実は誇りに思ってたんだ【ひつじの気まぐれ日記#2】
いろいろ体調面で詰んで、相談したい、って思った。ひとつふたつみっつ。すでにふたつは4年め、みっつめは2年め通院中。さらにもうひとつ、これまでの全てを回収しうるのか分からんものが浮上した。
ここまでくるとなんというか、社会に適応できるのかわたし?という感じで、みえてる世界の7割が自分に合ってないのでは、と感じることもしばしばだ。なんかここにいたくない、と思うことすらある。
よく生きてこれたなと我ながら感心する。
ひとりでじっと耐えてきて、豆腐メンタルが潰れそうになりながら、仕事とプライベート両方とも詰んで、コロナ禍と共に自分らしさをどこかに置いてきた、1年前の初夏。第3の居場所を確保して安心できるようになって、いたいと思う世界ができて、2割3割と横に横に拡げて1年が経った。
蓋をしてどこかに置いてきた自分の感覚がもどってきて、仕方がないと諦めて逃げることもできずにいたものに対し、あ、こりゃダメだ、無理だ、と心が叫ぶ。
家庭では近くに住む祖母と祖父それぞれに介護のサポートが必要になり、父が中心になって関係各所と相談しながら、祖父母の生活環境を整えるというところにいる。
その中で、父が自分の生い立ちに立ち向かう。怒りながら。母が目の前の義理の母親に手を差し伸べる。脳裏に自分の亡き母親を思い浮かべながら。
父のライフステージが変わり、生活が変わろうとしているところに重なるように起きたいろいろのことで我が家はだいぶしんどい思いをしてきた。
わたしは感情を爆発させる父の話をもう聞いていられず、母に話して、協力してもらってその手の話はわたしの前ではしない、母が聞く、ということに落ち着いた。
父には申し訳ないが、離れて暮らすまでに気力がもたないと思った。ケンカにも発展しかねない。
そんな話を仲間にしたら、なんか父と母とわたしで力を合わせているって感じがしてチームって感じがする、とリフレームしてくれた。
今日はまた別の人に話をしたら、わたしの精神衛生に配慮してくれて素敵なご両親ね、と言ってくれた。
そっか。素敵なんだ。うちの父と母。
昔、ろう学校に1人通学の練習がてら通勤する父と一緒に電車やバスを乗り継いで通学していた。とあるマダムな先生がそんな父の顔を見てそっとわたしに美男子ね、と褒めてくれた。美男子ってなに、と母にきくと、美男子ってアレだよ。ハンサムっていうんだよ、と教えてくれた。
そっか、うちの父はハンサムなのか。
(ここまで書いて某ドラマを思い出してニヤけるわたし)
母はバリバリのユーモアを持ち合わせている。替え歌を絶妙な感じ即席で作る人だ。その話を父方の祖母にするとあなたのママは面白いね、と言っておなかを抱えて笑う。
そっか、うちの母は面白い人なんだ。
誰かに父母のことをそうやって褒めてくれると、とても誇らしくなる。そんな経験から何年経ったのだろう。
久しぶりに素敵なご両親ね、と言われて泣いた。普段家族のことを話さない相手からだ。
苦しくて離れたいと思っても、やっぱりどこかで誇らしくも感じる。
母はときどき今日は折れる、と宣言する。
いいよと父とわたしは答える。時には外に食べに行く。
疲れて丸くなって眠る父に、自分の部屋でくつろぐ母に、そっと触れる。
苦しさを受けとめられなくてごめんねと心の中でつぶやきながらそのぬくもりに触れる。
いくつになっても、老いても、楽しく笑っていてねと願っているわたしがいる。
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