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自分のこと:大学時代〜現在の仕事まで

私は九州某県で私立高校の数学教師をしています。
勤め始めてからもう15年以上になります。

数学の先生をしている人に世の人々はどんなイメージを持っているでしょうか。
数学が好きで、数学の話を楽しそうにしたり、問題を趣味的に解いたりする人物像でしょうか。

実は、私はそれほど数学を特に好きなわけではありません。

大学では理学部の数学科を選び進学しました。
しかし、そこで学ぶ内容は高校時代とはかけ離れたものでした。

高校時代、他人より少しだけ数学が得意だっただけの人間が行く場所としては、やや本格的過ぎた環境でした。

正直、数学を考えるために多くの時間を割きたいと思うほどの熱心さもなかった私は、大学数学の洗礼を受けて大きな挫折感を味わいました。


大学の数学は高校までのそれと大きく異なり、問題を解くことに主眼をおいてもいなければ、授業を聞いただけで容易に理解できるものでもなかったのです。

私はアルバイトで勤めていた塾講師の仕事に逃避をすることになります。

1年半ほど、まともに大学にも行かず昼前に起床、午後から日付が変わるまで塾で小中高生の勉強を教え、深夜に自宅に帰る日々を送りました。

そうこうしているうちに、卒業を危ぶまれる時期に差し掛かり、一念発起して大学の学習を再開し、無事卒業。その後現在の勤務校に縁あって勤めるに至ります。

私が勉強を好きになったのはこの時期かもしれません。再履修で受けたフランス語の講義に感動し、語学がこれほど面白いことに驚いた事は今でも鮮明に覚えています。毎回の予習復習をした事もその時が初めてでした。

それまで真剣に勉強した事がありませんでした。
幸いな事に、記憶力が人より多少良かったので、苦労もせずに地元の国立大学に入学することぐらいはできてしまいました。

その結果、本来なら受験勉強を通して得る「学び」を経験せずに大学生になってしまったのだと思います。

だからこそ、今受け持った生徒達には受験勉強を通して、教科への興味だけでなく、予習復習の楽しさや学習の習慣化の面白さを体得してほしいと考えています。

私は今でも数学を特に好きなわけではありません。
もちろん、大学入試の指導にあたって興味深い問題を出題する難関大学は多数存在し、そのような問題に出会う度に驚き、そして感動します。

しかし、私がそれを解けたところで私の感情が揺さぶれることはないのです。

解答者というプレーヤーとしての適性を、私は持ち合わせていないのでしょう。

数学の中で私の関心は、数学史を通しての人類や科学の進歩であったり、数学の問題を解くときの解答者の思考プロセスの一般化にあります。
この辺りの事はまた別記事で書いていきたいと思います。

ちなみに数学科の知人の様子を見ると、高校までの解くための数学が好きだった人は数学教師に、答えの出ない数学の課題を考える事が好きになった人は研究者に、という例が多いようです。

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