「わかりやすさの罪」から考える、複雑さを複雑なままコミュニケーションすること

日々の読書に記録を、メモ程度の備忘録として残していきます。

わかりやすさの罪 / 武田砂鉄(著/文)

"わかりやすさ"。社会人になってから、いまだに腹落ちしない言葉の一つだ。果たして、"わかりやすさ"とは何なのか?どうやら、"わかりやすさ"の反対は、"わかりにくい"であり、"わかりやすさ"のほうに矢印が伸びていて、矢印の方向に研ぎ澄まされているほうが優れているとされることが多いようだが、それは一体どういうことなのか?そんなことをよく考えている。

この本は、そういう自分に示唆を与えてくれる興味深い内容だった。タイトルの通り、"わかりやすさ"に対して反旗を翻すような言葉の数々。エピソードの数々。主張の数々。それら一つひとつを詳しく観ていけば、個人的には疑問の大きいものもあったが、そこに通底する考え方、「わかりやすさの罪」に関しては、本当にそうだよなと思いながら読むことが出来た。

ことビジネスにおいては、"わかりやすさ"は常に求められる。この言葉を聴かない日はないような気がするし、自分も言っている気がする。でも、明らかに、"わかりやすさ"を求めることで失われる何かがある。不要な"わかりにくさ"はもちろんいらない(トートロジーっぽくなってしまうが、、、)と思うのだが、世間には自分が理解できないものを、"わかりやすさ"で乗り越えようとする事象が蔓延っている。"わかりにくさ"ではなく、ただ複雑なだけなのに、本当はもっとシンプルなはずなのだと思ってしまう先入観。これが本当に不味いと思う。一つひとつは小さいことかもしれないが、それらが、三菱電機やみずほ銀行のような話に繋がっていくのではないかと考えたりする。もちろんここでも単純化は禁物だが、自戒の念も込めて。

とにかく必要なのは、複雑なものを複雑なままコミュニケーションすることだろうか。コミュニケーションにおける送り手も受け手も、"わかりやすさ"に安易に逃げない胆力。または回路。それを地道に創りあげていかなければ、先はないよなぁと思う。と言いつつも、生活は続いていくので、人々はなんとか折り合いをつけながら生きていくんだろうとも思う。社会は指数関数的に複雑さを増していく現代が今後どうなっていくのかなんてさっぱり分からないけれど、"わかりにくさ"や複雑さにむしろ価値を見出すぐらいの転倒の可能性を少なくとも自分の頭の片隅には残しながら、一つひとつのコミュニケーションと向き合っていきたい。そんなことを考えた本だった。

参考

『わかりやすさの罪』「すぐにわかる!」はそんなにいいことか - HONZ

世の中の複雑さにどう向き合うべきか? 武田砂鉄『わかりやすさの罪』の問いかけ|Real Sound|リアルサウンド ブック

『わかりやすさの罪』から抜け落ちている「わかりやすさ」との戦い方|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

https://www.newsweekjapan.jp/ishido/2020/09/post-8.php

【書評】わかりやすさの罪(武田砂鉄)/読んでいて後ろ暗さを感じる、けれど何度も読み返したくなる本 | LIB-blog


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