事項を教員に課す事例も少なくありません。
そこに高度経済成長期が重なり、一億総中流という概念が浸透したことで、社会の中の上流階級やアッパー層の動きが見えにくくなりました。
産業界のトップの動きが見えにくい一方で政治家の動きは透明化したことが悪平等主義の押し付けになっているのでしょう。
世界はコネで動いている
全てが平等に、実力主義で世界は動いている、そう考える人は少なくないでしょう。
しかし、実際には人間同士のつながりやコネクションが物を言う場面はそれなりの数存在します。
例えば昨年話題となったイギリスのボーディングスクールの日本校、ハロウインターナショナルスクール安比ジャパンなどはそうした例の典型です。
近年こうしたボーディングスクールが世界中に開校していますが、ここに進学する目的の一つは世界の指導者層の子女とコネクションを作るためだと言われています。
実際、中国富裕層やアラブ王族の子供などがそうした学校に通っており、幼少期からのコネクションづくりの一つとして機能しているようです。
非公式な場の重要性
私自身はそうしたコネクションづくりや会食の場を活用することが苦手ですし、そこまで積極的に使いたいとは考えていません。
しかしその一方でそうした場が、事前の協議やすり合わせの観点においては極めて重要だとも認識しています。
私のような私人ならばまだしも、閣僚が料亭に通わないということは、アンオフィシャルな場における政策の地ならしや意見の吸い上げ、事前交渉が出来なくなることを意味します。
それはオフィシャルな発言だけが優先される社会となることと同義であり、多数派の発言力が常に強くなり弱者や日陰の存在が忘れられやすくなる社会となることでもあるのです。
個人的には、ジョイフル(九州でファミレスと言えば)を貸切る政治家よりも料亭で会食をする閣僚の方がセキュリティ意識含めて諸々で信頼感を感じるのは気のせいでしょうか。