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【~連載~静岡の歴史を学ぼう265】William Adams Part2 ウィリアム・アダムス パート2

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。


静岡市歴史博物館の2階はホームページによるとこのように説明されています。

「400年前の駿府へタイムスリップ! 「『首都』駿府と世界」

大御所として駿府にやってきた家康は、駿府で世界の使節と交流しました。駿府にやってきた人々や彼らによって駿府にもたらされた貴重な宝物を紹介しています。400年前の駿府と、家康を取り巻く世界のようすがわかります。」

ウィリアム・アダムス(三浦按針)も駿府で活躍したことでしょう。

William Adams Part2

ウィリアム・アダムス パート2

When members of the Liefde reached Usuki (present-day Oita prefecture) on April 14, 1600, only 24 of them survived. However, six people soon died and so only 18 survivors were then left.

リーフデ号の人々が1600年4月14日、臼杵(現在の大分県)にたどり着いた時、24人しか生存していませんでした。

However, six people soon died and so only 18 survivors were then left.

しかし6名がすぐに亡くなり、結局18名だけが残されました。

リーフデ号を含む船団

Portuguese living in Nagasaki told a local daimyo that the sailors were pirates because they were not Catholics, but Protestants.

長崎に住んでいたポルトガル人たちは地元の大名にその船員たちは海賊だと言いました。彼らがカトリック教徒ではなく、プロテスタント教徒だったからです。

Nine days after landing in Japan, Tokugawa Ieyasu summoned their representatives to Osaka for interrogation.

日本に上陸して9日後、徳川家康は彼らの代表を尋問するために大坂に召喚しました。

The healthiest member was William Adams and he chose Jan Joosten as his companion.

一番健康だったのがウィリアム・アダムスで、彼は同行者としてヤン・ヨーステンを選びました。

Jan Joosten was a Dutch trader well-versed in international affairs and commerce in Holland.

ヤン・ヨーステンはオランダ人の貿易家で国際情勢およびオランダの商業に精通していました。

東京駅八重洲地下街にあるヤン・ヨーステン記念碑

Adams and Joosten reached Osaka on May 12, 1600 and were immediately brought to the Osaka castle.

アダムスとヨーステンは1600年5月12日大坂に到着し、直ぐに大坂城に連れていかれました。

Tokugawa Ieyasu favorably asked them the reason why they came to Japan.

徳川家康は好意を持って彼らになぜ日本に来たのかを尋ねました。

They communicated through a Portuguese translator as Adams understood the Portuguese language.

彼らはポルトガル語の通訳を通してコミュニケーションを取っていました。アダムズがポルトガル語を理解したからです。

Adams replied that his country had searched for a good sea route to voyage to Asia for a long time.

アダムスは自分の国はアジアへの良い航路を長いこと探していたのだと答えました。

東京・中央区日本橋「按針通り」にあるアダムス住居跡の石碑

Joosten also had the same answer.

ヨーステンも同じく答えました。

Tokugawa Ieyasu asked them many detailed questions .

徳川家康は彼らに詳しくたくさんの質問をしました。

The most important question asked by Lord Ieyasu was the following:

家康公がした最も重要な質問は以下の通りです。

“Is your country at war?”

「あなたの国は戦争をしていますか」

It seemed like a simple question.

一見簡単な質問のようでした。

However, Tokugawa Ieyasu supposedly had doubts against the Portuguese’s opinion that members from the Liefde were pirates.

しかし、徳川家康はリーフデ号の人々を海賊だと言うポルトガル人の意見に対して疑念を持っていました。

南蛮商人イメージ画

Adams replied that his country, England allied with Holland was at war against allied countries, Spain and Portugal.

アダムスは自分の国、イングランドはオランダと同盟であり、同盟を組んでいる敵方のスペイン、ポルトガルと戦っていることを返答しました。

This answer made Tokugawa Ieyasu aware that a war was being held between two parties.

この答えを聞き、徳川家康は二者の間で戦争が行われていることに気づいたのです。

リーフデ号像 
東京駅近く丸の内 丸の内ビルディング横

(参考資料)

「三浦按針 その生涯と時代」 森 良和著 東京堂出版

「ウィリアム・アダムス  ―家康に愛された男・三浦按針」 フレデリック・クレインス著  ちくま新書



  

  

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