悪の教典 [貴志祐介]
ハスミン最高すぎる。
この小説の問題は、学校を題材にしてしまったことで、登場人物が多すぎること。小説では覚えきれない数の人物数なので、映画による映像化はとても良い傾向でした。なにより伊藤英明がちょうどよすぎた。しかし、圧倒的時間不足。
小説ではどうしても描ききれない、人物像と曲と映像。ドラマで時間かけて映像化すべきだった作品だったと個人的に思い続けています。
今ごろどうしてみたいに間を空けてしまったけれども、映画を見ていったん納得してしまっていたんです。ただ、映画ではこの小説の抜粋状態になっていて、映像にするとインパクトのある部分を中心に繋がりが微妙なままの作品なので分かりにくい。だから、そのうち小説はちゃんと読んでおきたいと感じていたんですね。
原点となる小説では、あたりまえだけれども時系列で明確に事象をとらえることができます。上下巻にわけてまで、丁寧に書いたお陰で多くの登場人物でも、主となる関係者たちの事件をすべて明確に理解できました。小説を読んだお陰で、映画を見直すとより鮮明に映像化されることはとても良い想い出です。
さて。まずこの小説の一番の魅力は、ハスミンこと蓮実聖司です。小説の中でも多くの人たちを虜にしていますが、読者をも虜にした存在でしょう。ハスミンのお陰で、他にどんな個性の強いキャラクターが出てきていても、すべてが薄れる。ハスミンの前では多少の犯罪もゴミにしか見えない。
ハスミンはサイコパスだろうか、という議論はあまり意味がなくて、ハスミンは生まれながらにして「課題解決のためならば、殺人を含め、倫理を欠いた選択肢を選択できる人間だった」。このメッセージ性がとても素晴らしい。何かを理由にせず、生まれ持った才能であることを名言にしてるのがとても良いのです。悪は、急に生まれた。
そして他人を一切信じることのできない性格と、先天的に持つ学習能力、用意周到さと、実行に必要であれば人を殺すこともできる能力。倫理を持たないというぶれない軸のおかげで、サイコパスとしてのハスミンが魅力的に生まれてきたわけです。この辺はさすが貴志祐介です。
自分の達成したい目的のためには、手段を選ばない人間が出てくる作品というものは数多くあります。ただ、論理的に破綻していたり、ただの粗暴なやくざだったりして、人間としての面白みはありません。裏社会で隠されていたから表でバレなかっただけの犯罪者と、徹底的に倫理観を持たないハスミンとでは意味が大きく異なります。ここまでちゃんと、悪い意味で人間社会に適し、罰せられずにハスミンが生き延びてきた道程が素晴らしい。
蓮見少年は、幼い頃に証拠を残してバレてしまったことを皮切りに、証拠を残さずに完遂すること。若い頃から、自分には感情が不足していたことを伝え、心の師となった彼のとって最初で最後の友人。これらの失態から学習して身に付けた「自由」を得るためだけに身に付けた能力は、サイコパスとして表現したい人柄だったことでしょう。誰しもに魅力的に映りながらも、それでいて一部の人間からは底知れぬ恐怖に身がすくんでしまう。このあたりの絶妙な表現が、この小説で描かれている一番の恐怖です。生徒がたくさん殺されるところなんて、余興というか消化試合です。
この小説はひとつの恐怖の形を表現したものであると考えています。ただ、サイコパス小説でも、サイコホラーでも、純粋なホラー作品でもありません。この小説は角川ホラーではなく、文春文庫の作品です。個人的に角川ホラー以外から出版される貴志祐介作品は、ホラー作品ではないです。この小説は、このハスミンを通して、世の不条理と悪とは何かを考えるための自己啓発本です。
彼が最後の大罪を働くまでの、倫理を失った論理的思考の流れが事細かに表現されていることで、リスクをいかに抑えるかを知ります。緻密で無理はしません。それが何故、最後の最後で大胆不敵な殲滅といった流れへと進んでしまったか。そこだけが、ハスミンに対して悲観的になる部分です。
彼の行動は美彌を排除する時まで、ほぼ完全に成功したといって良い状況です。ただ美彌によって、ハスミンはどうしてか、人としての心を得るに至ります。本人は気がついてないけれど。ここまで完全に共感能力をもたなかった蓮見少年が、急に、なぜか頭のよくない、ハスミンにとってそれほど魅力を持ちえない美彌によって、ここまで堕ちたのか。ハスミンの軸がついにぶれた瞬間ですが、このブレは一瞬です。しかし、この美彌殺害の失敗により、クラス生徒の殲滅という手段を選択せざるを得なかったハスミンを見ていると、現実社会での引くに引けない状況と合致して戦慄する人も多いのではないでしょうか。
失敗してはいけない一度の誤り。ほんのささいなミスでも、甚大な被害を生むような状況はそこかしこにあります。我らが界隈であれば、大規模クラウド障害で、実際に体験していることです。すべてにおいて、その原因はささいなことであったりします。
これらを踏まえて、タイトルで「悪の教典」とつけたことは、とても理解できるし感慨深いものです。蓮見はなんら「悪」を感じていません。むしろ、蓮見に追い出されたり殺害された人々らは、蓮見の「自由」を阻害するジャマな存在であり、蓮見にとっては彼らこそ「悪」です。しかし、題名は「悪」の教典です。クラスの生徒にとって、蓮見が最後に行う授業と志こそ、生徒たちにとっての「悪」の教典です。主人公は蓮見なのに、タイトルは生徒たちを主体とした表現に、貴志祐介並びに出版社側の意図をとても感じます。
また、蓮見は教祖でもあります。彼の自由を妨げず、役に立つ人々は多く彼の信者でもあります。そして、蓮見は信者たちに生きる道を指し示し、そのための見返りも膨大に得ています。この「教典」とは生徒にとっての悪のよりどころだったかもしれませんが、蓮見を信じた者にとっては経典でもあったのです。
故に、私にとっては蓮見にそのまま大成功を続けてほしい人生でした。たった1つのミスをきっかけに、いや多くのミスをかばいきれずに堕ちていくさまは残念です。結局、ハスミンは生まれ持った素晴らしい能力を持っていたにも関わらず、緻密な計画能力と繊細な実行力も持っていたにも関わらず、ちょっとしたゆらぎと大胆な行動のために、小さなミスを連発してしまうんです。彼は完璧ではなかったのです。
それでいて彼は他人を一切信じることができなかったので、完璧を目指すあまり、その小さなミスをも全てなかったことにしようとする、その潔癖性、完璧性が本当にもったいなかった。彼にとっての証拠隠滅が殺害やそれに準じる能力しかなかったのは、非常に残念です。まぁ、ここで大量殲滅にいかないようなサイコであれば、自由を謳歌する企業経営者みたいなとあるマンガとかになっていたんでしょうけど。でも残念です。蓮見の正義の社会をもう少し見ていたかった。
社会通念上、最後はこうなるべきだったというオチにも見えます。正義の人からしてみれば、悪は滅びるという正義のオチです。ただ、生き残ってしまった美彌は、最後に何も述べていません。蓮見に殺されかけたのに。それが原因で人生が根底から覆されているのに。悪の経典とはこれいかに。
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