しばしのお別れ
以前mixiで書いた日記を今さらここで公開して恥ずかしがるというプレイにお付き合いください。
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2010年10月21日22:57
これは長いよ。
ここ3日間で本を7冊読んだが、つまるもの、つまらないもの共にあった。私はつい本やCDをジャケ買いしてしまうので失敗も多い。しかし運命の出会いもある。ジャケ買いはギャンブルだ。今から黒澤珠々『楽園に間借り』を読みます。これもジャケ買い。
ではこれからその7冊の中からいくつかひけらかそうと思います。
ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』,仁木英之『僕僕先生』
どちらもおもしろかった。ルイス・キャロルはイギリスのロリコンおじさんで、
仁木英之は信大人文卒で北京に留学経験のあるおじさんです。賢くぶっ飛んでて好きです。
キャロルに至っては頭のいい変態(まじめという意味)なので最強です。
太宰治『お伽草紙』からちょっとピカーンと来た所を紹介します。
「藤づるにすがって谷を渡っている人は、ただ向こう側の花を見たいだけで、自分が今冒険しているなんて見栄はない。ただつるの向こうには花がある事を信じ切っているだけ。その姿を仮に冒険と呼んでいるだけだ」みたいな箇所がありまして。
目的に向かって進む時に出くわす困難を大したものでないと感じさせるのは信じる心、ってこと。目的に到達できるかはまた別の話だけど。
幸せになるためにはそれなりの努力が必要、ってな話がAlex Rovira,Fernando Trias de Bes『Good Luck』という本にありました。30分くらいで読める。
本の話はこれくらいにして。
ところで皆さんは疲れやお酒、眠さのために記憶を失ったことはおありだろうか。大半の人は1度や2度ならずあると思う。ご多分に洩れず私もまた然り。「拙者は断じて記憶を失うなぞという醜態を演じたことはないぞ!」という某君がもしおわすならばぜひ問いたい。「夢って結構すぐ忘れるよね?」と。ここで「ぎゃふん!」と言ってもらわないと困る。今からそういう方向で話を進めたいからである。
私はお酒では記憶を失わないタチなのだが、シラフで記憶を飛ばすことがある。この間授業中に恥ずかしい思いをした。1番前の席に座っている時、私はちゃんと授業を聞くし予習も怠らないし内職もしない。マナーというものだ。
珍しく私が挙手して教授に質問すると「それ今言いましたよね?」と一蹴されてしまった。隣の席の友達に「今聞いてなかったの?真剣聞いてる顔してたよ」と笑われた。ほんの1分にも満たない程の時間かもしれないが私は今確実に記憶をなくした、笑いごとじゃない、と思った。
なぜか、と考えた
結果
「宇宙警察が私の記憶を消しているのだ!」
決して私は精神に異常を来したわけではない。あくまで脳みそ内でフィクションの世界を楽しんでいるだけなのだ。ジュウクハタチの乙女とはそういうものなのだ。安心して読み進めてほしい。もう眠い人は寝てもよろしい。
閑話休題、話を戻そう。
宇宙警察はその名の通り宇宙の警察であり、常に宇宙の隅々まで(宇宙に隅があるかは触れないでおく)目を光らせている。全ては宇宙の平和のためである。しかし生き物を殺したり物を壊したり、夢見る子供の靴下にプレゼントを入れたり、いけ好かない奴に砂をかけたりなどという野暮なことはしない。物理的に宇宙の平和が乱れる前にその芽を摘むのだ。
つまり
「私は宇宙国家にとってよからぬ思想を持っていたのだ!」
ということになる。
酔っている時や夢の中は大胆なことを考えがちなので、記憶を失うことがよくあるのだよ諸君。
核兵器やテロが世界からなくならないのは、宇宙警察が自然の定理、生き物の行動や思想を操ることは禁忌とされているためである。ただ消すだけ。それに失敗や災いは地球などの小さな規模では必要だと認識されているのだ。強い種の保存のためである。しかし宇宙規模の失敗は許されない。
そもそも忘却は時に人間にとって悲しき幸せをもたらす。
浦島太郎は亀を助けたお礼に竜宮城でもてなされ、故郷に帰ったら300年たっており、煙とともに翁になった太郎は1人ぽっちである。恩を仇で返すとはこのことだ。
私はこの昔話が腑に落ちなかったが、太宰が1つの結論を与えてくれた。それは煙とともに家族や竜宮城のことを忘れてしまったという説だった。懐かしく思って悲しむものは何も無くなり、きっとその後それなりに幸せに暮らしたのだ。知ってしまった罪と言うのは大きいので太郎の記憶は消されたのだと思う。かなしきかな、この幸せ。
「宇宙警察は私が宇宙規模の大惨事を企てたり巻き込まれたりしないように見えざる手をさしのべてくれているのだ!」
日々このメタギャラクシーを守っている彼らにとびきりの敬礼を捧げようと思います。
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