プールカード問題に関する雑感
先日Twitterで小学生の保護者の学校に対する愚痴ツイートが話題になっていました。
このツイートだけ見れば確かに杓子定規な対応であり、いわゆる「民間では~」という文句が出そうな内容に見えます。
しかし、学校の教員としてこの問題を考えると残念ながらこのツイ主の主張こそが無理筋であり、学校の対応は当然のものとなってしまいます。
プールカードとは
健康観察カード(プールカード)とはその日の学校のプールの授業に子供が参加してよいか、体調などの情報と保護者の意思を確認するカードです。
この学校では保護者のボールペンによる健康状態の記入と押印をもって保護者の意思確認とする、としていたようです。
ところが今回の場合、保護者の記入が鉛筆で書かれていたために不備があるとして子供をプールに入れず、見学扱いにしたということのようです。
どうしてこうした杓子定規な対応になったのでしょうか。
カードの偽装とプールの危険性
鉛筆での記入は生徒自身が書き換えをすることが可能です。
特にプールなどの「楽しい」と思われる授業や行事の場合、生徒本人の意思と健康状態や保護者の意思が相反するケースは往々にして起こり得ます。
そしてそうしたときに生徒がカードを保護者のサインであるかのように偽装するという可能性はゼロではありません。
今回の場合は押印であるため、なおさら学校側では誰が書いたものかの判断がつきません。
事故が起きないような事前の確認であるとともに、事故が起こった際に裁判などでの証拠ともなり得るため、安易に鉛筆記入を認めることはできないのです。
保護者に直接問い合わせればよい、という暴論
ツイートのリプの中にも、ならば保護者に直接電話をして確かめろ、という暴論が存在しました。
しかし、こうした対応は現実には不可能です。
小学校の一クラスを仮に30人としても、プールの時間までに全員のカードを確認し、参加の可否を決定しなければなりません。
授業は空き時間がないことがほとんどで、隙間の時間に確認しているのが実情です。その間にも教室では様々なトラブルが発生しますし、その対応に追われています。
プールの時間が始まれば30人のわんぱく盛りの集団着替えさせ、管理しながら電話をすることなど到底できようがありません。
プールは危険である、という大前提を忘れてはいけない
前提として忘れてはいけないのは、プールは危険であるということです。
先日もスイミングスクールで死亡事故が発生しています。
学校内におけるプールの事故はそれほど多いわけではありませんが、過去にも実際に死亡事故が起きています。
2012年には京都の女子小学生が学校のプール授業中に溺死しました。
もちろん、そうした事故は確率としては決して高いわけではありません。
2012年~2021年の10年間で学校などの施設のプールでの志望者は14人、後遺障害は55人、全国の学校の在籍児童、生徒数から見ればごくわずかです。
しかし、何十人もの子供を自己無く管理することは決して容易でないことも事実です。
せめて、事故の危険性を上げるような対応だけはしてはいけない、と保護者として感じます。