ベトナム進出第一号! 挑戦を続ける静岡のめっき屋 | 三光製作株式会社インタビュー
めっき一筋70年、静岡県浜松市に本社をかまえる三光製作株式会社。
2011年ベトナムに支社を設立、2020年には静岡市にある創業110年の吉田鍍金工業所をグループ会社にむかえ、ますます事業を拡大している同社は、人材育成に力を入れているといいます。
静岡みんなの広報は、人材育成の取り組みを軸に、自社製品「抗菌富士」が生まれた経緯や、ベトナム進出の裏に秘められた決意を伺いました。
人間力のある社員を育てる
山岸社長:
みなさんは「工場で働く人」と聞いて、どのような人物を想像されますか?
ものづくりに徹する寡黙な職人のような人を思い浮かべるのではないでしょうか。あるいはパソコンと向き合い、複雑な設計図に囲まれるエンジニアのような人でしょうか。
いずれにしても、一人で黙々と作業しているイメージだと思います。
でも実際は、黙々と作業に徹することがある一方で、社員同士で頻繁にコミュニケーションを取ります。また、お客さまとお話しする機会も多いです。
三光製作で働いている人は何か一つのことに従事するのではなく、マルチに活動している人や、自ら進んで行動し、挑戦する人が多く活躍している会社です。
リアルな現場において、どうやったらよりお客さまに喜んでいただけるかを追求するマインドと知識、技能を持った柔軟な人を弊社では目指しています。
突き詰めるとそれは、どのような生き方をするか、どんな幸せを求め、社会に何を還元できるのかという哲学的な問いに行き当たります。
そのような“人間の尊厳”とも呼べる部分に軸を置いて社員を育てているのが弊社、三光製作株式会社です。
本日は、弊社の取り組みを「ざ・めっき」「抗菌富士」「夢工場塾」「アジア進出」というキーワードに絞ってお話をしたいと思います。
ちょっと欲張りなめっき会社
山岸専務:
弊社はめっき一筋、70年を迎えました。
めっきとは、素材の表面を別の素材の薄い膜で覆う技術のことです。用途は金属をサビから守ったり、耐久性を上げたり、高級感を出すためだったりと様々です。
わかりやすいところだと、自動車のタイヤのホイールやプラモデルのキラキラした部品、オリンピックの金メダルなんかにもめっきが使われています。
めっき工場の中には「自動車部品専門」のように、特定の業界に注力されている会社さんもありますが、弊社は加工技術の多さから関わる業界も多岐にわたります。
取引先は南は九州から北は東北まで約1500社、YAMAHAさん、SUZUKIさんといった大手メーカーに始まり、最近ですと半導体や光学機器の工場など、幅広くお付き合いさせていただいています。
他にも、弊社の特長あるめっきとして「抗菌めっき」があります。
機能めっきである「抗菌めっき」は、その名の通り、抗菌・抗ウイルス性を持ち、安全・衛生を求められる現場でご利用いただいています。
お客様の要望・困り事を細かく受け止める、ちょっと欲張りなめっき会社です。
そんなめっき業の中にも、「人」に焦点を当てたコンセプトが盛り込まれています。「ざ・めっき」です。
個性の掛け合わせが生む特別
山岸社長:
「ざ・めっき」は先代の頃から掲げているコンセプトです。もう30年くらいになります。
「他のどこにも真似できない、三光製作のめっきだからご提供できる価値がある」という意味を込めて“ざ(THE)”を付けました。
「一つの技術が金メダル」というのも、もちろんアピールポイントなんですけど、飛び抜けるのは簡単ではありませんし、一点突破を狙うと逆にニッチになり過ぎて、需要が減ってしまうこともあります。
私たち三光製作は、お客さまからいただく様々な角度からの要望に応えることで、掛け合わせのうえに生まれる個性を大切にしています。
たとえば、デザイナーをされている方はたくさんいらっしゃいます。でも、静岡在住で、情報システムにも詳しくて、人脈も広くて……と、求める条件を増やしていくと、どんどん母数が減っていき、そのうち一人にたどり着くでしょう。
10分の1の技術やセンスは珍しくなくても、それがいくつも折り重なれば、100分の1、10000分の1の逸材になれます。同時に、お客さまの要望も広くカバーできるようになります。
独自の技術や管理システムなど、要素はたくさんありますし、もちろん、それぞれの分野で安定したクオリティを出す必要もありますが、「できることを増やす」というのが弊社の個性です。
ただ、ここに裏のテーマがあります。
「ざ・めっき」は外へのアピールであるとともに、内側、社内に向けてのマインドセットの意味を持ちます。「自分たちの強味は一体何か?」と問い直すとともに、「顧客に最大価値を届ける独自のシステムを創造しよう!」という宣言です。
意志を持って仕事に取り組むことで、自社の技術に誇りを持ち、その誇りを糧にさらなる躍進を目指すのが「ざ・めっき」のマインドです。
そんなマインドに、時間をかけてちょっとずつシフトしてきました。
「会社は変わっていくものだ」というのが私の考えです。社員が増えたり減ったり、事業が拡大したりして、付き合うお客さまも変わっていきます。
その中において、軸となる考え方や想いは変わらずとも、提供する価値や企業戦略は、むしろ、変わっていかなければ時代に乗り遅れてしまいます。
弊社におけるここ何年かの変化でいえば、自社商品「抗菌富士」とベトナム進出があります。
出会いを呼ぶ抗菌富士
山岸専務:
私は小さな頃から父より、ものづくりの面白さを聞かされていました。
オートバイを指さして、「あれは、うちで“めっき”しているんだぞ」と嬉しそうに話す父の姿をよく覚えています。
めっきとは形のない商売です。基本的にはお客さまから部品をお預かりして、加工をしてお返ししています。つまり、めっきの工程自体が弊社の商品なんです。
しかしいつか、お客さまが手に取れるような商品をつくりたい……。
そんな想いの結晶が抗菌富士です。
抗菌富士は富士山をモチーフとした、ちょっと高級感のある日用雑貨です。塩・胡椒の容器や靴べら、剣山など、いくつかの種類があり、富士山好きの方や日本に旅行された外国の方々を中心にご好評いただいています。
発想の原点は2013年、富士山の世界文化遺産登録です。
うちの技術と富士山を掛け合わせた商品をつくれないだろうか。そんなふうに思った私は、以前からお付き合いのあった岩倉溶接工業所さんに相談しました。
それから、私と岩倉溶接の専務、デザイナーさんを含め、3人で一年をかけて試行錯誤し、形にしていきました。
試作品を物産展で発表したところ、翌日から問い合わせがくるようになり、2014年の2月23日、富士山の日に一般販売を開始しました。
商品は現在、主に日本平ホテルさんやKADODE OOIGAWAさんのギフトショップ、公式オンラインショップなどで取り扱っています。
今でこそ製造業が自社商品をつくることが増えましたが、当時は物珍しさからよくメディアに取材されました。一般のお客さまと接点が少なかった弊社には、新たなビジネスモデルの勉強になることばかりでした。
抗菌富士を通して、今まで出会えなかった方々との交流も生まれました。
この商品には弊社の特許技術である抗菌めっき加工が施されています。展示会に出ると、「抗菌めっきって何ですか?」と聞いてくださる方もいらっしゃいます。
そこから、めっき業でのお付き合いに発展することもありますし、岩倉溶接さん経由でお仕事をいただくこともあります。採用面接を受けた方が、「抗菌富士、見ました!」と言ってくれたこともあります。
抗菌富士は発売して10年が経ちますが、チャレンジへのポジティブなきっかけを与えてくれる、弊社の広告宣伝商品です。
起死回生をかけたベトナム進出
山岸社長:
弊社はベトナムにも拠点があります。
もしかしたら、「景気が良かったから海外進出したんだ」と思われているかもしれませんが、逆です。真逆です。海外進出のきっかけは業界の不況でした。
2000年ごろからでしょうか、アジアの国々に工場を置いて、自動車やオートバイのような工業製品をバンバンつくっていこうというムーブメントが起きていました。
「いつか海外に工場を!」と、弊社もぼんやりとした野望を持っていましたが、2008年のリーマン・ショックであらゆる産業が打撃を受けました。さらに2011年の東日本大震災が追い打ちとなりました。
売り上げはひどいし、このまま同じ商売を続けていたら将来はない。
しかし、半世紀以上かけて培ってきた技術やノウハウを、途絶えさせたくない。現状を打破するために打てる手は、打つ!
起死回生の一手としての海外進出でした。
ベトナムに拠点をつくって得られた大きなメリットは三つ。
一つ目は、外から日本企業がどのように見えているかを身をもって知れたこと。二つ目は、海外に人脈やネットワークをつくれたこと。そして三つ目、これがある意味もっともインパクトがあるかもしれません。
歴史上、一番乗りになれたことです。
ベトナム一番乗りの苦労
拠点のあるベトナムの北部、ハノイ地区には当時、日系の同業者が一社もありませんでした。事業規模や売り上げでは抜かれることがあっても、日本第一号は抜かれようがない。
Nikkei Asiaにも取材していただきました。日系企業が進出してきたぞ!って。ただ、一番乗りということは裏を返せば、最初はまったく仕事がなかったわけです。
土地を買った当初は、これですから。
ご覧の通り、牛が歩いていました(笑)
田んぼを埋め立てた土地に建物をつくっていくんですけど、あたりにはまったく何もない。カップラーメンをダンボールいっぱいに持ち込んで、毎日それをすすりながら仕事しました。野宿も3回くらいしましたね。
今はもう工業団地らしくなりましたが、10年前のベトナムは未開拓なところが多くありました。
運営にしても、商売としても、悪戦苦闘の日々でした。
海外に拠点を持つといっても、ずば抜けて目立つ商品があるわけでもなければ、海外でバンバン売れるものもない。
日本でやってきたことを、向こうでも地道に積み上げていくだけでした。
最初の投資も大変でした。土地を買って建物を建てて、設備をつくって人を雇って。出費を回収するのも簡単なことではありません。現在進行形で格闘しています。
でも、お金に換算できない無形のメリットをたくさん受け取りました。視野も人脈も広がりましたし、マイナスなんて一瞬で吹っ飛んじゃいます。
日本にはアメリカっぽい会社もあれば、令和なのに昭和っぽい会社もある。それは海外でも変わらず、ベトナムにも中国っぽい会社、日本っぽい会社があります。経営者の数だけ会社の社風やスタイルがあります。
うちの場合は、日本の良いところを軸にしつつ、海外のやり方を取り入れながら運営しています。
たとえば昇給や昇格、人事評価みたいなのは、外資系の企業のようにシビアにやっています。海外では同じ年齢でも給料が倍違うこともよくあります。年功序列が意味をなさない、弱肉強食の世界です。
一方で、まったく変えてない部分もあります。先ほども申し上げたような、人間性を大事にする理念です。利益を出すことより社員の成長を優先する企業は、ベトナムではまだ珍しいようです。
弊社は世界に行っても、人、人、人です。
人間力を磨く夢工場塾
鈴木さん:
社長もおっしゃるように、弊社では人材育成に力を入れています。
その一つが「夢工場塾」です。
社内勉強会である夢工場塾には、柔軟に物事を考え、つねにチャレンジしていく精神を、会社というチーム全体で養う目的があります。
普段は決まった人と仕事のことしか話さない社員も、部署を超え役職を超え、壁を取っ払って交流します。ここには社員の相互理解を深める目的もあります。
メインはディスカッションで、与えられたテーマについて社員同士で話し合い、最後に発表を行います。
テーマは毎回変わります。「工業材料基礎講座」だったり、「コミュニケーションの基礎」だったり、直接的に業務に影響するテーマもあれば、「我々は何のために学ぶのか?」とか「未来について考える」といった、抽象的・哲学的なテーマもあります。
土曜日を使って年に5回ぐらいやっていますが、夢工場塾をはじめてすでに19年、回数にして109回を数えました。
山岸社長:
勉強会といっても、いわゆる「研修」のようなかしこまったものではなく、「企業版のホームルーム」みたいなイメージ。学校でもありましたよね、クラスの様子や課題をざっくばらんに話し合う場。
めっき屋である限り技能や知識は必要になりますが、それ以前に、人間としての底力が重要だと私は考えます。
知識ばかりの頭でっかちでもいけないし、技術に頼り過ぎてもいけない。柔軟な考えを持ち、答えのない問いに向き合う力こそ、見通しの悪い世界を生き抜くために求められるのではないかと考えています。
夢工場塾で扱うテーマも、どちらかというと答えのない問いとの向き合い方です。最近ではアクティブラーニングという言葉をよく耳にしますね。
正解も間違いもない問題を、みんなで話し合い、一度決めたらみんなでそれに向かって頑張ろうみたいな、そんなチームビルディング的な要素もあります。
研修をした直後に何かが目に見えて変わることは、ほとんどありません。しかし、続けることによって様々な効果が表れています。
たとえば、他社との合同研修での一幕。研修ではチームディスカッションやブレインストーミング、または話し合った内容を発表する時間がありますが、やはり、初対面の人と話したり、人前で発表したりするのって、うまくできないじゃないですか。
でも、弊社の人間はそれが難なくできるんです。みんな「余裕でした!」と言ってくれる。
これも夢工場塾を続けてきた成果ではないでしょうか。社内で当たり前にやってきたことが、社外でも当たり前にできるんです。
こうして育てた人間力は、会社を大きく前に進めてくれると信じています。
三光製作のバイブル
山岸社長:
弊社には「経営の栞」という冊子があり、軸となる考えはこの一冊を読めばすべてわかるようになっています。
会社の歴史、経営方針、人材育成といった会社の根幹となる部分から、マーケティングやロジカルシンキングのようなビジネスマンとしてのスキルも書いてあります。
もちろん、人事評価に関わる技術・知識のチェックリストもあって、「これで評価をしますよ」っていうのも伝えています。あとは、今日目にしない日はないDXやIoTに関する項目なんかも。
「言語化は大切だ」と思い始めてから、毎年発行しています。一月に改訂版を欠かさず配布していて、今年でバージョン6です。
栞をつくるまでは口頭で伝えていました。でも、それをやってる限りワンマン経営から脱せないのでは? と考えるようになりました。会社としての合意というより、「社長が言ってるから」みたいになってしまう。
これは良くない。なのでテキスト化し、社員たちの目にとまる場所に置くことで、三光製作全体の、みんなの方針にしていこうと考えました。
キリスト教にもバイブルがあるように、みんながドキュメントを持っていると、誰もがリーダーとなり同じ目線で会話ができますし、何かあったときには原点に立ち返ることもできます。
求めるのはチャレンジ精神と成長意欲
専務
今働いてるのはみんな、チャレンジ精神と成長意欲の強いメンバーばかりです。先ほどのベトナム進出も、チャレンジと成長のキーワードで説明できると感じています。
採用は毎年平均5人くらい、多い時は10人ぐらい入ってきてくれます。この2、3年は、ありがたいことに高校新卒も入ってきてくれています。
チャレンジ精神と成長意欲は、面接でも欠かさずチェックします。
同じような考えを持つ方々と一緒に働きたいです。「この人が入ったら、もっと会社が盛り上がるだろうな……」みたいな人を見極めるように心がけています。
くわえて、「5年後にこうなっていたい」とか「私には夢があります!」と、明確なビジョンを持つ方が入ってくれるとメンバー刺激を受けて、相乗効果で会社が活性化されるはずです。「日本のため、世界のためにこんなことをしたい」などあれば最高です。
「やる気」と「専門性」を発揮したい方、新しいことに挑戦したい方は、ぜひ三光製作の門を叩いてみてください。
エントランスの三光鳥
鈴木さん:
最後にこちらを紹介させてください。70周年を記念して制作したエントランスアートです。
地元の静岡文化芸術大学より学生さんをインターンとして招き、地元の企業さんとともに一年と7ヶ月の歳月をかけて完成させた大作です。
三光製作のエントランスを演出し、象徴的なオブジェとしてお客さまをお迎えしています。
モチーフは静岡県の鳥であり、社名と同じ「三光」の文字を持つ「三光鳥(サンコウチョウ)」。この「三光」が意味する、太陽・月・星の3つの光を四角・三角・三角錐のブロックで表現しています。
ブロックには弊社でめっき処理と研磨加工を施しており、処理の組み合わせは20パターン以上となります。ブロックの数は全部で70個あり、会社創設70周年を表しています。
ブロックは一つひとつ取り外せるようになっています。お客さまとの商談の際には立体的なカタログとなり、紙のカタログを見ただけでは伝わらない、めっきの質感やイメージを伝える手助けとなります。
弊社にいらっしゃった際には、ぜひご覧ください。
▼エントランスアートに込めた想いはこちら▼
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