ぶどう色の夕焼け
大昔にmixiで書いた日記を今さらここで公開して恥ずかしがるというプレイにお付き合いください。
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2011年03月26日17:33
最近読んだ本のせいで特に感じたことたち、そして先日の地震などによって考えたことたち。
⬛️さとうさくら『スイッチ』
私はいちいち喜んだり傷ついたりしたい。どうしたらいいかわからない私に、「どうして欲しいの?」とか聞かないで欲しい。愛という名にかこつけてエゴを見せつけ合ってるだけのこと。
⬛️森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』
辛い時や苦しい時、男子諸君は大抵おっぱいのことを、女子諸君はスイーツのことを考えれば大体のことはふんわり消えていくのだろう。
しかしそれでは避けられない問題にぶつかる時もある。解決が我々にとって幸せではない時がある。それはどうにもできなくて悲しい。知ることが辛い時はおっぱいや甘い物じゃごまかされなくて、エウレカに絶望してしまう。
大人になって知ることに対して臆病になる。信念を持つことでのみ、乗り越えられるんじゃないかと思う。
⬛️サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
主人公が中2病。空想癖がひどくて、自分がかわいくて、天邪鬼で、女の子が大好きで、意気地無しの童貞ソーヤング。現実を受け入れたくないのは私もまた然り。自分に都合のいい小さな世界に酔ってる。言葉にすると寂しくなっちゃう。
⬛️栗田有起『お縫い子テルミー』
握った手の指が優しいと思えたらいいと思う。
ひとつにつながりたいという気持ちが恋だと言う話で、人間は実現できない夢を踏み越えて大人として強くなる必要がある。頭ではわかってるつもりだったことを呑み込まなければならない。悲しくなっちゃった。
⬛️豊島ミホ『ぽろぽろドール』
蹴りたい背中にぼんやり似てる気がする。著者は綿矢りさファンらしいからしょうがない。
人間は誰しも心の中に変態を飼っている。自分を相手に100%理解してもらうことはできない、伝わる段でロスが生じるから。
⬛️ミヒャエル・エンデ『モモ』
他の人々と分かち合えるのでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富がある。
大きな不安ともっと大きな勇気。無駄の中に大切なものも含まれてる。
⬛️西加奈子『あおい』「サムのこと」
死に直面せずして生は意識し難い。有事なくして無事であることは気づきにくい。死や別れに対して人間は無力で、途方に暮れるしかない。
⬛️玄侑宗久『アブラクサスの祭』
同名の映画が私は大好き。なまずのひげは地震を予知できるのか。この本を読み終えた日の夕方大きな地震がありました。仏様は人助けを遊びでやっていらっしゃると知った。思いやりにもエゴにも神様が宿っている。
⬛️青山七恵『ひとり日和』
主人公と私はかなり似てる。でもね、私の方が忘れっぽい。惰性だと思ったらそれは惰性になってしまうし、執着だと思ったらそれは執着になってしまう。意識の問題。いいかどうかは自分が決める。
⬛️佐藤雅彦『クリック』
読書嫌いにはもってこいの本。私も、簡単な短い言葉でうまいこと言いたい。
本や映画の解釈やポイントは人それぞれだし、さらに1人の人間の感性の中でも、その人のその時々の状態や条件によって読む度、観る度に変化する。
解釈に正しいとか間違ってるとかはないし、作った人が正しいとも限らない。作った人のもくろみと異なったものが受け取り手の心にシンクロする時もあるし、非難や評価される点が作者の意図しないところである場合もある。
神さまは不完全な世界を創ったし、全人類を救うこともできない。創造主は全知全能であるといえども、一度不完全な世界と生き物を創造してしまった以上、この宇宙では完璧で不足のないものができることはあり得ない。
夜の衛星写真では、世界の中でもひときわ日本列島が明るく光っていると、中学の理科の教科書に載っていたのを思い出した。
先日、日本ではたくさんの命の光が一瞬で消えてしまった。あっけなかった。街の光も消えてしまった。普段、我々がいかに明るいところで生きていたか気付いた。光が急になくなってしまうとなんだか寂しくて不安になることが分かった。
同時に、無駄なものやなくてもいいなと思うものも沢山あることにも気付いた。しかし無駄だと思うことやいらないかもと感じるものに安らぎや便利さを特に感じているのだと思う。
当たり前にあるものは当然大切で、なくてはならないけれど、渋谷の街の光や近所のコンビニの灯りにほっとしたりうききしたりする。なくてもいいけれど、あったほうが嬉しいもの。
TV番組でも、くだらないバラエティ番組に心慰められることも多い。そういうものが自粛されてるのはちょっと悲しい。節電やバッシング等の影響は避けられないからいつも通りというわけにはいかないのは分かるけど。
今、日本が深い悲しみと不安と絶望に沈んでいるのはもちろん当然のことだと思う。
でもね、食糧難、戦争、貧困等さまざまな絶望的要因で世界では毎日たくさんの場所でたくさんの命の光が消えていて、そのことに日本人は関心が薄くて、ひとごとだと思ってるという事実からは目を背け難いと思う。
東日本大地震に関連して初めて募金をしたという人は多いと思う。募金をした人が偽善者であったり、また、しなかった人がエゴイストであるというわけではないし、その議論も不毛だね。
節電や募金はいいことだと思うよ。真心にも偽善にも神さまは宿っていると思うの。
だって、こんな時でも私は不謹慎なことも考えるし、自分の親戚がみんな無事だとわかって安堵した(これも利己的だと言われるべきことだと思う)けど、そんな悪玉が心の中にあるような私の因果はほどけず、命の光は消えていない。神さまは「みんなを救うことができなくてごめんね。」と思って、きっと消えちゃった光はみんな天国に送ってくれるんだと思う。
多分ね、地獄なんてのはあってないようなもので、神さまが人間たちになるべく真面目に生きてほしくて、脅し文句で「悪いことしたら地獄に落としちゃうもんね!」って言ったんだと思う。
だからね、みんなもう悲しまないで生きてる人は死ぬまで精いっぱい生きて、やりたいことやっていいんだよ。いつかその光が消えちゃった時は天国で待っているなつかしい人たちに会えるからね。いつか会おうね。
死んだ後の本当のことを、私は死んだことがないから知らないけれど、まだ開けたことのない箱(開けちゃいけない箱)の中には希望がきっと詰まってると信じることができる。
私は何かに影響されやすい。谷川俊太郎先生も影響されやすい性格だったのかもしれない。
谷川俊太郎「黄金の魚」
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
これは、谷川俊太郎がパウル・クレーの「黄金の魚」という絵に触発されて作った詩。
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